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「やりたいこと」がないのは悪いことか?

「自分のやりたいことは何か?」

考えたことがない、という人は多分いないだろう。

しかし、その答えに出会えた人は多くはないだろう。
そもそも、そんなに考えずにのほほんとしていても、何となく生きていけるように世界はできているらしい。

僕もかつて、自分自身の将来像が見えず、ただ何となくその日暮らしをして、空虚な気分に襲われていた時期があった。


何がしたいのだろうか? どこに行きたいのだろうか? いま何をするべきなのだろうか? 前に進みたいけど、どっちが前なのか分からない。ゴールが決まっていないのだから当然と言えば当然かもしれない。ではゴールはどうやって決めればよいのだろうか?

何もかも中途半端だ。
人並みかそれ以上にできることは、多分まあまあ多い方だ。
でも、飛び抜けてできるものは何一つない。
これもまあ当然かもしれない。
「人並み」を外れられるほどの努力などしていない。

いろいろなことに興味はある。
ただそれで食っていくことは難しい。
能力がない。
スポーツも、音楽も、芸術も、ファッションも、レジャーも、興味はある。
ただ、中途半端だ。
プロになるとは、その分野で上位の存在になるということだ。
それだけの能力など持ち合わせていない。


夢を追う人を応援したいと人は言う。夢があることはいいことだ。では、夢がないことは悪いことか?


そんなことを考えていたのが1年くらい前で、今でも「やりたいこと」は見付かっていない。しかし、自身の人生を振り返ったり、目の前のことに意志をもって取り組んだり、その果てに「実現したい理想」と言えるものは見付かったように思う。
そして今は、空虚な気持ちは全くない。日々を生きていくことが楽しい。


繰り返すが、具体的な「やりたいこと」は見つかっていない。
例えば薬の開発研究をしたいとか、自動車関連の事業に携わりたいとか、具体的な業務内容という意味での「やりたいこと」だ。

個人的には、そんなのは単なる手段だと思う。
大切なのは、それを通じて、「何を実現したいか」「どういう人間になりたいか」。抽象的だが、そのスケールで良い。
「カッコいい人間になりたい」なら、どんな人間をカッコいいと思うのか、少しずつ具体性を上げていけば良いだけだ。
最初の指針が定まれば、手段はきっと後から見えてくる。
逆に目的がないのに手段を探してみたところで、見付かるわけがないのは当然だ。

夢を「やりたいこと」と位置付けるなら、夢がないことは悪いことではない。
でもきっと、「実現したい理想」はあった方が、人生は楽しい。
そしてその向こうに、「やりたいこと」へ続く道がある。

抽象的で良い。まずは、自分の人生を使って実現したいことを設定してしまうことが、「やりたいこと」へのきっかけであり、そして人生を楽しむコツな気がする。


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白湯
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