オリヴィエ賞2023とアジア人であること
超お久しぶりのnoteです。
イギリス時間本日4/2夜に、オリヴィエ賞の授賞式がありました。
オリヴィエ賞とは時折「イギリス版トニー賞」と呼ばれる賞なのですが、そもそもトニー賞というのはアメリカNY・ブロードウェイの演劇・舞台芸術を対象としたアカデミー賞のようなものです。オリヴィエ賞はそのロンドン・ウェスト・エンド版です。
2023年オリヴィエ賞はコロナが"完全に明けた"印象で行われる最初のオリヴィエ賞みたいな、ちょっと華々しい感じもあるオリヴィエだったのですが、その中でも注目の目玉作品のひとつがRSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)が舞台化した「となりのトトロ(My Neighbour Totoro)」でした。
そして今まさにトトロがBest Entertainment Comedy Play, Best Director, Best Costume Design, Best Set Design, Best Costume Design, Best Lighting DesignそしてBest Sound Designの6冠を席巻しました!!
その興奮さめやらずしてnoteの筆をとったという訳ですが、私個人は全く舞台版「となりのトトロ」には関わっておりません。強いて挙げるならば書類選考通ったけど別仕事が決まったので(泣く泣く)面接辞退したのと、その後死にものぐるいでチケット取って観に行ったくらいの接点しかありません。
じゃあ何にそんなに興奮しているのかというと、3つポイントがあります。(私の知る限り)日本人初の快挙となる中野君枝さんがBest Costume Design(最優秀衣装賞)を受賞されたこと、そして密かにファンだったJessica Hung Han YunさんのBest Lighting Design(最優秀照明賞)の受賞、そしてトトロという作品がロンドンで認められた、という事実です。
興奮冷めやらず、自分の修論終了を祝うつもりで開けたスパークリング・ワインを思わず飲み干してしまったわけなのですが、この興奮にはちゃんと理由があります。
私のトトロへの「片想い」は、RSCが製作発表したときに始まりました。「これは関わりたい…!」と本能的に思ったわけです。後日RSCがトトロのステージ・マネジメントチームの募集をかけるわけですが、そのとき学校に「これ受けてもいい?」と相談するくらいにはガチでした。
しかし、応募すると同時にお世話になった演出家から、トトロと同規模の公演へのオファーがかかり、彼を裏切りたくないという気持ちから、トトロの書類選考通ったにも関わらず、面接辞退することで私はトトロへの縁を切りました。
しかし当然「イギリスにいてトトロ観に行かないわけにいかない」と思い、チケットを確保して劇場に足を運んだわけです。
そこには今まで見たことのない光景が広がっていました。舞台上にずらっと並んだ東アジア系キャスト陣。プログラムに名を連ねる東アジア系スタッフ。そして満員の観客、スタンディング・オベーション。
ヨーロッパで、イギリスで、ロンドンで、こんな景色を観る日が来るとは。
Asian Proudとはまさにこのこと、と心の底から思いました。
作品への感動以上のものが、そこにはありました。
日本に生まれて、日本で生活していると、なかなか自分を「日本人」「アジア人」と強く意識することはないと思うのです。
日本は単民族国家です。それこそだいぶ多様性が見られるようになってきましたが、それでも他国のそれに比べれば移民はとても少ない。移民の多くも東アジア系なのでぱっと見わからない。とても単民族に「見える」国なのです。
でも一旦日本の外に出ると、日本人って至極マイノリティー。日本語を話す国って日本しかない。文字通り極東の島国なんです。
コロナ渦になって、Asian Hateが起こりました。欧米の都市部で顕著で、アジア人に対するヘイトクライムが起こりました。同時期にBlack Lives Matter(BLM)運動が起こったので、世界的にどれくらい注目度があったかはわかりません。でも確かにアジア人差別が表面化された機会がありました。
わたしも多少の影響を受けました。コロナ渦がはじまりロックダウンが開始された最初の1年間をカーディフで過ごしましたが、最初期にはスーパーに行く途中罵声を浴びせられることがありました。マスクしてると「アジア人」と即刻目を付けられるので、アジア人に見られることの方がコロナより怖かったくらいです。幸い私は直接暴力被害にはあいませんでしたが、怖いニュースはたくさん見ました。
人って愚かで、自分が被差別者になって初めて、差別を本当の意味で当事者意識するものです。
自分をRacistだと思ったことはありませんでしたが、自分の認識の浅さをこのとき思い知りました。
例えば、BLM運動のような黒人差別に対するステートメントやアクションを知人がしていたとして、私は「気持ちはわかるけど、黒人がすべてじゃなくて、アジア人(東アジア・インド・アラブ系含む)もラテンアメリカ人もいるやん」と思っているタイプでした。白人でも黒人でもないから当事者意識が微妙に薄くて、ユニバーサルに心を広く持っていればいいじゃんと漠然と思っていたわけです。
でもいざ自分が明確に「被差別者」にあると実感したとき、そもそもの前提概念が変わるような思いがありました。「別にみんな平等にすればいいじゃん」だけじゃないのです。それを実現するには、「私たちはここにいて、あなたと一緒なんだよ」と言わなければならない。言わないと気づいてもらえないんです。
日本にいて、(ほぼ)日本人としか会っていないと、うっかり見落としかねないことに気づいたわけなんです。
私はフィギュアスケートの大ファンなのですが、例えば日本で単にフィギュアスケートを応援していたとき、私は推しが活躍してくれれば特にその意味を深く考えることもなかったと思います。
でもイギリスで色々体感したあとに、北京オリンピックでネイサン・チェン選手が金メダルを獲り、さらに鍵山優真選手、宇野昌磨選手、羽生結弦選手、ジュンファン・チャ選手が続いて、アジア人の大活躍を目にしたとき、そのことが何より一番誇らしかった。そしてネイサン・チェン選手が「自分が子どもの頃にミシェル・クヮン選手等の活躍に勇気づけられたように、Asian Americanの子どもたちに夢と希望を与えられれば」と言ったのに心から共感したのです。
アジア人が活躍することの意義。日本にとどまらない、その影響。誇らしさ。自分が何を背負っているのか。
2023年オリヴィエ賞で、2人のアジア人女性が受賞しました。1人は中野君枝さん、もう1人はJessica Hung Han Yunさんです。お二人とも舞台裏、いわゆる日本ではスタッフに当たる人で、そんなに注目はされないかもしれない。でもこれは偉大なる快挙です。中野君枝さんは、私の調べた限り日本人初のオリヴィエ賞最優秀衣装賞受賞者です。スタッフとしても日本人初です。Jessica Hung Han Yunさんもアジア人として初の快挙です。そしてお二人ともアジア人女性です。同じアジア人女性として、イギリスで舞台に携わる人間として、こんなに嬉しいことはありません。
トトロのカーテンコールで、客席で舞台に拍手を送っていたときの気持ちを、私は一生忘れないと思います。言葉にするのは難しい、英語でいうならproud Asian momentだけれど、そこには簡単に言い表せない色々な感情が含まれていました。
誇りと傲慢は違う、謙虚と卑屈も違う。わたしもアジア人として、日本人としての誇りを持ちながら謙虚に、自分のフィールドで活躍をして、誰かに希望を与えられれば、と思うような日になりました。
中野さん、Jessica、RSCトトロチームの皆さま、改めて、おめでとうございます!!!
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