岡本太郎と「夜の会」

 川崎市の岡本太郎美術館で今、「岡本太郎と夜―透明な混沌」展が開かれている(2022年5月8日まで)。規模は小さいが見逃せない。
  第二次大戦前夜、バタイユたちが結成した「社会学研究会」と秘密結社「アセファル」については、近年その実態がかなり明らかになりつつある。彼らは現代に「聖なるもの」を蘇らせるために、さまざまな宗教的実験などを行った。岡本太郎もその活動に参加していたのだ。
 彼の代表作のひとつ「夜」(1948年制作)は、まさに「アセファル」がパリ郊外のサンジェルマンの森の奥、雷に打たれた巨木の下で実践した儀礼を描いたものである。

岡本太郎「夜」
「夜」

 その活動が、戦後日本の文学、芸術運動の重要な源泉のひとつ「夜の会」の名前の由来となったのは、つくづく不思議な因縁であり、幸運である。岡本自身は生前、バタイユについてそれほど多くのことを語らなかったが、その影響は単に会の名前にとどまるものとは思えない。「夜の会」に集った作家たちの豪華な顔ぶれと、岡本の戦後の縦横無尽な活躍を見るなら、さらにその影響の内実を考えてみるべきだろう。
 私自身の論考は別の場にゆずり、ここでは会場に掲げられていた「夜の会」の要を得た説明を書き写しておくことにする。

「評論家・花田清輝と岡本太郎が中心となり、1948年1月に発足した、文学と美術の領域にまたがる前衛芸術の研究会。戦後復興期における芸術の改革を企図して結成された。当時岡本のアトリエに掛かっていた作品《夜》にちなみ、「夜の会」と名付けられた。
 主なメンバーは、野間宏、椎名鱗三、埴谷雄高、佐々木其一、安部公房、関根弘といった文学者や評論家。「夜の会」では、東中野のレストラン・モナミに集い、花田の「リアリズム序説」や、岡本の「対極主義」をはじめとする発表と、それに基づく公開討論を行った。
 「夜の会」自体の活動は1年ほどでフェードアウトしていった。しかし、花田・岡本がより美術的な場を持つべく、やや遅れて結成した「アヴァンギャルド芸術研究会(1948)」では絵画批評が活発に行われ、同会が若手文学者を中心とした会「世紀(1947,1949再編)」と合流した際には、絵画部を設立するなど、さまざまな芸術運動の起点となった。
 「夜の会」に端を発する一連の活動は、北代省三、山口勝弘といった、のちの「実験工房(1951)」メンバーにも刺激を与えた。」

「夜の会」

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