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旅の記憶 1994・夏 フンザ
![](https://assets.st-note.com/img/1708824228745-swcJTZvy13.jpg?width=1200)
30年前の夏
僕はパキスタンの山間の街
フンザにいた
![](https://assets.st-note.com/img/1708824589198-drganlNtlY.jpg?width=1200)
改めてフンザについて調べてみた
パキスタン北西部、7,000m級のカラコルムの峰々に抱かれたフンザの谷
フンザとはカリマバードを中心とした
谷の総称のことで
厳密には僕の訪れた街には
別の名前があったのかもしれない
![](https://assets.st-note.com/img/1708824913612-fxDMprt2hM.jpg?width=1200)
この地域には1974年まで
フンザ藩王国があり
「フンザ」とは「弓矢を持つ人」
という意味
春は杏や桃、アーモンドの花が咲き
夏には新緑に、秋はポプラや紅葉が谷を彩り
冬は雪を頂く山岳風景
その景色の美しさから
「現代の桃源郷」と謳われ
今も旅行者の憧れの地となっている
![](https://assets.st-note.com/img/1708824967874-bWPc8CfnNL.jpg?width=1200)
中国の国境を越えて
ようやくこの街にたどり着いた時の事は
よく覚えている
ただとても残念なことに
ここで撮ったモノクロフィルムは
フィルム現像の手順を間違えてしまい
フンザの写真を見ることはできなかった
![](https://assets.st-note.com/img/1708825194251-ZcqZ8xe5KE.jpg?width=1200)
なのでフンザについては
カラーネガを元に振り返ります
僕たちはこの街の麓で車を下り
歩いて山間の道を登って村を目指した
印象的だったのは村の人たちがみんな
通りすがりの僕たちに
「 ハロージャパーニー 」
と声をかけてくれたこと
中にはそのまま握手を求めてくる人もいた
![](https://assets.st-note.com/img/1708826405162-B8uvZV85se.jpg?width=1200)
なぜだろうと不思議だったが
この村は 日本人の有名な登山家
長谷川恒男のゆかりの村で
長谷川さんは、僕が訪れる3年前の1991年
村の奥にそびえる未踏峰を登山中
雪崩で亡くなったのだが
その後この村に
長谷川さんの奥様と有志の方々が
長谷川さんの願いだった学校を建設し
現在も多くの子供たちが学んでいる
なのでその当時から
この村の人たちは日本人の僕たちにすごく好意的だったようだ
![](https://assets.st-note.com/img/1708826485683-FMzUaqRhdp.jpg?width=1200)
周りをぐるりと山に囲まれ
遠くに見える山々は
いったいどれ程の高さなのか
想像できないほどのスケール感に
圧倒されていた
現代の桃源郷と呼ばれるフンザ
僕が訪れた8月は
花が咲き誇る時期ではなかったけれど
その景観は素晴らしかった
![](https://assets.st-note.com/img/1708826746167-DBkQLq4zDO.jpg?width=1200)
僕たちはここで
フンザインというホテルに泊まる
山間のこの村は電気は来ていたが
水は川の水をそのまま引いているらしく
シャワーを浴びようとすると
下方に見えた川の水と同じグレーの水が出てきたのを覚えている
![](https://assets.st-note.com/img/1708826655394-qWD7UZ7Lzi.jpg?width=1200)
このホテルのオーナーも気さくな人で
僕たちにとてもよくしてくれた
中国のホテルと違い
ここでは食事がついていて
オーナーが自慢の腕を振るってくれた
食事の給仕も1人でこなしていたオーナーは
僕たちが食べている姿を
嬉しそうに見て笑っていた
料理のほとんどは
パキスタンの伝統的な料理で
僕たちもそれを楽しんだ
ここでの写真が
あまり残っていないのが本当に残念で
ここは僕にとって
もう一度訪れてみたい場所の一つだ
パキスタンに至る前
シルクロード編はこちらのマガジンにまとめてあるので
良かったら見てみてください