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箕輪編集室に入って1年が経ちました
bannerphoto/えんどぅ
昨年の5月11日
僕は大阪のマクドナルドで箕輪編集室というオンラインサロンの申し込みページを見ていた。
箕輪さんって面白い人だなぁ。
ここに入ったら動画をやってる人がいるのかな?
自信が持てない迷い人だった僕は、ここに入れば何か変われるかもしれない。
そんな期待も少しあった。
でも、
6000円か…
1年間で6000×12=72000
と電卓を叩いたのは今でも覚えている。
1000人で締め切ります。という文言を素直に受け取り、後悔しないようにしよう。合わなかったら1ヶ月でやめればいいし。
僕はそんな気持ちで申し込みボタンを押した。
限定っていう言葉も大きかったけど、インスピレーションを受けました。
— ばっし〜(23)/Kazuki Ishibashi (@sn_kazu515) May 11, 2018
よろしくお願いします。
箕輪編集室 - クラウドファンディングCAMPFIRE https://t.co/6kCnQA2ski @campfirejpさんから
この時、僕は新卒の管理栄養士として病院で働いていた。
働いて3日後くらいには閉塞感を感じていて、仕事以外の活動をしないと、視野が狭くなると思った。
みの編に入ってすぐスレッドに自己紹介を書いた。
何者でもない自分の自己紹介文にはそんなに反応もなかった(当たり前)
当時、関西チームのリーダーであったトムさんがコメントしてくれた。
そのコメントで少し受け入れられた気がした。
僕は動画を作りたかったので、翌月にある新歓のオープニング動画の募集に『やります!」と手を挙げた。
この時めちゃくちゃ緊張した。
ハイスペックのPCがあるわけでもなく、どんな動画編集ソフトがあるかあまりわかってなかった。
確かこの手をあげる前に、箕輪さんがバカになって飛んで帳尻は後から合わせろ的なこと言ってて、それをそのまま信じたバカだったと今では思う。
この動画編集をきっかけに動画編集ソフトアフターエフェクトを知った。、必死に構成を考え、書き出しに半日かかるようなPCで作ったのは今ではいい思い出。
できた動画を持って初心者なのに図々しく、現在の師範であるタカオミさんにフィードバックしてくださいとDMを送った。
初心者にも関わらずタカオミさんは丁寧にフィードバックをしてくれた。
が言ってることが半分くらいしか理解できなかった。こんな専門用語があるんだ〜って思ってました。
このときの対応が丁寧すぎて、ビジュアルとのギャップにやられた。
そして、動画も作ったし、みの編をやめようと思っていた。
Facebookが見にくくてよくわからなかった。
そんな時に関西でイベントが立てられた。
ライブビューイングというイベントで、定例会と呼ばれるものをみんなで見るらしい。
たまたま参加者募集がラスト1枠空いていたので、行くことにした。
このイベントでトムさんや綾さん、今井さんと出会った。
運営の話とか聞いているとやっぱり大変なんだなって思った。
確か関西チームを増やしたい的な話だったような気がする。
苦労を聞いてると、なぜかわからないけど、もうちょっとみの編のことが知りたくなった。
それと、関西チームこれから増えていくんだ〜と思って、もう少し居ようと思った。
このオフラインで出会わなかったら、みの編辞めていたかも。
オフラインで会う大切さを感じた。
そこから関西チームが第2フェーズに入っていった。
昨年7月の新歓を機に、U-30世代が一気に活動したように思う。
このときの新歓の2次会で話したメンバーとは今でも仲良くさせてもらっている。また集まりたいなぁ。
9月には箕輪さんのドキュメンタリー映画「箕輪大陸」が大阪で上映されることになった。
僕はこの活動では、PR動画を作らせてもらった。
このイベント絶対成功させよう。
— ばっし〜(23)/Kazuki Ishibashi (@sn_kazu515) September 10, 2018
ぜひ来てください!!(大声)https://t.co/PSFDjpdWVm#箕輪大陸大阪#箕輪編集室#9月27日#グランフロントナレッジシアター pic.twitter.com/n5eY5hZ87I
この動画で少しみの編の方に認知された気がする。
クラウドファンディンングでお金を集めるときの関西チームの一体感はすごかった。
箕輪大陸大阪は無事開催され、それがきっかけで関西に箕輪編集室が広まった。
箕輪大陸大阪が終わって、誕生日会とか新歓とかそんな感じのイベントをやってた気がする。
僕はこの時期、前田デザイン室にコミットしていたこともあって、みの編の活動は控えめになっていった。
みの編の活動はとても楽しく、学びのあるものが多かった。
みの編を受動的に楽しんでいたと思う。
このとき、「何者かになれ!」という雰囲気とのギャップを感じていた。
このまま普通に楽しんでいて何者かになれるのか?と思っていた。
動画は作り続けていたが、そこまで上達することもなかった。
そんなこんなで、年末を迎える。
みの編を普通に楽しんでいたら、サブリーダーの推薦を頂いた。
このとき、もうひとりのサブリーダーみちるんとリーダーのえんどぅはセブに行くことが決まっていた。
2人がいない間、リーダー的ポジションになるのは、想像に難くなかった。
外部案件の奈良健康ランドもあったし、ぶっちゃけまじかよと心の中では思っていた。
やりたくないこともやらないといけないのかなと思うと、急に「want」だったことが「must」になるのを感じて、少しみの編のことが嫌いになりかけていた。
でも、サブリーダーを任してもらえることは光栄なことと思って、引き受けることにした。
嫌嫌やることは絶対にしないでおこうと思った。
この時、ある本を読んだことを思い出す。
「君が生きる意味」という本だ。
この本には、人間とは人生から問われる存在だと書かれていた。
人生からの問いに全力で応える。
今を生きると同等の意味に捉えていた。
さらに、この本には「無我夢中」は我を無くすことで、夢は手の中に入ってくると書かれていた。
誰かのためになることをやっていれば、回り回って自分のやりたいことができるんだなと解釈した。
この本がきっかけで自分に何者だ!と問い続けることをやめ、誰かのために、人生からの問いに、答え続けた。
この本のおかげで今の自分があるといっても過言ではない。
そこからあらゆることに対して、圧倒的な当事者意識を持ち、物事に取り組んでいった。
その結果、いろんな人に認知されるようになり、信頼してもらえうようになった。
ほんの少し自信が持てるようになった。
そして圧倒的に手を動かしているとオーナーから名前を呼んでもらえるようになった。
神様!お疲れ!みなさん、動画作りはばっしーに発注を。根性あります https://t.co/N8jx2J9Ah8
— 箕輪厚介(アジア進出)死ぬこと以外かすり傷 (@minowanowa) May 12, 2019
1年前は、自分に自信が持てない迷い人だったが、今はやりたい方向性も決まりつつあるので、コツコツやっていこうと思う。
みの編には、いやみの編以外でも生きていれば変われるチャンスがたくさん転がっている。
だけど、そのチャンスを掴めるかは掴もうとした者だけなんだと思う。
その感覚をみの編で学べたことは、今後の人生においてとても大きいものになるはずだ。
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