【ネタバレあり】映画「ザメニュー」感想。お金持ちになるか?芸術家になるか?
観ました
まず、とにかく怖かった・・・何度映画館から逃げ出そうと思ったか・・・
観た人は共感する人も多いと思うが、副店長の例のシーンがやってきて、心臓バクバクになり、「あ、これやばいやつだ。見る映画間違えたか?」となった。
観ている途中は、私はミステリ的な見方をしていたので、最後本当に全員死んで終わりかい」と思ったが、一緒に見た妻と話していたら、色々とメッセージを感じることができた。
感じたこと
・金持ち批評。その金は多くの犠牲の上に成り立っている。この映画では提供される側として描かれていた。
お客はもちろん、副店長も提供される側の人生を歩んできたからシェフの側になれなかったのかなと思った。副店長は、ある程度レールの上に乗って副店長の座まで上り詰めたのかもしれない。シェフはあのとき純粋に副店長に自身の意思を選択させただけなのかもしれない。自殺を選べばお金持ちと一緒。提供する側に心を入れ替えたらシェフ側(まあ心を入れ替えてもいずれ死ぬ計画には変わりないのかもしれないが)。
・シェフが女性スタッフに刺されたところは、シェフなりの清算?これってキリスト的な思想なのかな?宗教には疎く分からなかった。
・ちなみに俳優は本当に不公平だと思った。あとタイラーも。ここはシェフの行き過ぎ感を演出するためのバランス取りだったのかな?
お客たちの過去の悪行・強欲ぶりをもう少し描けば、シェフへの共感が強まったかも。自分にはシェフの行き過ぎ感が強かった。
・最後の主人公がハンバーガー頼んで逃げ出してレストランが焼かれるシーンところで、明確に金持ち(提供される側)と下流階級(提供する側)が分かれたことがわかった。
ハンバーガーを頼むということは主人公以外には思いつかないし、金持ちがやったところでシェフに対して説得力が出るはずもない。
一部のお客は自分の罪を自覚して、シェフの行為を受け入れていた(これもキリスト的な思考?)。
まとめ
観てから時間が経つほどに、シェフへの共感が強まっていく気がする。
時間が経って恐怖感が薄れてきたのもあるかもしれない。
自分が受け取ったメッセージは、「他人の批評をしている暇があったら自分で手を動かせ」ということだ。これは自分への警告でもある。
金持ち批評の映画は結構あるが、こういう作品を見るたびに自分はどっち側なんだろうと考えさせられる。どっち側になりたいんだろうという方が正しいかもしれない。
今の世の中は、お金を持っているほど生きやすいと感じる一方で、お金持ちになるためには管理職や経営者という意味で人を使う必要があるし、そのお金は他の多くのものの犠牲の上いにあるという自覚も必要なのかもしれない。
お金がない方が「ある意味」人間らしく生きられるような気もする。「自分で手を動かして、何かを生み出す」のが芸術であるならば、芸術家にお金持ちはおらず、芸術家はお金持ちになり得ないとも言える。これは最近すごく考えていることで、自分が知る音楽家や建築家にはこれが当てはまる気がする。
自分はどっちになりたいんだろう?何かを作るのは好きだが、生活しやすくするためには効率よくお金を稼ぐのが大事だし・・・と自問自答する。
まあ今はとにかく自分の手を動かしていきたい。このnoteもその一環だと思って、なるべく継続していきたい。