世代を越えて受け継がれてきた琉球紅型。若手の担い手2人が模索するサスティナビリティとは?
琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)は、早くは13世紀ごろに起源を持つと言われる沖縄の伝統工芸です。バガスアップサイクルは、知念紅型研究所十代目の知念冬馬さん、紅型研究所「染千花」の知花幸修さんとコラボレーションしたオリジナルデザインのかりゆしウェアを通して、紅型の魅力をより多くの方に伝える取り組みをおこなっています。琉球王朝の時代から受け継がれてきた紅型を、現代の担い手であるお二人はどのように捉えているのか、バガスアップサイクル代表小渡晋治がお話をお伺いしました。
小渡
図案のデザインから型紙を彫り、手染めをして仕上げの水洗まで、18を超える手仕事による過程を経てつくられる紅型は、合理性が重視される現代において貴重な存在です。実際に工房を持ち、職業として紅型に取り組むお二人は、そのことをどのように捉えていらっしゃいますか?
知念冬馬さん(以下、敬称略)
琉球紅型は、もともと消費するものではなかったというルーツを念頭に仕事をしています。琉球王国の時代には、王家の庇護のもと、婦人の礼装や神事の装束として重宝されていました。つくり手は、完成してお納めした後に、何代にもわたって大切に受け継がれていくという前提の元に生産していたのです。また、中国や江戸幕府への献上品でもあり、琉球王国が栄えるための手段でもありました。そうした背景があるからこそ、単なる衣服とは異なり、図柄には神への祈りが含まれていたり、進貢していた中国や日本の文化が反映されています。そうした歴史的・文化的な価値は、現代においても呉服の世界で評価が高く、「琉球もの」の着物や帯は大変に人気があります。僕らは、価値を感じてくださるお客様がいるからこそ、職業としてつくることができる。今つくれているから、次の世代へつないでいける。そう考えています。
知花幸修さん(以下、敬称略)
沖縄には、古典紅型の図柄が数多く残っているのですが、そのままでも今の時代に合う非常に素晴らしいデザインがたくさんあります。また、歴史的な文脈にも豊かなストーリーがある。琉球王国が消滅して庇護がなくなり、その後の太平洋戦争で多くの型紙や道具が失われてもなお、時代時代の人びとが紅型を染め続けてきたからこそ残っているのです。先人からは、「戦後、紅型を生業とするために、米兵をターゲットにお土産としてクリスマスカードなど染めていた」と聞きます。その時々の、世俗的なものも含めた文化を図柄に反映してきた紅型。時代にあったものを染めてきた紅型の歴史に着目し、その文脈を大事にしながら、今の日本らしい文化は何かと考え、漫画やアニメのデザインを紅型に取り入れています。もっと知られる価値があると信じているから、知ってもらう間口を広げたい思いもあります。
知念
戦後の物資不足の時代には、キニーネ(マラリアの薬)を使って染めていたという伝承がありますよね。拾った軍用地図で型紙を彫り、銃弾の薬莢を糊袋の筒先に、口紅を顔料にしていたとも聞きます。
知花
染める布地には、パラシュートやテントを使っていたんですよね。身の回りにあるもので染め続け、伝統を途切れさせなかった先人たちには頭が下がる思いです。また、このストーリーは今のSDGsの潮流に符合すると考え、「戦後紅型の歴史をなぞるPOSTWAR BINGATA」というタイトルでイベントを企画・実施しました。廃棄予定の衣類を募り、紅型作品として蘇らせるプロジェクトです。一回で終わらせずに、継続していきたいと考えています。紅型が今の社会にどういう価値をもたらすかっていうところに関しては、もっと掘り下げたり、広げたり、できることがあるんじゃないかと思うんです。
※染千花のInstagramでは、知花さんの作品や企画が見られます。
小渡
僕も、紅型の価値が見出される余地はまだまだあると感じています。県内・国内での認知度の低さと、海外の知識層からの関心の高さには、大きな温度差があります。ジャパン・ソサエティという日米の交流に取り組むNPOが開催した紅型をはじめとする日本のテキスタイルをテーマにしたイベントに、オンラインで900人もの人が集まった事例があります。
知念
知念紅型研究所にも、欧米からの外国人観光客の方がたくさんいらっしゃいます。「色や技術に興味があって、見に来た」と。国内・県内の方々にも、もっと知られてほしいと思わずにいられません。
※知念紅型研究所のInstagramでは、美しい紅型の呉服の写真や制作過程が見られます。
小渡
紅型のデザインでかりゆしウェアを仕立てるという取り組みも、伝統工芸に馴染みのない方々に知っていただく間口のひとつとして、お二人にご尽力いただいて始めました。かりゆしウェアに適した紅型のデザインという観点では、どのようなことを考えていただいたのでしょうか?
知念
ただ単に、紅型ならいい、というような、”紅型調の柄物のシャツ”を世に出すのはとてもいやでした。自分が身に纏いたいと思えるものでないと、と。そこで、紅型をシャツの形で着たときに、肩幅とか袖の落ち方に図柄が綺麗にはまるかどうか、シンメトリーになるかどうかに気を配りました。また、モチーフや図柄そのものも、南国で着る服の柄としてベタすぎず、かといってわかりにくくはないもの。実際はプリントですが「もしかして手で染めたの?」と思われるような、色や絶妙なムラが綺麗に出る図柄を選びました。
知花
僕は、冬馬さんが先に出されていたので、差別化を考えました。「青海波に帆掛船」は古典柄をそのままで、よくシャツにまとめたなあと感心してしまって。
自分らしくアニメっぽいデザインで行こうとは思ったのですが、現代の視覚文化をモチーフにした紅型が面白いのって、手染めだからなんですよね。ところが、一定数を量産するかりゆしウェアとなると、最終的な工程はプリントになる。アニメっぽいデザインをプリントしたら、紅型である意味がなくなってしまいます。この認識を前提に、それでも面白く、さらにかりゆしウェアとして着た時に映える図柄を古典紅型の中から選びました。構図は古典紅型を踏襲し、絵柄をポップにリデザインして「白地霞枝垂桜cartoon文様」と名づけました。古典紅型の文献を当たっていると、図柄に、例えば漢字二十文字といった長い名前をつける文化があったようなのです。これも古典紅型の面白さの一つだと思って、古典をモチーフにデザイン転換したものには長い名前をつけることにしています。
小渡
ありがとうございます。最後に、お二人それぞれが捉えておられる紅型のこれからについてお聞かせください。
知花
紅型がここまで続いてきたのは、各々の世代が工夫しながらつくること、着ることを積み重ねてきたからだと思っています。だから、若い人たちに興味を持ってもらいたいです。成人式を迎えた時に「紅型の振袖が着たい」と自然に思う若い人が出てくるようになればいいな、と。そのための種まきを続けていきます。
知念
僕も、先人たちから継承しているから伝えたいと思うところがあります。「残してきてくれているから、伝えていかなきゃ」と思う。そのためには、自分はあくまでも、芸術作品ではなく商品をつくっていきます。着物や帯を商品として求めてくれるお客さまとつながることで、向こう側の人たちとつながっていける。最近では、帯を買ってくれたお客様が工房に来てくださり、育陶園さんのやちむんとコラボレーションした商品を購入してくださったことがあります。商品としての紅型をつくっていきながら、技法のところで新しいチャレンジをしていって、くふうを積み重ねたいですね。
取材:2023年12月