星空の色を残せない
以前、大学の友人と沖縄旅行に行った。
沖縄と言えば、透明度の高い海をはじめ、多くの景勝地を売りにしている。僕たちもウェブサイトやパンフレットの熱いプッシュに圧されるがまま、いくつかの名所を訪ねた。僕は免許を持っていないので、運転はすべて友人に任せたが……この場を借りて、再度お礼申し上げます。
どの日もこれでもかというほど海やら山やらの写真を撮りまくり、スマホの画像フォルダは気付けば青や緑の写真でいっぱいになっていた。そんな中で一つだけ、記憶には鮮明に残っているのに、全く写真に残せていないものがあったのだ。
沖縄本島の北に位置する離島、古宇利島に行った時のことだ。
その日は午前にマリンスポーツ、午後に乃木坂46聖地巡礼をしていて、到着した頃にはほぼ日が暮れかかっていた。日の入り前でもくどいほど透明な海を見、海岸を歩き、雑貨を購入し、さあ本島へ戻ろうかという時。雑貨屋の店員さんが、「もう少し待って日が暮れたら、星が綺麗ですよ」とささやいてくれた。
東京ではろくに星なんて観られない。星は沖縄でなくとも観られるが、ここ数日は天気が良くなく、その日が久しぶりの星空になりそうとのことなのだ。特別感に弱くちょろい僕は、時間つぶしも兼ねて車で島を一周し(てもらい)、星を楽しむことにした。
藪に囲まれた道を走る。対向車は一台もない。窓からは波音と潮の香りが吹き込む。窓から出した顔に遠慮もなくぶつかる風も心地よい。雑貨屋で食べたきびアイスの味が口の中から消えかかった頃、太陽は水平線に消え、星が待ってましたとばかりに姿を現し始めた。適当な所で車を停め、降りる。
オリオン座と冬の大三角が東京の季節感を揺り起こしかけたが、それも浜風がすぐに吹き消した。純粋に心を打たれ、少しの間ぼーっと眺めていたのだが、ふとこの景色も写真に残しておこうと思い立ち、スマホを空に向けた。
……真っ暗である。
スマホのカメラでは、どうやら夜空に浮かぶ小さな星々の光はキャッチできないらしい。うーん、こればかりはどうしようもない。その光景は目に焼き付けることにし、島を後にしたのだが、帰りの車中でぼんやりと考えたことがある。
現代人、特に私たちの年代に多い気がするのだが、何でも写真に残すばかりで、心に残そうという意識が薄いのではないだろうか。
とは言っても勿論記憶は薄れていくわけで、心の中に持っておける体験の数や質には限りがある。どうしても要素が少しずつ抜け落ちていく。
「観る」ことはやはり重要なようで、カタチとして風景だけでも残っていれば、再結晶のように、それを核にして音や匂いなどを引き出し、その体験をもういちど生み出すことができる。要するに、体験をそのままの形で再生させる触媒になる。それが僕の思う写真の良いところだ。
前述の通り、自分自身も大量に写真を撮っているわけだし、何もそれを否定しようというわけではない。ただ、逆にその場での体験が色あせてしまっては、何だかもったいないなあ、と思う。体験を切り取って保存できることで、その場での五感が鈍ってしまわないだろうか。
せっかくはるばる古宇利島に足を運んで、星空を見、波音を聴き、潮の香りを感じ、浜風に吹かれ、きびアイスに舌鼓を打ったのだ。まずはその生の感覚を、その場でしっかりと噛み締めるのもいいものだろう。
そういえば後になって調べてみると、ネット上で「星空をスマホで撮る方法」なるものが紹介されていた。「あー調べとけばよかった」という後悔は、不思議とない。写真に残せないからこそ色づいた記憶が、彩りある星空が、自分の中には残っている。
…以上、古宇利島PRでした!
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