[#48] 名前はありませんが、実は私、こういうモノです
先月は、名前がないほうが都合のいいときもあるぞという話だった。名前がないという状態がもたらすメリットについて、いろいろ考えてみたのだ。今月は、名前がない世界でいかに個々を認識するかということについて、掘り下げてみたい。
先月の最後に話題にした、「名称未設定」というテキスト書類を例にとってみよう。たくさんの情報を、メモ的に書き留めておくのには非常に手軽な仕組みである。しかし、じゃあ数多くあるメモ的ファイルをどうやって区別するのか?という話から考えてみる。つきつめてみると、個性ある名無し集団から、目的のモノを見つけ出すにはどうしたらいいのか?つまりは、外側から判断するアイデンティティーという問題になると思う。
"名前がない” というのは ”何でもいいということと同じ意味ではない。いや、まったく違うだろう。名前がなくても、それぞれのモノは大事な役割を持っていて、固有の情報を持った存在であるはずなのだ。国民総背番号制になったからといって、個人としてのオレがいなくなるわけではないのと同じだ。アップルのコマーシャル、「1984」のビデオに映っている囚人のような人たちも、それぞれ違う人間なのだ。今回の話を考え始めたのも、こうしたことが、これからのコンピニューター生活には絶対に必要なのでは、という思いからなのだ。
さて「名称未設定」ドキュメントの場合はどうか。当然なことながら、書いたメモの内容が大きなヒントになるだろう。書類の一部分でも見えていたら、それを頼りに目的のモノを見つけられるかもしれない。特に文字によるメモではなく、お絵かきソフトなどで描き散らかしている画像の場合、検索できるテキスト要素がないので、目で見える要素である描いた内容が判断の重要な役割となる。
一方で、情報が画面上のどこに位置しているかというのも大事な情報の1つだ。ファイルは自由な位置に、好きな大きさで置いておける。せっかく用意されている位置という情報を使わない手はない。画面の邪魔にならない場所に置いておく、ということは皆よくやることだと思う。特に古くからのMacユーザーは、Finderのウィンドウを好きな位置に配置しておき、それを記憶することで作業の効率化を図ってきたと思う。情報は必要なときに探すというのではなく、常にモノはそこにあることとして扱ってきた。Macを使ううえで、やはりこの位置情報というのは大事なことなのである。
名前がなくても大量の情報を判別できる例として、忘れてはならないのが写真だ。「iPhoto」を思い出してほしい。このソフト、登場以来あまり変化がなく、もっと進化してほしいアプリケーションのNo.1なのだが、何はともあれ大量の写真の中から目的のモノを見つけ出すことはできる。iPhotoに限らずこの手の画像カタログソフトは、程度の差こそあれ、キチンと大量の写真の中から目的の情報を探し出す手伝いをしてくれるそれぞれの写真に名前など付けておかなくても、ばらばらと見ていくことで画像を見つけられるのだ。
それに対し「iTunes」では、同様の手法で曲を探すことはできない。曲の名前/アーティストの名前/アルバムの名前。そういう曲に付随する情報から探すしかない。探すというか、ある曲を特定するという作業が、写真の場合と音楽の場合では大きく異なることに気が付く。……というほどの新事実ではないが(笑)。
大事なことは、オーバービューできる情報は手軽に扱える、ということだ。画像はどんなに小さくなっても、何となくそのモノが持つ大事な雰囲気は残されている。だから縮小画像で一覧表示されても、けっこう簡単に認識できるのだ。音楽はそうはいかない。すべての曲が一気に再生されても認識できるはずはない。一度に認識できる大量の情報というのは、やはり視覚的なモノとなる。つまり曲の場合は、目に見える名前などに頼らなくてはいけないわけである。
そして画像の場合は、オーバービューが縮小という手軽な方法で実現できることも見逃せない事実だ。例えば仮に音楽がたくさん鳴っている状態で、個々の曲を聞き分けられる耳を持ったすごい人がいたとしよう。しかし音楽には長さがあるので、ただ流すだけでは時間がかかってしまう。一瞬で判断することなど無理だ。さびの部分のみ抜き出すなどの工夫が必要になる。しかし、その作業は画像の縮小と比べて、はるかに難しい作業であることは想像に難くない。オーバービューを容易に作成できるモノ、つまり情報を圧縮する容易な方法があるかないか、これが、名無しのモノを扱うための重要な要因となってくるように思うのだ。
Pantherになってわれわれが手にしたExposé。この便利さには、Mac OS 9までの操作感を覆すような衝撃があったのだが、実はこの新機能は、位置情報 / 情報の圧縮 / アニメーション機能など、これまでのユーザー・エクスペリエンスの延長上にあったモノだということが理解できる。
今後は、オーバービュー的発想が、視覚的なモノ以外にも応用が広がっていくと面白い。例えばすでに実装されている要約サービス。まだまだ日本語で使うと、とんでもない結果になるが、これも1つのオーバービューだ。オーバービューを提供できるモノは名前を付けなくても扱うことができそうだ。そういう仕組みが今後Finderに取り入れられていってほしいな、と思う。そしてiPhotoみたいなソフトは、シームレスに統合されていってほしい。次期Windowsが先にそういう動きになっているのが残念なのだが(笑)。ファイルには名前を付けなくちゃいけない、ということが過去のものになる日も近いかもしれない、と思う今日このごろです。
バスケ(http://saryo.org/basuke/)
VAIO type-Uを買いました。電車の中でのPDFやQuickTimeのビューアーとして大活躍です。そしてSmalltalk デビュー。Squeakをインストールして勉強中。キーボードがあったほうがいいとは思うんですが、持ち歩ける環境でSmalitalkというのが結構あこがれだったので。
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