見出し画像

アメリカ行きのBASSに乗って

プロローグ

僕がB.A.S.Sへの参戦を決意したのは、JBバスプロ一年目の2000年の春のことだった。チャプタートーナメントに2年参戦し、3年目(バス釣りを始めて4年目)にJBバスプロ登録をした。満を持して望んだプロシリーズは、僕の想像していたものとは大きく異なっていた。参加人数は1000人を超え、出艇するまでに2時間近くを要し、どこにいってもボートだらけ。結局、帰着の際に立ち寄ったスロープ沖のウィードモスでキロフィッシュを1本手にしただけだった。それは、正直「プロトーナメント」といえるようなものではなかった。それは、B.A.S.S.のトーナメントを体験した後に、なおさらそれを実感できた。この初戦終了後から「このまま、JBプロを続けることが、本当に僕がしたいことなのだろうか?」と考え始めた。そのとき、すでに心の中では、日本でバスプロとして続けていく気はなかったといえる。

アメリカには、いつかは行きたいと思っていた。日本である程度の成績を残してから行こうと思っていた。しかし、日本で続けていくモチベーションを維持していく自信がなかった。「日本で成績を残してから行ってもゼロから。何もなくて行ってもゼロから。とにかく、まずは本場のトーナメントを体験してみたい」いつしかそう思うようになった。

何から手を付ければいいのか。まずは、B.A.S.S.トーナメント記事を扱っているBASSER誌に連絡してみた。すると、日本人でも参戦しやすいUSオープンへの参戦を薦められた。そして、その出場手続きについて教えてもらった。USオープンは、オープントーナメントで日本人や外国人の参加者が多いため、外国人には参加しやすい。

さっそく本部にはアクセスしてみたが、なぜか心の蟠りはすっきりとしない。「なぜ、本場アメリカのトーナメントに出たいのか?」再度自分自身に問うてみた。「本場アメリカのトーナメントといえば、B.A.S.S.。どうせ時間とお金をかけるならば、B.A.S.S.に出たい」僕の気持ちはそうだった。

心のもやもやがすっきりしたように感じた。幸い、僕は2年前からB.A.S.Sの会員だったので、トーナメントスケジュールとかは、会報誌バスマスターマガジンから得ていた。さっそくエントリーの手続きを行った。

ウェスタンディビジョンへ

まず、出場するトーナメントを決める。トーナメントディビジョンは、WEATERN、CENTRAL、EASTERNの3つ。歴史が浅いWESTERNは、比較的外国人が参加しやすいというメリットはあるが、やはり本場はCENTRALかEASTERNである。

CENTRALかEASTERNは、レベルも高く外国人も少なく色んな意味で難しいが、やるからにはCENTRALかEASTERNでやりたかった。さっそくエントリーするために本部に連絡する。

エントリーは電話か封書でのみ行うことができる。封書は時間が係るので、電話することにした。しかし、CENTRALかEASTERNのトーナメントは、100人待ちの状態だった。WESTERNは、参加できるとのことなので、10月5日~7日のワシントン州コロンビアリバーにエントリーした。7月末のことだった。

コロンビアリバー

ワシントンインビテーショナルが、開催されるトーナメントエリアは、北米西岸のワシントン州からオレゴン州に流れるコロンビアリバー。ツアーマガジンは、現地のレジストレーションでもらったが、これを事前に読んでおけば、対応も変わっていただろう。情報の大切さを痛感じた・・・。

<ツアーマガジンでのコロンビアリバーの解説>

上流か下流か?ロックエリアかウィードエリアか?スモールマウスかラージマウスか?トーナメントのアングラーは、この難しくも楽しい決断に直面する。

上流部は一般的にロックエリアの20lbクラスのスモールねらい、また同時に下流部では、ハイドリラでの同サイズのラージをねらう事が出来る。1998年のバスマスタートーナメントでの勝者は、フィネスタクティクスを用い40lb13ozのウエイトを持ち込んで優勝した。

数百マイルもワシントン州からオレゴン州に流れるコロンビアリバーは、ダムによってコントロールされ、様々なプールを持つ。ウエスタンインビテーショナルの開催される二つのメインエリアは、60マイルものワルーラプールで、さらにすぐ下流に60マイルもの別のプ-ルがある。双方ともクリアウォーターであるが、魚が付く様々なロックエリアやウィードエリアによる。

実際、上流に向かうか下流に向かうかの決断は、往々にしてカレントの強さに関わってくる。バスは、流れが増すとアクティブになるが、特にワルーラプールの上流にあるプリエストラピッドダムが作る強い流れは、極端にボート操船を難しくする。それは、ワルーラプールの下流にあるマクナリダムが開いた時の流れも同じ事だ。

ワルーラプールでは、ヤキマリバー入り口のケネウィック北側が人気エリアである。ここは、1998年に優勝者を出した場所でもあり、パターンは、ヤキマリバーの入り口にあたるベイトマンアイランドの近くでスモールワームとライトラインを使用したドラッギングでボトムをゆっくりと釣るものだった。コロンビアリバーは、そこで大きくベンドし、ヤキマリバーはベンドに流れ込みシャロー、ディープ双方に優れたストラクチャーを形成している。そこは、スモールマウスのベストスポットとして知られている。

コンディションにもよるが、ハンフォードリーチとして知られる川の上流部に向かうものもいる。ケネウィックの50マイル北に位置するコロンビアは、本当に岩にあふれた川である。流れがきついと操船は、難しくなるが、スモールマウスは活動的になる。ロックエリアでは5キャストで20lbキャッチできる。ラージを狙うフッィシャーは、バーバンクスローと呼ばれるスネイクリバーの入り口に位置するハイドリラを狙う。8lbラインのスモールワームを使うかわりに、ハンフォードリーチでは、20lbでバスベイトを使う。それは、北西におけるベストな南部スタイルだ。

マクナリダムは、ボーターが100マイルちかいと感じる時もあるが、バーバンクより10マイル下流に位置し、180度ベンドすると同時に狭くなって行く。北西風が岩場通ると、上流部が穏やかであっても急激に大荒れとなる。いずれにしても、秋のコロンビアリバーのメインパターンは、バスが探しやすいルアーチョイスをすることだ。スモールマウスとスモールワームの上流部パターン、そして、ラージマウスのハードパターンの下流部という本当に困難な選択を迫られる。

ツアーマガジン

エントリーに向けて

エントリーするためには、$600とプロ登録費の$100が必要で、クレジットカードで支払う。数日後に支払書が届き、さらに数日後に冊子が郵送で届きました。もちろんすべて英語。内容は、トーナメント日程や、プラクティス日程、トーナメントエリア、レジストレーションの日時、ブリーフィングの日時、フィッシングライセンスなど。まずは、判らないことだらけ。

レジストレーションって何?ブリーフィング?ライセンスはどこで?おまけに日時の後には(PACIFIC)とある。これって場所?ルールブック参照とあるけどルールブックってないよ。戸惑いまくりである。問い合わせてみると、PACIFICとは“大西洋時間で”という意味。確かにアメリカは、西と東で4時間ほどの時差がある。どこの時間かを明確にする必要があるわけです。なるほどと思う。ルールブックについては、9月の中旬に送るとのこと。すべてを読破する必要があるため、厳しいなぁと思いました。

航空券の予約とレンタカーの予約も入れ、準備を進める。しかし、9月の中旬を過ぎてもルールブックは来ない。問い合わせるとFAXしようかと言われるが、その日にパッケージが届きました。出発の1週間前。封を開けてみると、あるわあるわ。ルールブックだけでなく色んな紙がいっぱい入っている。

ATTENTION!とかNOTICE!とかいっぱい。さっそく訳しにかかる。毎日仕事から帰ってきて深夜2時くらいまで、まるで受験生。さらに読み進めていくうちに、新たな事実も持ち上がる。今回のトーナメントエリアは、ワシントン州とオレゴン州に跨っているため、行く、行かないに関わらず双方の州のフィッシングライセンスが必要とのこと。それもオレゴン州のライセンスはオレゴン州でしか買えない。滞在地は、ワシントン州ではあるが、到着初日には、アメリカでの初ドライブで、そのままオレゴン州まで行かなければならない。時間は40分くらいだといっていたが、現地人でだろ?僕が行ったら何時間かかるやら・・。JAFに行き、AAA(アメリカ自動車協会)の地図をもらい、ディスカウントカードをもらう。この会員カードをもらっておくと、アメリカでJAFと同等のサービスを受けることができる。レンタカーの割引もある。今ならインターネットでチョチョイかもしませんが、当時は地図ソフトもオフライン。印刷した地図をみながらシミュレーションするが、フリーウェイも何種類もあり、これは行ってみないと判らないなぁと覚悟を決める。

レジストレーションとは、最終的な登録(エントリー)の意味で、ライセンスの提示や宿泊先の申告などを行う旨が書いてありました。場所はモーテルで、さっそくそのモーテルに宿泊の予約を入れる。ブリーフィングとは、“ルールの説明や初日のパートナーを発表するミーティングで、高校の講堂で行う”とある。なんとなく判ってきたが、本当に大丈夫だろうかという不安はいつまでもぬぐえない。

出発の前日になって、やっとすべてのルールを訳し終える。ここまできたら、もう野となれ山となれだ。行くしかない。2000年10月1日、関西国際空港からシアトルに向けて飛び立った。

オレゴンまでの“遠い”道のり

10月1日にシアトルに到着。そこから更に国内線でパスコまで行く。1時間弱だが、30人ほどのプロペラ機で、すこぶる不安だった。トーナメントエリアであるコロンビアリバーを眼下に見ながら飛んでいく。広大や景色とコンビアリバー。気持ちは高ぶっていくが、オレゴン州までいかねばならない不安はぬぐえない。

午後2時、パスコに到着。レンタカーの手続きを行い。いざ車へ。まずは、サイドブレーキやライトなどの扱いをチェック。少し駐車場内で練習し、いざ出陣。ちなみに、この当時、ナビゲーションシステムは標準装備されていない。助手席に印刷して持参した地図を置いて出発。まずはコンビアリバーを渡るべく南下する。つもりだったが、いつまで走っても川がない。引き返して空港からもう一度やり直し。今度は橋を渡ることができた。実は、もうそれはフリーウェイの上だった。

標識やEXITのサインがあるが、いったいどっちへいったらよいのか?「オレゴン」という標識は当然ながら無い。フリーウェイを一周し、再び空港付近までもどってしまう。「こえ~よ~」と呟くも、誰も助けてくれやしない。地図で行き先の地名を確認しながら、慎重に南下していく。南下するフリーウェイにのったらあとは一直線。再びコンビアリバーを超えたらそこがオレゴン州だ。走り続けること50分。

コロンビアリバーを超えたところで、CROSS ROADというバーレストランが併設したガソリンスタンドがある。アメリカ映画でよく見るガソリンスタンドのあれだ。見るとバスボートを引いているトラックが見えた。僕は、吸い込まれるように入っていった。

そのバーレストランのレジで、フィッシングライセンスがほしいというと、隣の売店で買えるとのこと。「やったー」という気分だ。さっそく売店に向かいライセンスを買うことに。

ライセンスを買うために必要なのは、住所と電話番号と社会保障番号。僕は外国人なので、アメリカに住所はない。レジのオジサンも戸惑っている。オジサンは、ソーシャルセキュリティカード(社会保障カード)を見せろという。僕は、旅行客なので持っていないというと、それでは無理だという。このやりとりをしていると、ひとりのバスアングラーが入ってきて、「どうしんたんだ?」と声をかけてくれた。

コンビアリバーのトーナメントに出るために日本から来たこと、そしてライセンスを購入するために社会保障カードを求められていることを伝えた。彼が、オジサンに話をつけてくれ、オジサンはどこかに電話で確認をとりながら、何とかパスポートと宿泊先の住所でなんとか買うことができた。プラクティスと本番で6日間。3日と4日のライセンスを買って、$40ほどだった。

助けてくれた彼は、ナイトロチームのマイク・ボールドウィン。彼は、僕が一人でトーナメントに出るために来たことに少々驚いていた。その一連のやり取りを後ろで見ていた現地の若者が、何しに来たんだ?と野次を入れる。彼が、トーナメントの説明をしてくれ、僕が日本から来たことを説明してくれた。その若者は、「こんなとこまで、釣りしに?クレイジー!?」と嘲笑していた。 帰りの道のりは比較的慣れてきて写真をとる余裕もできた。マイクの車が手を振って横を通りすぎていく。

車内からの撮影。少し余裕が出てきた?

フィッシングライセンス売り切れ事件

迷いながらもなんとか、宿泊先であるラマダ・インに到着。しかし、ライセンスの呪縛からはまだ解けない。次は、ワシントン州のライセンスが必要なのだ。幸いラマダ・インのマネージャーは日本語が少々できた。ライセンスが購入できるスーパーを教えてもらいさっそく町へでる。歩いてはいけないのでまた車だ。時間は5時。日没は7時くらいとのこと。日没までには戻りたいと思っていた。

ヘッドクオーターでもあるラマダ・イン。僕の宿泊先でもある。”WELCOME BASS MASTAERS TOURNAMENT”の文字が見えるだろうか。インビテーショナルとは、地域がBASSトーナメントを招待するという意味なのだ

聞いた通りの道を行ってもそんなスーパーはない。迷いに迷って、結局買えずじまいでモーテルに戻る。お店も7時には閉まってしまう。フロントの女の子に再び道を聞く。日本の感覚よりもストリートの感覚が広く、距離が遠いことが抜け目だった。僕の行ったもっと先まで行かなければならなかったのだ。翌朝、再度チャレンジする決意をして床に就く。その日は死んだように眠った・・。

翌朝、さっそく出かける。今度は順調にそのスーパーに着いた。しかし、ライセンスは売り切れてしまって無いという。昨晩すべて売り切れたとのこと。そうか、参戦者が皆、昨日買ったからだ。そこで、他で購入できるところを聞いてさらに遠くのスーパーを目指す。途中、工事中で渋滞もあったが、アメリカ人はマナーがいい。すぐに割り込ませてくれるし、あおったりしない。そして、何とか巨大スーパー、FRED MYEARSにたどりつく。

そこでライセンスがほしいというと、そこも売り切れだという。他の店を聞いても知らないという。K-MARTやWALL-MARTで買えると聞いていたので聞いてみると、それは隣町だった。隣町とはいえ、日本の隣町とは訳が違う。どうしてもいるのだといっても、ないのだから仕方ないといわれる。どうすればいいかと聞いても、判らないという。そりゃそうだ。 しつこく聞いていると、年間ライセンスならあるという。いくらかと聞くと$40程。「早く言えよ!」という気分。2日分のライセンスを3つかうと$24。差は$16程。これから探し続ける手間やリスクを思えば、何も問題ない。「Give me it!」。やっとライセンスがそろった。もう午後を過ぎていた。

ラマダ・インの駐車場。BASSMASTERのトラック。これを見るといやでも興奮してくるのだ

プラクティスに向けて

さまよっている時に見つけたバーガーキングで昼食をとる。ハンバーガーだけでなく、プレイルームのスケールのでかさに思わず写真を撮ってしまった。

BURGER KINGという建物は実は子供のためのプレイルーム。バカでかいアステチックがある。左の低い建物が食事するところだ。遊ぶ場所の方が大きい・・・

モーテルに戻るとコンテンダー(競技者)達は、当然コロンビアリバーの上。プラクティスを行うボートが右往左往し、スロープから出て、すぐ近くでキャストしているものもいる。僕はノンボーターであるためボートがない。プラクティスには、誰かに同船させてもらうつもりでいたが、みんなはもう川の上。モーテルのマネージャーが掲示板に張り出してくれるといったが、まずは自分で探してみると応えた。

スロープ近くで陸っぱりをしながらコンテンダー達が帰ってきた時を捕まえようと考える。ロッドを一本もって陸っぱり開始。リグはテキサスリグ。まずは遠投してみる。以外と深いかもしれない。次に陸っぱりの基本、ショアラインをターゲットにする。ロックエリアのポケットやシェードをピッチングで入れていく。

あるポケットに入れた時一気に持っていかれ岩に入られてしまう。さほど大きな魚ではなかったが、引きは半端ではなかった。そのまま魚は出てくることなくラインブレイクしてしまった。少し沖の窪みに入れるとアタリがあったが乗らなかった。それに誘われて30cmくらいのバスがうろうろしている。誘ってみるが反応はしない。車を止め、上から見ていた老夫婦が、「ボートを無くしたのかい?」と冗談を言って笑った。それから、少々雑談をした。

コロンビアリバー。ラマダインより撮影。広いところでは、琵琶湖の南湖くらいの幅はあった

そうこうしているうちに16時を過ぎた。コンテンダー達がスロープに帰ってくる。さっそく待ち構えるが、みんなボートを上げるとそのまま、モーテルの駐車場へに向かってしまうため、声を掛けるチャンスがない。モーテルの駐車場で待った方がいい!そう気づいて、走ってモーテルへ戻る。すでに3~4艇のボートが後片付けをしている。片っ端から声をかけるつもりだ。1人目は、首尾よく断られた。2人目は、チャンピオンボートでリグを作っている。

「日本から来たんだけど、ノンボーターでプラクティスが出来ないんです。明日のプラクティスを同船させてもらえませんか?」と声を掛ける。

「What’s your name?」

「My name is TOSHIAKI MIKAWA」と応えると、彼はサングラスを外しながら、こう答えながら、右手を差し出した。

「MY name is SKEET REESE」

「!? スキート・リースだぁ~!」

あの西岸の名実共にスター スキート・リース。彼が西部のアングラーの名を全米に知らしめたのだ。とてもナイス・ガイだった

僕の頭は真っ白になって次の言葉が出なかった。スキート・リースにプラの同船をお願いしてしまったのだ。スキートは、「取材を乗せるから無理なんだ。見つからなかったら、探してあげるよ」と言ってくれた。僕は、夢中でこの地でバス釣りをすることが目標だったと話した。スキートは、嫌がらずに聞いてくれ、WCFのボートレースで優勝したことを話してくれた。それから、トーナメント期間中、どこであっても、手を振ってくれた。いい人だぁ~。

彼の愛艇 チャンピオンボート。WCFのボートレースで優勝したとのこと

スキートとの写真を撮ってくれた人とそのまま立ち話。

「一人で来たのかい?」

「これに出るのが僕の夢の一つだったんです」

「ボートはどうしてる?」

「ノンボーターなんです」

スキートが、間に入って話を進めてくれる。

「じゃあ、僕でよければのせてあげるよ」

「!!サンキューベリマッチ!!」

それが、それから色々とお世話になるエディーとの出会いだった。明日の待ち合わせの時間を決めて、一度部屋に戻った。午後7時頃、となりのステーキハウスにディナーを食べに行くことにした。注文に少々戸惑った。それを見ていた、上の席にいるコンテンダーが「トーナメントかい?」と聞いてきた。

「そうだよ」と応えると「Disturb(じゃまもの)」といった。最初は意味が分からなかったが、意味が分かってから、所詮、そういう見方をされても仕方がないものかと悲しくなった。待っているとエディーがやってきて「一緒に食べてもいいかい?」という。もちろん「Sure」だ。さっきのコンテンダーが「こいつは英語もろくにできやしない云々」といっていたが、エディーは「彼は自分の話すことを理解するし、GOOD Speakerだ」とかばってくれた。

涙が出そうなくらい嬉しかった。僕は「明日、君と一緒にプラクティスに行った場所(エリア)は、絶対にトーナメントのボーターには提案しない。約束する」といった。すると彼は「行きたいといってくれれば、いってもいいよ」と言ってくれた。また、涙が出そうなくらい嬉しくて次の言葉が出なかった。無言のまま大きすぎるステーキを食べた。 店を出てモーテルまでの道で、明日プラクティスのメソッドについて話した。「Very Slow」だとエディーは言う。「Baby Brush Hogはでかすぎるか?」と訊くと、「Good Choice」だと云う。そして、エディーは、声を潜めていった。「しかし、ここだけの話だぞ。スモールリザードのグリーンパンプキンだ」。リザードは持っていなかったし、グリーンパンプキンもなかったが、ホグのウォーターメロンがある。彼は少し渋い表情をしたが、そのときは大した問題ではないと思っていた。

プラクティス1日目

約束の時間にパーキングに行くとエディーは待っていた。さっそく荷物を積み込んでスロープへ向かう。初めてのアメリカ。興奮は冷めやまないが、異常に寒い。僕は防寒着を持っていなかったため、エディーがほんとうにだいじょうぶか?と心配してくれた。

「大丈夫」と応えるしかない。しかし、寒い。彼のボートはストラトス22ftの225HPで異常に速い。寒さ倍増だ。彼の釣りは、キャロライナリグとスプリットショットリグ。ルアーはリザードだった。僕はリザードを持っていないため、ベイビーブラッシュホグのテキサスリグで始めるが、異常な程バイトがない。

シャローエリアで、ラージマウスの小バスを釣っただけで、結果として彼もノーフィッシュだった。いろんなエリアをまわったが、どこにいってもキャロライナリグのドラッギング。スプリットがいいと言われていたのでスプリットショットをやるも、流れが速くて浮き上がってしまう。

まじかよ、と思って彼のスプリットショットリグを見てみるとショットが異常にでかい。ウエイトを聞くと、1/4oz!「キャロだろそのウエィトは!」と日本語で呟く。2時過ぎにワイフが来るからといってボートを上げることに。そして、キャロのドラッギングメソッドが信じられないまま、ボートを上げた。

「アメリカでもこんな釣りがあるのか!?いや、彼の釣りは、正しくなかったのかもしれない」その時は、まだそう思っていた。ボートを上げる時、彼が明日のプラクティスのパートナーを紹介してくれるという。願ってもない。これで明日もプラクティスが出来る。

その日の夜は、レジストレーションが本部のあるモーテルで行われる。幸い僕の宿泊しているモーテルだ。彼に何が必要かと聞くとフィッシングライセンスが必要だと教えてくれた。レジストレーションまで、少し時間があったので、明日のブリーフィングの会場である、ケネウィックハイスクールの下見に行くことにした。

ブリーフィングは、その高校の講堂で行われるのだ。ストリートを確認しながら現地にいってみたが、確かにその辺りだろうけどそれらしいものがない。あるのだけれども広い駐車場とフェンスに囲まれた芝生。どこが高校で入り口なのかも判らない。確認できないまま、困ったものだとモーテルに戻った。

レジストレーション

午後18:30~19:30までがレジストレーションの時間。18:00過ぎにモーテルの階上に行くとすでに人が並んでいる。その先で何が行われているのか判らないがとりあえず並ぶ。その場がコンテンダーの集う最初の日であるため、みんな挨拶に忙しい。

僕は一人なので、その雰囲気を楽しむばかり。待つこと30分、いよいよ僕の番だ。まず、最初のデスクでライセンスを見せ、オフィシャルエントリーフォームにサインをする。次に何かを言われるが判らない。父か母かとか訊いている。僕は連れがいるかと訊かれているのだと思い。「By myself」というが違うらしい。後ろのビールを飲みながら騒いで並んでいる人が「Oh、Baby~」とからかう。たまたま、今回から参戦している日本人のU氏が、助けてくれた。

彼はボートディーラーと知り合いで外人の友達が多い。つまりは、保険の受取人を誰にするかということ。「ワイフ」と応える。次はワッペンをチェック。そのときは付けていなかったが、ベストに付けているといった。シールタイプのワッペンをくれた。至れり尽せりだ。ワッペンがないから出場させないってことなんかない。

それからスポンサーのサイトを順に回り、ラインやルアー、フックをもらう。最後に市長らしき人がいて、日本から来た事を非常に喜んでくれた。フックなんて束でくれた。エントリーフィーも高いが参加賞も多い。

会場を出るとエディーがいて彼の奥様を紹介してくれた。そこでエディーが明日のプラクティスのパートナーのレイを紹介してくれた。気のよさそうなオジサンだった。僕は、調子にのって明日のブリーフィングに一緒に連れて行ってほしいとお願いした。エディーはすぐにOKしてくれた。 それから、その場で知り合った、B誌のジャーナリスト、S氏の計らいであの桐山プロとウエスタン参戦中の宮崎プロとの夕食の場を設けてくれた。チャイニーズを食べに行った。桐山プロは非常に気さくな方で、おもしろく豪快な人だった。宮崎プロも、もしパートナーが見つからなければプラクティスに同船させてくれるつもりだったみたいだ。桐山プロも宮崎プロも、今回のトーナメントはかなり苦戦を強いられると話していた。緊張のまま夕食を終え、帰路についた。明日の準備をして床につく。

プラクティス2日目

少し遅めの8時に待ち合わせたが7:30くらいにいくと、レイはすっかり準備を終えていて、さっそく出発することになった。スロープから川に出るまでに、やはりレイも寒くないかと心配していた。寒い。3℃くらいだ。それからレイは今日のプランを話し始めた。午後からロッドを探しに行くという。何のことか判らなかったが、どうやら昨日のプラのときにロッドを落としたらしい。ステラとルーミスの組み合わせで$700だといっていた。それは痛い。僕も協力すると言った。

レイのボートはレンジャーで200HP。やはり速い。レイの釣り方はエディーと少し違っていた。エディーがショアラインに近いディープを流して行くのに対し、レイは、ハンプやウィードなどに的を絞って釣る。僕はこういった釣りが好きだ。レイは、ポリスマンをしていて、定年後はハンティングだけしかやっていないという。まぁ、バスフィッシングもハンティングの一つではある。ただ、1998年のクラッシックに出場し、TOP150では16位が最高位だといっていた。意外とすごいオジサンだ。

しばらくしてからヤキマリバーとのインターセクションに入る。ブレイクがあり、ボトムには沈み木がある。いい感じだ。そこでレイはトレブルフックに1ozほどのおもりをつけたものでスナッギングを始める。ロッド探しだ。僕も手伝うというと、おまえは釣りをしていろという。10分ほどやっていたが、諦めたのか移動しようといって上流へ向かった。

上流に向かう途中、レイが急に失速させ岸に近づいて行く。何かと思えばダイバーがいる。レイは彼らにロッドを探してもらうと言っていた。僕はそんなことが出来るのかと思っていたが、彼らはOKといった。人命救助の練習中だったそうで、結局2人のダイバーをバウに座らせ、無くしたエリアに向かう。そこで準備をし、ダイバーが潜る。20分くらいたっただろうか。一人のダイバーがロッドを持って上がってきた。「it's mine!」レイの喜び様は異常なくらいだった。確かにそうだろう。一度は諦めていたものだ。

それからまたダイバーを乗せ戻った。レイは$50づつ渡すといっていたが、彼らは受け取らなかった。レイも譲らなかったので結局$20渡したようだ。上機嫌で釣りを再開する。しかし、アメリカという国は偉大だ。日本ではまず考えられない。一人の釣り人のために、そこまでやるとは。責任が取れないだとかなんとかで日本ではまず有り得ない話だと感じた。アメリカの懐の深さを感じさせられた出来事だった。

レイとは、色々と世間話をしながら釣りをした。レイは、日本のハイコストに驚いていた。確かにボートを降ろすのに毎回2500円、駐艇料が年間20万、ガソリンだって4倍くらい。何もかもがハイコストだ。レイは、僕のことをリッチマンだと何度も言っていた。僕は「リッチマンなんかじゃない。ただ、アメリカでバス釣りをしたいだけなんだ。ただ、そのためには、少しリッチにならなければならない」といった。レイは、「そうなれるように願っているよ」いってくれた。それから、午後2時には、ボートを上げた。結局またしても二人してノーフィッシュだ。なんて釣れないところなんだ。琵琶湖の方がまだ釣れるぞ。ほんとにそんな感じだ。

レイは、ロッド探しで釣りをする時間が少なかったことを何度も申し訳なさそうに言った。僕はそんなことは気にしていなかった。ボートの清掃を手伝って、給油にも付いて行った。ガソリン代を出そうとすると「おまえは友達だからいらない」といって受け取らなかった。僕が、日本土産だといって、新品のTDバイブをあげると、とても喜んでくれた。これは、パートナーのためにと、僕が日本から準備していったものだ。 それから、レイが昼食に誘ってくれてバーガーキングで昼食をごちそうしてくれた。その上、レンジャーとトライトンの帽子までくれ、トーナメント期間中ジャケットを貸してくれるといってくれた。非常にありがたかった。実際、トーナメント期間は更に寒く、レイのジャケットがなければ冗談抜きに死んでいたかもしれない。昼食を食べながら色々なことを話した。意外と会話できている自分に少々驚いた。

ブリーフィング

ブリーフィングは18:00からだ。17:30に車で待っているとエディーが言っていたので、それまでにシャワーを浴びる。シャワーを出ると、電話が鳴っている。出てみるとエディーだ。ワイフと夕食に今から出るというのだ。おまえも出来れば来いという。何か他にも言っていたがうまく理解できなかった。すぐに着替えてフロントに下りる。エディーの車は駐車場にある。彼の部屋に電話してもいない。困っているとフロントの女の子がエディーは、隣のステーキハウスだと教えてくれた。そういえばネクストなんとかといっていた。

店に入ると店員がすぐに僕をエスコートしてくれてエディーの席まで案内してくれた。僕は遅れたこと、よく理解出来ていなかったことを詫びて座った。正直いってバーガーキングがまだ胃に残っていた。ステーキを勧められたが、ワインとシャケのスモークを注文した。シャケのスモークといっても食べきれないほどビックだ。エディーと彼のワイフと話をしながらディナーを食べた。僕はシステムエンジニアで数ヶ月前に研修でマイクロソフトなどにいった旨を話すと、二人には20歳の子供がいて衛星のシステム開発に従事しているといっていた。

始終、お互いの家族の話をしていた。最後にエディーがスモールリザードのグリーンパンプキンが必要だぞ、と念を押したが、僕は持っていないと応えた。彼は、絶対必要だからブリーフィングのあとでくれるといってくれた。そんなに重要なことかなと、まだ信じきれていなかった。その日の夕食も、結局エディーがご馳走してくれた。

それから、エディーの車でブリーフィングに向かう。ハイスクールの周りは凄い人だ。入っていったところは、とてもハイスクールの講堂とは思えない。絶対、一人では判らなかったなぁと思う。日本の講堂をイメージしていたが、どちらかと言えば劇場か映画館だ。ステージがあって階段状に席が扇形にある。ステージにはトーナメントディレクターやスタッフが座っている。

まず、スタッフの挨拶があり、多いに盛り上がってくる。それから市長がきて挨拶をするが日本のような堅苦しさはない。ジョークを言って笑わせているが、僕にはすべてを理解できない。渡された冊子を必死で読んでいると、エディーが立てとせかす。そのまま立つと拍手を浴びる。なんだと尋ねると、始めて参加する人を立たせたみたいだ。ウェルカムって感じなのだろう。いい国だぁ。

ルールについての説明や質疑応答がしばらく行われたあと、パートナーが発表される。

「ワシントン州、オレゴン州 ××、○○」と出身地と名前をいう。それに対して「Here!」と声を上げて立ち、パートナーと顔合わせをし、講堂を出て話し合う。そういう段取りだった。ファーストフライトの2番スタートで、僕は呼ばれた。ジャパンと聞こえたので待ち構えていた。「Here!」と立つと、スタッフが何かをいって会場が受けた。寿司が何とかかんとかと言っていたようだ。

初日のパートナーは、マーク・ルセイン。プロクラフトのプロスタッフだ。彼はグッドガイで、明日の待ち合わせはウェイン会場(ラウンチングポイント)であるコロンビアパークの駐車場のレストルーム前に6:00と決めた。桐山プロや宮崎プロとも少し話し、エディーがあのドン・アイビーノを紹介してくれた。まったく、すごい人が、たくさんいる・・・。帰り道で、またもエディーにお願いしてしまった。コロンビアパークの場所を教えて欲しいと。エディーは帰り道にコロンビアパークによってくれた。これで、あとは明日を迎えるばかりだ。

あとで聞いたのだが、ブリーフィングのときの司会者のジョークは、「このジャパニーズは釣った魚を寿司にして食べてしまうだろう」といったジョークだったらしい。

いよいよ明日は、初日だ。3時に目覚ましをセットし、床に着いた。興奮してよく眠れないままアラームが鳴った。

トーナメントDAY1

10月5日

3時に起床し、シャワーを浴びる。テレビの天気予報をチェックし、雨が降らないことを確認し安心する。備え付けのコーヒーを煎れて買っておいたデニッシュを食べる。4時過ぎには、準備が出来てしまう。寝てしまわないように、タックルの整理などをしながら時間をつぶす。

5時過ぎに部屋を出て、車に荷物を積み込む。まだ、外は暗い。ボートを引いて出て行く人がいる。第一フライトなのだろう。 ファーストフライトは6:45からである。10分おきくらいでフライトしていくため、最終フライトといっても7:30くらいだ。帰着時間は、最初と最後では1時間30分くらい差があるが、朝一番の方が有利なので、帰着時間を遅くとって帳尻をあわせているのだろう。さすがだ。30年の歴史は伊達じゃない。

スタンディングボード。右下のJAPANに僕の名前がある。ここに名前があるだけで幸せな気分だ

出発前に、マークがランディングネットの扱い方を説明する。過去に嫌な経験があったのだろう。いよいよ出発だ。興奮してくるが寒い。レイのジャケットがなければ釣りどころではなかっただろう。ボートに乗り込みフライトの順番を待つ。番号と名前を呼ばれ、桟橋に順に入っていって、ライブウェルとキルスイッチのチェックを流れ作業で行う。

出口では、ボートナンバーの書いたフラッグを受け取る。そのフラッグの中には、その日の天候や風の状況のメモが入っていた。感心させられることばかりだ。僕達は、ファーストフライトの2番フライト。ボーターであるマーク・ルセインは、下流に向かうがすぐにスロットルを緩めた。下流側の橋桁でキャストを開始する。ファーストフライトのメリットを生かして近くのストラクチャーから攻める。常套手段だ。

ルアーはリザードのキャロライナリグをキャストしてズル引く。僕は、スピナーベイトやクランクベイトをキャストする。この時点では、川のコンディションをまったく把握していないといってもよい。「キャロよりも効率よく探るほうがいいに決まっている」。僕にはこの考えがあった。マークが20分程で、移動しようという。魚はいないという。

次のエリアは、沖のフラット。どういったエリアかと聞くと広い岬のブレイクだという。水深は17ft程。バックシートからコックピットの魚探には、フラットで何も写らない。「何があるんだ?」と聞くと、「判らない。プラクティスで釣れたから」と応え、GPSのマーキングを見せる。マークは、相変わらずキャロをキャストしては、流れにまかせて何もしないでいる。僕は、そんなに食わないなら、リアクションで食わせるさ、と鷹をくくる。スモールは、スイッチが入らないと食わないと聞いたことがあった。リアクションでまず、スイッチを入れて、ワームで根こそぎだ、と決める。キャロにスモールプラグを付けて、底でジャークする。マークは、その仕掛けに非常に興味を持ち、僕はディープエリアでスモールプラグをスローに引けるメソッドだと説明した。その後、クランクをニーニングするが、バイトはない。

そうこうしているうちに、マークの「FISH!」という声が響く。ジャストキーパーサイズのスモール。無事ネットに入れる。「なぜ、釣れたと思う?」と訊くと、「判らない。ラッキーだった」と応える。結局、その場所で3時間くらいいただろうか。マークは、そこでもう1匹のバスをキャッチする。マークの動きを見ていると前方4mほどのところにピッチングでキャストし、ルアーを流し、手元にきたところでバーチカルにルアーを扱っている。バックシートからフロントの魚探を見るとブレイクにウィードの柱が写っている。マークは、ブレイクのウィードの柱を狙っているのだ。僕のいるバックシートの魚探には、何も写らない。マークは、ブレイクの手前にボートポジションを取り、ブレイクをバーチカルに狙う釣り方をしていた。

それに気付いたのは、もう午後過ぎだった。ラッキーだ、なんてごまかして言ったのか、本気で言ったのか。どちらにしても、このままではマズイ。僕にはブレイクが狙えない。マークが2匹目を釣った時、近くにいたボートでも釣れていた。スモールのスイッチが入ったのだろう。マークは、「ワーッと来て、ワーッと帰って行く」と説明した。マークの釣り方は、スモールの通り道のストラクチャーで、スモールが回ってくる(スイッチが入ってディープからシャローに来る、又は回遊してくる)のを待つ釣りなのだ。ランガンしてはどうか?と訊いたが、「いや、待つ方が正解だ」という。

ルアーはパンプキンのリザードで、それをゆっくり引く。というよりも、タイダル(流れ)があるため、止めておくためのキャロ。リザードの手足が翼の役割をして中層に漂う。それが狙いだ。しかし、僕にはリザードがない。昨夜、エディーにもらうのを忘れていた。ここに来てエディーの言っていたこと、タイダルリバーで、スモールが中心のフィールドでの、リザードの有効性が理解できた。しかし、時はすでに遅し。

僕は、リザードに変わるものを模索した。4本の足と1本のテール。ホグの手を切ってみたり、フラグラブを使ってみたりし、より浮き上がり、水を掻きまわすためにジャークを入れたりと試したが、アタリはない。無情にも時間だけが過ぎていく。マークは、残り時間1時間で移動をする。一気に上流の中州を目指す。ゴロタエリアで、流れもきつい。マークはその中州の浅瀬にルアーを落とし、流れに任せて流していた。そこで、プラの時4lbフィッシュをかけたといっていた。

残り時間は20分、帰りの時間も計算する必要がある。そのとき、マークのロッドが曲がる。ビックフィッシュ!と叫ぶ。ランディングに時間がかかったが、無事ネットに収めることができた。3lbクラスだ。マークは、もう1本と呟きながら、キャストを続けたが、そのままタイムアップとなった。結局僕は、マークの釣果を証明するサインを行ったに過ぎなかった。後になって思ったのだが、この初日に釣らなかったのが一番いけなかった。キャロのメソッドにもう1日早くコンフィデンス(信頼)を持てればよかったと後悔するも後の祭り。

聞くとみんな、パンプキンのリザードだった。初日を迎え、始めて状況を認識できた。「こんな釣りがあるのかと感心した」と桐山プロと話していると、桐山プロも「ほんとにそうだね。決して簡単じゃない」と言っていた。しかし、桐山プロは、しっかりと5本そろえていた。

キャロの超スロードラッキング。そんな釣りを理解できなかったが、実にそれで結果が出ている。タイダルリバー+スモールマウス+プレッシャーの結果であろう。僕は、自分のアメリカでのバス釣りに対する考えを過信しすぎていた。やはり、「郷に入りては、郷に従え」なのだ。明日のために、リザードが必要だ。釣具屋を探して、何としても行かなくてはならない。

ボードには、明日のパートナーと、その連絡先が張り出されている。明日のパートナーのカークが僕を探していたみたいだが、僕はウェイン会場にいたので会えなかった。携帯の番号が書いてあったので、メモをしてモーテルに戻った。ちなみにエディーは、ノーフィッシュだった。ノンボーターは2本取ったといって残念がっていた。モーテルに戻ってから、カークに連絡を取る。駐車場のレストルーム前で6:00に待ち合わせることにした。

日本でボートディーラーを始めるU氏が、アメリカでの取引先オーナーのジェフとの夕食に誘ってくれた。楽しみだったが、釣具屋に行かなければならない。U氏も、シンカーとフックがほしいといっていたので、僕はその日の夕食をキャンセルし、釣具屋に行くことにした。釣具屋に電話すると20:00まで開いているという。時間は18:00、すぐに向かった。

釣具屋は、空港があるパスコに戻り、そこからさらに20分ほど行かなければならない。不安はあったが、行くしかない。幸い車の運転にも慣れてきた。慣れてくれば、日本よりもよほど運転しやすい。判りにくかったが、それらしき建物を見つけ、すぐにEXITから出る。その建物に向かって行くと、無事着くことができた。ライセンスの購入経緯に鑑みると、これは奇跡にちかい。時間は19時だった。

そこで、必要なものをすべて買った。思ったより品数は少なかったが、とりあえず揃った。帰り道でバーガーキングによって、モーテルに向かった。モーテルへの帰路で、フリーウェイの出口が封鎖されていて、遠回りをした上に、出口を間違えて、また空港までもどってしまうという失敗はあったが、何とか20時過ぎにはモーテルに戻ることができた。

それからU氏としばらく話した。U氏は、プラのとき結構釣れているプロと同船したため、キャロのメソッドを理解していたし、リザードも同船したプロが必要だからといってくれたらしい。聞くとみんなプラでは釣れていたという。僕は、ベクトルがまずかったのかなぁと思ったが仕方がない。それから、23時くらいに床についた。明日は、リザードのキャロを投げまくるぞ!と心に決める。

マーク・ルセイン。明るくお調子者だけど釣りはうまい。仕事はガイドをしている。TOP150やクラシックの経験もあるのだ。今回のパートナーの中で、唯一の入賞者でもある。TDバイブをプレゼントしたら、異常に喜んでくれた

トーナメントDAY2

10月6日

4時前に起床。5時半にモーテルを出る。コロンビアパークの駐車場で、パートナーのカークに会う。初対面だ。ボートは、バスキャットでエレキが自動マウントされるようにチューニングされていた。かなり高額だったらしい。「釣ったか?」と訊くと、「12本とった」と応えた。かなりいい感じだ。全面的にお任せで行こうと思う。

第2フライトで開始。まずは、支流のインターセクションに入る。他に3艇ほどボートがいる。カレントが結構あって、流れにバウを向けてキャストし、ほっとけ、である。やはり、リザードのキャロだ。それもパンプキン。エディーは、内緒だといっていたが、みんな使っている。ここでは、常套なのだろう。1時間ほどで、カークが3lbフィッシュをキャッチ。徐々にボートが移動していき、結局僕たちだけになった。しばらく粘っていたが、ロックエリアに行くと言って下流に向け大きく移動した。

ロック護岸のエリアで、水深は6mほど。風が強く、釣りにくい。長い護岸のそこをどうして選んだのか判らないが、あんまり釣れる気がしない。それも同じ場所で粘っている。護岸沿いに流しながら行くのかと思っていたが、そうではなかった。

3時間くらいいただろうか。移動すると言う。僕にしてみれば、ようやくといった感じだった。次のエリアは、中流部の沖。何もない。「どういうエリアか?」と訊くとフラットだ、と応える。10mのフラットで、何もない。ここを釣るのか?と不安になる。集中力を持続させるものがない。そこで、僕はパーチを釣ったが、その状況に耐えられず、とうとう地図はあるか?と切り出した。

「ブレイクを釣りたい。バスのクルーズルートになり得るから」というと「判った」といって移動してくれた。地図で大体示唆するが、なかなかたどり着けない。マークのエリアを提案するわけにはいかない。10mの沖をグルグル回っている。そしてブレイクが判らないという。

岸に向かって行けばブレイクはあるというと、ようやくたどり着いた。僕に30分だけほしいと言うとOKしてくれ、バウに立たせてくれた。しかしイメージが違う。ブレイクが緩やかすぎる。15ft~20ftのブレイクだというが、知らないという。地図でブレイクが寄っている箇所を指して、こういうところだ、というとそこに行こうと移動する。ボートの調子が悪く、プレーン出来ない。

時間は後、2時間もない。橋桁に絡むブレイク。シャロー側は、10ftもなくグラスが茂っている。これでは、フィーディングに上がれない。やはり、プラクティスをしていないために、イメージが違い過ぎる。やはりプラクティスを独力でやりたかったという気持ちが募りストレスが溜まる。

またしても僕は、そこでパーチを釣る。なぜ、バスが来ない?カークは、「この水深は魚が多いし、俺も好きなエリアだ」といっていたが、魚を止める要素がない。橋桁を釣りたかったが、他のボートが入っていた。「どこか行きたいエリアはあるか?」ときくと「ない」と応える。

お手上げだ。朝、釣れたエリアに戻ろうと提案したが、ボートが多くてダメだという。僕は、ボートが多くても魚が確実にいるであろうエリアでやるほうが効率がよいと思ったが、それ以上は言わなかった。残りの時間は、支流の橋桁付近で時間をつぶし、タイムアップとなった。

釣果は出なかったが、自分の意見を聞いてバウに立たせてくれたことにお礼をした。そのことについては、本当に感謝している。ルール上は、「ボーターとノンボーターは同等の釣り時間と権利を持っている」と謳っている。しかし、僕は、本当のノンボーターで、ボートを持ってきたけれど交渉の末、ノンボーターになったわけではない。

ボーター達は、3万ドル以上を支払いボートを買い、10時間以上もトレイルしてそこまで来ている。それだけしている者に、座っているだけで現地に着いた、手ぶらに近い状態で参加しているものが同等の立場を主張出来るはずがない。同時間の釣りを、主張することはルール上は出来るのだが、僕にはそれは出来ないと思っていた。そういった意味でもカークには、非常に感謝している。

ただ、検量後に昨日は、何ポンドだった?と訊くと「ゼロだった」と応えた。「12本取ったっていったじゃん。それってプラの話?それなら、最初からそういってよ」と思った。ボーターとして参加したい。プラクティスを独力で行いたい。そういう気持ちを確固たるものにさせた日でもあった。

U氏のボーターは、初参加のボーターで、浅瀬のロックエリアで無茶な運行をし、ハンプに激突し、ロアユニットをふっとばし、釣りをする時間は2時間ほどだったらしい。こういった状況に対しても、ノンボーターという立場は辛い。ノンボーターの宿命といってもよいだろう。

極端な話、ノンボーターでは参加するということは、その参加の意味を半減させると感じた。もっと言えば、半減以下だ。トーナメンターとして参戦するならば、お金と時間の無駄といっても過言ではないかもしれない。ガイドを受けるつもりで来るならそれでよいかもしれないが、僕はそんなつもりでは来ていないのだから。

明日のパートナーをチェックする。TOP150参戦中で、田辺哲男とトレイルしたこともある、あのマーク・カイルだ。その日の夜、ボートディーラーでもあるジェフとU氏らと夕食をとった。ジェフに「まだ、本戦でバスが釣れていない」と話すと、「マークのやっていることを、良く見て真似しろ」とアドバイスをくれた。そして「僕が明日、40LB釣ったら優勝だね」と話すと「もし、おまえが優勝したら、ボートをやる」といって笑った。

しかし、内心ではノーフィッシュを覚悟していた。なぜなら、日を追う毎にタフな状況になっていることを実感していたからだ。明日は、マークの釣り、トッププロの釣りを見て、勉強できるということにモチベーションを置くことにした。モーテルに戻ってから気付いたのだが、前日に買っておいたリザードのワームを、カークのボートのストレージに忘れてきてしまっていた。カークの携帯に電話して、翌日の朝、ワームは無事僕の手に戻ってきた。よかった・・。

トーナメントDAY3

10月7日

マークは、スキーターチームであるため、桐山プロとも仲がよく、フライトのとき、桐山プロが「TOSHI!マークはいい奴だから、よろしく!」といっていた。マークが「なんて言ったんだ」と訊くので、それを英語で話すと、謙遜していた。とてもナイスガイだ。マークの2日目のパートナーは、僕の初日のパートナーであったマーク・ルセインで、「彼は、非常によいエリアを持っていた」と話していた。やはり、マーク・ルセインの持っていた、あのブレイクに絡むウィードの柱は、非常によかったのだろう。初日の釣りが悔やまれる。

マーク・カイルは、「非常にタフで、困難な釣りになる」と話していたので、タフか、非常にタフか、むちゃくちゃタフかを問うと、むちゃくちゃタフだと応えた。僕が釣れていないことを話すと、がんばって1本取ろうと元気つけてくれた。帰着の時間は、16:10。マークは、食い始めるのは午後からだからGOODだ、と話していた。

マークの釣りは、どちらと言えば僕の好きなタイプ。どんどんエリアを移動してタイミングを合わせていく。マーク・ルセインのように魚が回って来るエリアで待つことも有効だろうが、僕は魚の回ってくる時間を見据えて効率よく回るほうがよいと思っていた。僕がプラクティスを行っていたら、その時間をチェックすることに力を注いだだろう。この広大なフィールドでは、琵琶湖のようにエリアを休ませていて、次に入れないということは、まずない。

マーク・カイルが、確実に魚が回ってくる場所に自信がなかったのか、判った上で効率よく回るべく移動を繰り返したのか、真意は判らないが、プラクティスを行っていない僕が、一つの場所にコンフィデンスを持つことは困難であるため、マーク・カイルの移動を繰り返す釣り方は、精神衛生上に楽だった。しかしそれにしても、マークのボートは速い。メーターでは80マイルを指していた。シングルコンソールで、もろに風を受けるため体が硬直してしまう。気を緩めるととんでもないことになりそうなくらいだった。ゴーグルは必須だし、寒いと目出し帽は必要だと思った。

まわったエリアは様々だ。ただマークは、岬やホールなどのスポットを釣っていった。それにボートポジションを常にフェアに取ってくれて、エリア毎にどういったエリアで、どちらにキャストしろと教えてくれた。そして、僕の2日目のパートナーのカークがキャッチした同じエリアにも入った。そこで、マークはグッドフィッシュをキャッチしたらしい。ただ、カークが取ったのは、朝の早い時間だ。マークは、「魚はたくさんいるが、バイトしてこない」と話していた。

マークは、「リラックスしてやろう」といって、飛び立つカモに対して、ロッドをライフルに見立て、撃ち落とすしぐさをした。「ハンティングだ。バス釣りもハンティングで、ライフルで狙い撃つように釣るんだ」と水面にライフルに見立てたロッドで打つ真似をした。硬直する時間が過ぎていったが、グースの泣きまねをしたり、緊張をほぐすように心がけてくれた。

午後になっても、ライブウェルには魚がなかった。マークの表情が、徐々に真剣になっていくのを感じた。小さなインターセクションのゴロタの岬エリアに入る。底が見えるほどクリアだ。底が見えてしまうと釣れる気がしないのが琵琶湖アングラーだ(?)。しかし、マークはそこでキーパーサイズをキャッチする。マークの執着心には脱帽する。僕は半分諦めかけていた。その部分が、勝敗を分けることを痛切に感じさせられた。

釣れたから粘ると思っていたが、すぐに移動する。朝に入った長いホールだ。「調度、今時分に釣れた」とマークは話していた。マークは、キーパーが取れたことで、精神的に楽になったのか、色々なことを教えてくれ、「ビックフィッシュを取ろうぜ!」と元気づけてくれた。マークは、ラインの出し方が少なすぎるといい、「スモールはスプーキーだから、ボートの影で逃げてしまう。ドラッキングも、どんどんラインを送り出して、時間を置いてやる必要がある」と教えてくれた。マークもスピニングでキャロをしていた。ラインをフリーに出せるスピニングのキャロは、非常に理にかなっていた。

そこで、集中力を高めた僕は、小さなバイトをフッキングに持ち込めた。ラージとは違う強い引きで、これがスモールか?とも思ったが、僕は「頼む、バスであってくれ」と呟きながら巻き取っていった。魚体が見え、マークが「10lbフィッシュだ」という。僕は興奮したが、次のヒラを打った瞬間、「カープ(鯉)だ」と呟いた。メートル級の鯉だ。僕は、落胆した。これ以上ないくらいに落胆した。無事ネットに収め(?)リリースしようとしたとき、マークが、「それをウェインしろ」という。「フィッシュ(フィッシュバーンのこと。ウェイインの司会者)は、そういうジョークは大好きだし、スタッフも喜ぶ」という。

僕もそういうジョークは好きだし、やってもいいと思ったが、始めての参戦でどうだろうかと考えた。バスが釣れたらリリースしようということでライブウェルに収めた。「これで、おまえも全米のテレビに映るぞ」とマークはいうが、僕は迷っていた。バスを釣るためにきて、鯉をウェインして帰るのか?もう何戦もしてきて、成績を残した上でのジョークならまだしも、これでは情けないだけじゃないか?

次のスポットに移動した時、「マーク、ごめん。僕は、日本からバスを釣るために来たのだし、このトーナメントは夢だった。これからもチャレンジして行きたいと思っているし、今の僕にはジョークをするほど余裕がないんだ。本当に申し訳ないけど、鯉をウェインすることは出来ない」と説明した。マークは、「That’s OK」といって鯉をリリースした。僕は、「そういうジョークは大好きだけど、今は出来ない。本当に申し訳ない」というと、マークは、「よし、それじゃぁ、バスを釣ろうぜ!」といって、僕の肩をたたいて笑った。今、思えばコイでも、ウェイインしてテレビに映ればよかったと少々後悔している。

そのエリアでは、マークはカレント(流れ)がないといってすぐに移動した。「どのエリアもカレントがない。タフだ」と何度もいっていた。上流部のエリアでは、釣り方について色々教えてくれた。「初日のマーク・ルセインとの釣りの時、釣れなかったのか?」と訊かれたので、「リザードを持っていなかったので、初日の夜に買った」と応えると、「マークは、くれなかったのか?」という。「くれなかった」と応えると、「本当にくれなかったのか?」と何度もいった。

ラインの太さやシンカーなど色々教えてくれた。本当に勉強になった。マークに僕がアメリカでバス釣りがしたいと話したとき、スポンサーはあるか?と訊かれた。僕は「MY WIFE」と応えた。「Wifeは働いているのか?」と訊かれ、「NO」と応えたが、お金を出してくれるだけがスポンサーではないと僕は思っているといった。マークは「僕のWifeは、僕をスポンサードしてくれないけど」と言って笑った。

ナイスガイ、かつジェントルマンのマーク・カイル。彼は、今回のパートナーの中で一番のトップクラスだ。そんな彼でも、今回はかなり苦戦していた。結果としては、入賞圏外であったが、自分のスタイルを突き通す姿勢は見事だった

ウェイイン会場では、マークがフィッシュバーンのインタビューに応えていた。マークが、日本から(わざわざ)来た僕のことを話していた。鯉を釣って、ウェインしろといったが、云々と話してくれていた。やはり、ウェイインしとくべきだったかな、と少し後悔した。ウェイインを終え、ボートを上げるとき、僕は「今回の結果をどう受け取るべきかな?」とマークに訊いてみた。マークはこう話した。「2年前、僕はパウエルで優勝した。しかし、その翌年パウエルでは、1匹もウェイイン出来なかった。そんなこともあるんだ」。それはマークが僕に「釣りなんて、そんなに簡単なものじゃないし、そんなことを気にしていては、ダメだぞ」と教えてくれているような気がした。そして、僕の肩を2度叩いて笑った。サングラスの奥の僕の目には、感謝と感動の涙で一杯だったことをマークは知らないだろう。

B.A.S.S.の顔。フィッシュ・フィッシュバーン。最終日のウエイインの後、撮ってもらった。とても、面白くて明るくて、アングラーみんなに好かれていることが、彼の魅力を象徴している。プロ時代は、チーム・グランドマムとして、スポンサーを一切付けなかったことも有名

最終日の夜、ステーキハウスで桐山プロ、宮崎プロと奥さん、B誌のS氏とディナーを食べた。桐山プロの戦略は、見事だった。キャロのドラッキングという釣りは、自分にはできないと本戦前から言っていた。しかし、2日間リミットメイクしてくるという偉業はどうやって成し得たのか?その戦略とは、トーナメント全週に行われたトーナメントでリリースされた魚は、ヤキマリバーに向かい、その途中の橋桁に止まる。との読みだった。

桐山孝太郎プロ。気さくで、豪快で面白い人。生き方からして、人間の幅の広い人だ

3日間、時間を空けては数箇所の橋桁をまわるという釣りを行っていたのだ。見事としか言いようがない。宮崎プロも、「強い選手というのは、釣れなくても必ず試合中であれ、アジャスト(調節)してくる」と言っていた。当の宮崎プロも、最終日ダム超えし、風が吹くのを待ってぎりぎりに帰着するという勝負に出た。他の選手が14:00のダムの開く時間に戻っていったにも関わらず、宮崎プロは、15:00まで止まり、ナイスキーパーでリミットを揃えた。

入賞こそは出来なかったが、その勝負の結果、順位を大きく伸ばしていた。どちらも見事だった。その戦略の立て方と勝負との駆け引き。日本のトーナメントでは味わえないものだと感じた。それから、桐山プロのTOP150参戦話を聞き、メディアで見るほど花々しい場面だけはないことを知った。十数時間トレイルするのは当たり前、トラックで寝たり、スーパーで歯を磨いたりと、とてもカッコいいものではないと話していた。

S氏には、そういった実状を伝えなければ、安易な考えでアメリカに来るものが後を絶たないと言っていた。少し耳が痛かった。しかし、そういった凄まじい実状を知っても尚、僕はアメリカにチャレンジしたいと思っていた。桐山プロの連絡先や宮崎プロの連絡先も伺い、今度来る時は事前に連絡すれば色々と教えてくれるという。大変有り難い。今回のように、防寒着がないとか、キャロの道具がないとか、そういう大ハズレをしないようにしたい。

宮崎プロが、今から一緒にシアトルに戻って、明日の飛行機までレイク・ワシントンで釣りをしようかと誘ってくれた。しかし、まだ荷造りもしていなかったし、レンタカーを返して云々の時間を待ってもらって、4時間かけて戻った上、明日の朝の釣りは申し訳ないと思い断ったが非常に嬉しかった。機会があれば、ぜひプライベートでレイク・ワシントンにおじゃましたいと思っている。

こうして、僕のB.A.S.S.初参戦は幕を閉じた。

桐山孝太郎プロと宮崎友輔プロ。日本のトーナメントでは、味わえない戦略とプランを、あたりまえのようにこなしている。いつかは、僕も同じレベルで話が出来るようになりたいなぁ

帰国、そして乱気流

10月8日

荷造りが意外に大変で、収まりきらず、手荷物が一つ増えた。ロッドケースのジョイント部は、テープで補強しておいたほうがよいと教えてもらったので、買っておいたテープでグルグル巻きにする。運が悪ければ、ジョイント部でポキッってことがあるらしい。結局24:00頃床に就いたが、6:00に起きればいいので、随分楽だ。

パスコからの飛行機は、9:30。8:30にチェックインするとして、レンタカーの返却もあるので、8:00前には着きたい。スムーズに行くと、モーテルから空港まではフリーウェイで20分程度。しかし、迷うことを考えて7:00にはモーテルをチェックアウトした。空港へは、モーテルのフロントで道を聞いたがやはり迷って、コンビニで道をきき、それでも8:00前には着いた。レンタカーの返却は、休日早朝のため、無人なので必要事項を書いてボックスに入れる。そこまでやって、チェックインして、荷物を預けてもまだ8:00だった。

お店が開いていたので、土産を少し買って時間を潰す。8:30くらいに、ジェフと一緒にU氏が来て、コーヒーを飲んだ。U氏は、ポートランド経由で名古屋に帰る。ジェフ達に、「どうして鯉をウェインしなかったんだ」言われたが、僕にはアメリカンジョークは、まだ早すぎると笑った。

僕は、シアトル経由で関西国際空港へ帰る。シアトルを12:30に発った飛行機は、翌日10月9日の午後3:30に到着予定だ。帰りは行きよりも時間が長い。レジストレーションでもらったTOUR MAGAZINEを読む。バスプロの職業やインタビューなど興味深い内容が多い。

一通り目を通しても一向に着かない。帰りの飛行機のなんて長いこと!これからの自分のあり方を考えるには充分すぎる時間だった。乗り越えるべき問題の多さ、大きさ、不安。どうすれば、本当に実現出来るだろうか?と考えてしまう。

15:00頃、やっと到着のアナウンスが入る。それは、関空上空が悪天候とのこと。その時は、そんなに気にもしていなかった。しかし、いよいよ着陸という段になっても、現地までの距離や高度は上がったり下がったり、揺れも激しい。何度もリトライしている感じだ。時折、エアポケットに落ちて急に下がる。次のアナウンスは、着陸できないため、しばらく上空を旋回して、天候回復を待つという。旋回といっても、揺れは激しい。周りでは、吐き始める人もいる。地獄だ・・。

揺れ自体は、ジェットコースターと変わらない。しかし、ジェットコースターと一番異なることは、「死ぬかもしれない」ということだ。その精神的なプレッシャーが、恐怖を生み、吐き気を催すのだろう。僕は、吐き気はなかったが、真剣に遺書を書こうかと思った。そうこうしているうちに、飛行機は着陸していた。一気に安堵の気持ちとキャビン一杯に溜め息が響く。しかし、景色が違う。時間は、16:40頃。

アナウンス「当機は、伊丹空港に着陸いたしました・・」

「伊丹!?」でも、まぁいい。タクシーで帰れば近い。しかし・・アナウンス「燃料を補給後、再び関西国際空港へ向かいます・・」

「は??」

「降ろして~」という声や溜め息でざわめく。おまけに・・アナウンス「左の補助エンジンが止まっているため、空調と電気を消します。安全上問題ございませんので、ご安心ください・・」。「おいおい!」「安心できるかよ」「降ろして~」とザワザワ。熱く暗い中、待つこと2時間。19:00に漸く伊丹空港を発った。

緊張したまま、関西空港へ着陸。時間は20:00だった。税関で、ロッドケースを入念に調べられ、空港を出たのは20:30。迎えに来ていた妻と娘は、5時間も空港で待ったことになる。死ぬ思いでいた時間、彼女たちはカラオケを楽しんでいたらしい。 最後の最後でこんなことがあろうとは・・。ただ、この事件で一度は、真剣に遺書を書こうと思ったし、逆に死んでたまるか!と思った。今、こうして無事でいられる以上は、やりたいことをやるしかない、そう思えた。

エピローグ

タフだった。いろんな意味でタフだったといえる。日本に帰ってきて翌日から会社に出社したが、会社ってなんて楽なんだろう、と感じた。アメリカでバス釣りをしながら自立することは、想像以上に大変なことだ。今回は、何もかも始めてであったということもあるだろうが、大変なんて言葉では表現できないことには間違いない。

アメリカのプロ達は、プロとしての自覚と覚悟がある。生活を賭けているから、そうならざるを得ないといってもよい。実際、賞金圏内から外れることが判ると最終日を待たず帰ってしまうプロもいた。賞金と滞在費の兼ね合いで、採算があわないと判断しているのだ。スポンサーの手前もあるので、すべてのプロがそうではないが、すでに楽しむという域を越えていると感じられることが多々あった。

トーナメント自体もタフであった。年に1回か2回しか来ないなら、こんな時に来てはいけない、といわれたこともあった。しかし、トーナメント自体がタフであった故に、その技術の差をはっきりと見ることができた。アメリカ人すべてが上手い訳ではない。その反面、上手い人はむちゃくちゃ上手い。そういう人は、間違いなく今回のようなスローな状況では、スローな釣りを、いい状況では、そういう釣りを展開しているだろう。そのレベルの高さというよりも、自分のレベルの低さを感じた。キャスト、集中力、執着心、状況判断、経験・・。僕は、今までの理論、知識による釣りを捨て、経験のみで成り立たせる釣りを目指すべく、環境、スタイルを変える決意をした。

今まで、当たり前と思っていたことが、そうではない事実も多く見た。1/4ozのスプリットショット、ハードなスピニングロッド・・(今では珍しくはないが)。それに大きなタックルボックスをボートに積んでいるプロは一人もいないという現実。釣りに対するスタンスの違い。釣りだけに限らず、今までの概念を崩されることばかりだった。

トーナメント自体も、整然としており、釣りに集中できる状況が出来上がっている。大変だけれど、やりがいのあるところだ。ただ、出場する以上はボーターで出場したい。プラクティスを行いたいというのが一番の理由だ。自分で状況分析を行わずに、たとえ結果を残せて何になるだろう。それに言葉の壁は大きい。僕は、相手の言っていることは大体理解出来るし、意志を伝えることもできる。それでも、不自由さを感じる場面は多々あった。パートナーとは、協力しあって行うことが何かとあるのだ。

ボートの上げ下げやランディング、待ち合わせや意見交換など、「判らない」ではすまない場面がある。相手も真剣である故、じゃまだけはしないにしても、足手惑いにならないためにも、語力は多少なりとも必要だし、何よりコミュニケーションを取ろうとする気持ちが大事だ。今以上に英語力を付ける必要性に迫られるのは間違いない。

「アメリカ行きのBASS」に乗るために、必要なものは釣りの技術だけではない。英語力や体力、精神力、環境、仕事。アメリカから帰ってきて、自分の日本でのバス釣りとの接し方が見えてきた。

最後に、エディー、レイ、そして本戦のパートナーのマーク・ルセイン、カーク、マーク・カイル、に心から感謝したい。ラマダ・インのマネージャーのジムには、日本からのストレンジャー(よそ者)に対して、色々と気遣ってくれて本当に感謝している。そして、桐山プロ、宮崎プロ、B誌の記者S氏に対しても、心から感謝したい。単身で飛び込んだ私を快く受け入れてくれ、知らないことばかりの私の心の支えとなってくれた。現地では色々と助け励ましを頂いたボートディーラーU氏、とにかく感謝の気持ちで一杯だ。

僕のB.A.S.S.初参戦は、みなさんに支えられ実現した。これからも、何かしらチャレンジし続けていきたいと思う。本当にありがとう!何よりも、この体験が宝物だ!

この翌年、マークのガイドを受けるためにカリフォルニア・デルタを訪問することになる

蛇足1:リザードのキモ

今回アメリカで始めてリザードを使った。使ったことはあったが、メインとして1日中投げ続けたのは、始めてだった。なぜリザードなのか?その理由が判らないまま帰国することになった僕は、その翌週、リザードのキャロの2セットだけを持って琵琶湖にボートを出した。

トーナメントの初日、リザードを持っていなかった僕は、リザードの威力を見せ付けられ、それに替わるものをと考えた。それは、テールが5つあることによるハイアピールだと思っていたが、実はそのキモは間違っていたことはすでに書いた。リザードのキモとは何か?それはズバリ、水平に漂うことにあった。実際に使ってみると判るのだが、リザードの足はフォール中に動いていない。ここがミソなのだ。足は、「水の抵抗」を受け流す翼のような役割だった。

流れの中でシンカーをアンカーのように固定すれば、リザードの4足は、翼の役目を果たしルアーを浮き上がらせる。そして、流れの強弱に合わせて漂う。ここに、リザードのキモがあるとしたら、釣り方も自ずと見えてくる。キャロをキャストしシンカーを着底させたあと、ステイさせていればルアーは浮き上がる。余計なアクションは、ルアーを沈ませたりトリッキーになり、「漂う」感じにはならない。

このフォールから着底しステイしてからの漂うような状態でバイトしてくるケースが多いのだ。特にバスが神経質になっている状況やスモールの特徴に合わせれば合点がいく。キャロをキャストしてから、シンカーを着底させ、フォールさせる。そして、流れの中で漂わせる。その時間は、ロングポーズ以上と言っていいくらいの時間が必要なのだ。つまり、アメリカのプロ達がキャスト後に「ほっとけ」をしていたのには、こうした理由からだったといえる。

スピニングを使う理由は、フリーフォールとラインの送り出しなどのマネジメントのし易さにあるのだろう。それも、より確実にスポットにステイさせておく方法であるといえる。アタリはとても繊細で、シンカーの動きをアタリと勘違いしないために、敢えてタングステンではなくナマリのシンカーを使うこともできる。

リザードをスローにナチュラルに漂わせるために、リーダー部のラインは細めを使う必要がある。アメリカのプロ達で6lbクラスだった。僕は、10lbのナイロンラインを使っていた。マーク・カイルには、リーダーのラインが太すぎるとアドバイスされた。キャロのシンカーも、バレットタイプやボールタイプではなく、棒状のタイプを多用していた。

僕も、そのウェイトを結構買い込んできた。僕はウィードエリアならバレット、ロックエリアならボールという風にウェイトの種類を使い分けていたが、この棒状タイプを使うとこの使い分けは必要ないかもしれない。どうして、日本には売っていないのか不思議だ。(2000年当時)

棒状タイプのシンカー(1/4oz)。 8コ入りで、$1.00だった

ここまでで気付いた人もいるだろうが、初日リザードを持っていない僕にとって、リザードの替わりになりうるものは、何か?そう、ドロップショットリグだったのだ。

リザードのキャロは、タイダル(流れ)のあるエリアで、スプーキーなバスに有効なメソッド。リザードという形に囚われるのではなく、その形状が演出することに着目して使っていきたい。

蛇足2:ボートインプレッション

今回の参戦は、ノンボーターでの参戦ということもあり、様々なボートに乗ることができた。5人のパートナーと釣りをしたが、運よく5人とも異なるボートだった。ストラトス、レンジャー、プロクラフト、バスキャット、スキーターだ。

ストラトス
エディのボート。22ftの225hp。このストラトスは、あとのスキーターに比べて225HPといっても加速が遅かったような気がする。船体自体が重いのだろうか。しかし、内装や装備はすばらしかった。アメリカで始めてのったボートなので、めちゃくちゃ感動した。

レンジャー
レイのボート。17ftの200hpで、アメリカでは小さ目だった。やはり船体が重いせいかスピードは、ビックリするほどではないが、その重さ故かカーブなどの安定感は抜群だった。釣りの時の安定感も抜群によかった。

プロクラフト
マーク・ルセインのボート。20ftの200hpで標準といった感じ。走りはスキーターぽいような印象を受けた。

バスキャット
カークのボート。とにかくデカかった。ビームが広く安定感は抜群だけど、重たさも抜群だった。レンジャーに似ている。内装はストラトス並みにいい。

スキーター
今回で一番の最速ボート。マーク・カイルのスキーターは、チームカラーの最新艇。225hpで加速、スピードともに一番。このまま飛んでいくのでは?と感じるほどだった。ストラトスと同じ225hpでもスキーターの方が速い気がした。荒れたところには行ってないので、ラフウォーターでの走りは判らない。

アメリカでは、200hpクラスが標準的。ボートの馬力は、そのままボーターの交渉に影響するため、200hpは最低限必要と思う。

アメリカでは、ボートメーカーでコミュニティーが出来ている。チーム・スキーターとかチーム・ナイトロという感じだ。アングラーも、どのボートに乗っているかをアピールしている。ボート選びは、こういう面も考慮する必要があるから面白い。

ノンボーターの特権は、色んなボートに乗れること。実は、来シーズン(2001年)より、B.A.S.S.のオフィシャル艇が、レンジャーからトライトンに替わる(らしい)。トライトンもすばらしいボートなので、次回は、トライトンに乗ってみたいと思っているが、果たして叶うだろうか?

カリフォルニア・デルタ釣行

この翌年、初日のパートナーであった、マーク・ルセインがガイドしている、カリフォルニア・デルタに行くことになる。その模様は、「アメリカ行きのBASSに乗って +Days」にてレポート。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?