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褒める文化と自分の終わり尽くした性格について

皆さんこんにちは、バチカンです。
今回は、自分の終わった性格についてと、最近「これ、ええな」と思ったことを書き殴ってみようと思います。

最近ええなと思ったこと


最近、いろんな界隈で「褒める文化」が活発になってきたなと思うんです。
最初は仲間内でお互いに褒め合ってるだけかなと思っていたのが、気づけば反応が増えてたり、輪がどんどん広がってるのを感じています。

自分のいる遊戯王界隈でも、引用リツイートでデッキやプレイを褒める投稿をよく見かけるようになりました。
最初は「流れてるな~」くらいに思ってたけど、あまりにも次々と「ええな!」と思う内容が流れてくるから、普段あんまり見ない自分でも、ついつい目を通すことが増えました。

「継続は力なり」と言いますが、こういうポジティブな話題って伝染しやすいんですよね。
互いに褒め合う文化って、まさに「褒め得」やなと感じています。

自分の終わってる性格の話


ただ、そんな中で自分の性格を振り返ると、ほんまに終わってるなと思うことが多いです。
自分はそもそも「ええな!」と思ったことでもない限り、人を褒めるのが本当に苦手で、

撮影の時も動画見てる時も「まあいい勝負やな」とか「めっちゃすごい!」と思わない限り、ガヤすら入れられないくらい捻くれてる。
心の中には、捻くれた「老害五条君」が居座っていて、
「いやいやそれぐらい自分にもできてしまうかと☝️🤓」
「いやいやそれは既に通ってきた道かと☝️🤓」
「そもそも僕のコンセプト(価値観)と合わないかと☝️🤓」
とか、言い訳ばっかりしてるんですよね。

さらに、めちゃくちゃ「ええデッキ」や「すごいアイデア」を見ると、嫉妬心が爆発してしまい、素直に「すごい!」と言えない自分がいます。
結果、自爆して勝手に憂鬱になる。こんなことを繰り返してるのが現状です。

反省と思い出


この性格の原因の一つに、昔のニコニコ動画での経験があると思います。
デッキコンセプトが被ったり、視聴者にウケないデッキを投稿したりすると叩かれることがあって、その時の「後出しは悪だ」という考えが、今でも心のどこかに根付いている気がします。

そんな背景もあってか、Twitterでも褒める言葉よりも罵倒や文句のほうが多くなって、汚い自分を見せてしまう日々が続いています。

少しだけ変わりたい


無理に誰かを褒めちぎるつもりはありませんが、せめて「これええな!」と思ったものには素直に「ええやん」と言える自分になりたいなと思いました。
褒める文化に足を踏み入れたいと思う今日この頃です。

そんな仕事をサボってゲーセンを貪り歩いてたお猿さんが登場する動画はこちら。

みんなも褒め合うキャッチボールしてみよう。

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