アスリートメンタルヘルスとコーチング
前書き
大坂なおみ選手のメンタルヘルス問題や東京2020オリンピック大会のアメリカ女子体操選手のメンタルヘルス問題だけでなく、アスリートへの誹謗中傷などアスリートへの精神攻撃やアスリートが抱えてしまうメンタルヘルスへの課題というのは昨今になってようやく目に留まるようになってきた気がします。
結論から述べると、こうしたスポーツの背景にあることや選手が抱えている問題やバックグラウンドに目を向けることが非常に大切です。なぜかというと、スポーツが何のために人々から愛されているかなど哲学的に非常に大切なことを確認できるからです。今回のアスリートメンタルヘルスが我々に何を教えてくれたかと、私なりの意見を一言でまとめると「幸せの在りか」を競技の中で選手やスタッフ、大会主催者、スポンサー、アスリートを取り巻く多くの人間で共有することやそれを観客に正しく伝え、共感することだと思っています。(全然一言ではない)
今回の記事では、私がコーチングをする上で”日々大切にしていること”に触れて頂きたいと思います。触れるだけで良いのです。
アスリートは複雑な環境で”働いている”
スポーツに疎い人という方が正しいかは分からないですが、スポーツから遠い生活をしている人にとってはアスリートが仕事をしているという感覚は薄いのかもしれません。また、全てにアスリートが競技をすることを生業としていないケースも非常に多いのでアスリートの労働環境はあまり多くの人に知られていないのかもしれません。
バスケに例えます。
国内プロリーグのBリーグはさまざまな規定により「プロ球団」であるために一定の条件を満たし続けなければいけません。まず球団がプロでいられない限りその球団に所属する選手がプロでいられるわけがありません。
さらにその球団の収益(売上?)の多くはスポンサー料に依存しています。
つまらないまわりくどい説明が続いていますね。悪い癖です。
何が言いたいかというと、アスリートはスポンサー料(スポンサー会社のPRが主でその対価に支払われるお金)なしでプロアスリートを維持することが難しいのです。そのほかの売り上げとしては、イベント参加費やメディアへの露出、記事の寄稿、本の出版などなどお金を稼ぐ方法はいくつかあるのですが、単純にスポンサー料を軸に競技活動を続け、生計を維持しているのが一般的な感覚です。もちろん、球団などのサラリーは存在していますが、金額は選手によってまちまちです。
スポンサーをいかに獲得し、維持ができるかというのは企業vsアスリートの構造を作ります。少し大袈裟ですが、いいスポンサーを離さないためには自らがメディアに良い姿で露出し続けることが必要です。そのため、単純に強い選手(チーム)を目指していくことになります。
では、アスリートの仕事はメディアに出ることなの?記者会見が仕事場なの?と言った疑問、せめぎ合い、イメージを守ることが選手の務めなのかと少し感覚にズレが生まれますよね。
余談かもしれないですが、強いチームで”ビジネス”がうまくいかないケースはあまり見たことがありません。
強い=知名度が上がる=スポンサーも豊富=集客などビジネスにも良=ブランド化
これは、収益事業でなくても見受けられる成功の1パターンだと思います。
これは武井壮さんもよく言っていますが、
「10種競技で日本記録を持っていても食えなかった」
この言葉に尽きる部分が確実に存在しています。
どんなにその競技でスペシャリストであったとしても人々が関心を持ち、「見なければ」価値はないに等しいとされるのが今の日本(世界?)のスポーツシーンの実情とアスリートの労働環境です。
アスリートは何のために???
アスリートの背景にあるものの多くは残念ながら「誰かの思惑」であるのは確かです。多分、日本人の多くが気がついたと思います。オリンピックでさえ、IOCの思惑と日本政府の政治利用といった面、参加途上国の選手でさえある意味、オリンピックへの参加を政治利用に活用している部分があります。
冷静になって考えてみると、オリンピックに提供、協賛・・・スポンサーどしている企業がなぜ「オリンピックを応援しています」というCMを出すのか(出せるのか)というところも大人の思惑があるとしか言いようがありません。悪く言えば、アスリートは偉い人やお金をいっぱい持っている人たちの金稼ぎのツールでしかありません。
そんなネガティブな面を払拭できるいい面もあります。だからこそ、スポーツの本質を見逃してほしくありません。スポーツが持つポテンシャルです。
「オリンピックで掴むことができたものは?」という記者の問いかけに対して、
「金メダルだけでなく、人の心を掴むことができた。」
正確には覚えておりませんが、このようなことを話していました。
何かを突き詰めていくプロセスでは様々なことを背負い込み、プレッシャーい押しつぶされそうな時があります。どんなに好きなことでも挫折を味わう場面では、自分を信じることができなかったり、好きなものでさえ嫌いになってしまうことがあります。
その中でも、苦痛のためやそれこそお金のために競技している選手なんていません。お金のためならなんでも我慢するべきだという考えは全く筋の違う話なのです。
アスリートはまず誰かのためにプレーをするという気持ち以前に、自らの幸福追求のためにプレーをしているはずですし、そうあって欲しいと願っています。トップ選手がメダルをかけて戦う場面で、もちろん勝って喜ばせたい誰かを想像することもあると思います。ただ、その瞬間にアスリートたちにあるものは心から『楽しい』と思える瞬間の連続です。
私も経験があります。気持ちが高揚して堪らないゲーム。夢中になって勝ち負けさえも見えなくなるゲーム。プレーをしている当の本人は「楽しい」をルーツに全てをかけて戦っているのだと思います。
しかし、その道のりは並大抵の苦労ではありません。プレッシャーを感じながらも突き詰めていく先にあるものは、「人の心を奪う力」だったりします。このスポーツが持つポテンシャルを履き違えて捉えてはいけません。
アメリカ女子体操選手のバイルス選手。リオオリンピック金メダリストで今大会の注目選手。金メダルを取ると言われていた選手が各種目で決勝を棄権していました。
「心の健康を最優先にー。」
どんな選手であっても自分を信じることができず、周囲に疑いをもち、戦うことができなくなってしまう可能性を持っています。彼女は結果的には最後のあん馬で銅メダルを獲得しました。
銅メダルに対して、
「どんなメダルよりも大切にしたい。」
そうコメントを残しています。
メダルを色というのは、その選手や競技、もっというとアスリートからかけ離れた人にとってのみ大切なものになります。人々の心を掴むのは決してメダルの色や知名度、記録の素晴らしさや強さではないということを私たちは確認しなければいけません。スポーツを取り巻くマネーゲームに乗せられる前に、アスリートの本質に目を向けなければいけません。純粋に選手という人の部分を楽しんで、選手と一緒に「挑戦」をしていくこと、心を動かしていくことを楽しまなければいけません。
北京オリンピックのテーマソングであるMr.ChildrenのGIFT。
「一番綺麗な色ってなんだろう?」
「一番光っているものってなんだろう?」
名声や結果のために努力があるのではないはずです。自ずとついてきた結果にもしかしたら誰かにとってのバリューがあるのかもしれませんが、評価すべきポイントはそこではなく、どこまで人をポジティブに影響できたかどうかというポイントになるのだと思います。「光り輝くものに人々を魅了するもの」があるのではなく、「人々を魅了するものにこそ光り輝くもの」があるのです。
アスリートの心を「消費」させ、何かを生み出す先に何があるのか。
そこはアスリートにとって、観客にとって「幸せの在りか」であるのか。
これはスポーツを見る人が考えなければいけないことなのです。
帰るときに幸せを感じて帰ることができるか
どんな年代を指導していても私が心がけていることがこの「帰るときに幸せな気分で帰ることができるか」です。
コーチがこういうことをいうと、てっきり選手が帰るときにーと想像しがちですが、それは半分正解で半分不正解です。コーチングというのは実に大変なプレッシャーや責任を担う仕事です。コーチは特に「なんだかなぁ」と課題を残しながら帰ることが多いはずです。これはコーチングが持つ属性に由来する感情かもしれませんが、もし自分がいい気持ちで帰ることができるのであれば、選手はきっともっといい気持ちで帰っているに違いない。そう考えるようになったのです。
選手はまず、「楽しい」から始まる興味関心からプレーをすることを選択します。実はこの選択はリスキーですよね。競技が抱える特性や競技者人口によるトップの競争率、そんなことを全て無視してまず楽しいという一時の感情や快楽のために大きな決断をすることになります。
(というのも、私はそこまでバスケの魅力に浸すつもりで接していくので。笑)
どのような動機があって競技を始めても、どのレベルを目指していても私のゴールは「選手にとってチームを幸せの在りか」にすることです。それは、チームが単純に選手にとって居心地の良いものにするというわけではありません。幸せを見つけるというアクションは言葉以上に難しいです。幸せというものは自分が主体となって物事を見ない限り絶対に見つからないものです。幸せを教えるということは本当に難しいことです。特に小学生に「幸せってなんですか?」と聞いたところでまともな返答はないかもしれません。大人に聞いても難しいことのように思えます。
私自身もどのような状態が「幸せな状態」かと問われると難しいです。
ただ、練習は一人で成せるものではないですし、人の成長を促すこと、実感させることも一人ではできません。さらには何かを身に付けさせて、人を競わせておきながら、帰るときにポジティブなマインドセットで帰すことは相当な難易度のミッションです。
でも、スタッフが相互に作用してポジティブなマインドセットで助け合うとき、プロジェクトが上手くいったとき、チームが捉えている「最高の瞬間」を共有するとき、これは最高に幸せなをみんなで作れる瞬間と言えるでしょう。毎回の練習でここまでを目指し、向き合っていくこと、選手と成功を共有することができればこのミッションは必ず達成できるのです。
決して独りよがりになってはいけません。自分が気持ちいいを「自らの幸せ」としている間は成功はあり得ません。他者の幸福を考えた上で自らの幸福を追求するところにコーチングの深みがあります。技術はあくまで心を伝える方法にすぎません。だからこそ、ハラスメントは必要ないのです。
私の言葉かけ
これはあくまで私の方法で、参考にもしなくて良いとも思います。
私の声かけので一番の根底にあるものは選手が抱えるネガティブをどこまでポジティブに持っていけるかという心がけです。
コーチとは、選手の悪い部分に目をむけその課題をどこまで良い方向に持っていくことができるかという処方箋的な部分があります。カウンセリングなどとは全く違う本質を持ちますね。(もちろん寄り添い、良い部分に目を向けることは重要です)どうしてもネガティブなところに口を出すことから避けることはできません。
例えばハードな練習を行うとき
そもそも単調なランメニューはあまりさせないですが、ランメニューをあえてと入れる時は動機付けの部分で工夫を凝らします。本当に走らせたい時はより実践的な走り方を合理的に教えますが・・・
一般的なコーチは選手を励ますことに注力し、それなりの走る理由(試合で走れなかった、走れば勝てるなどの精神論など)を選手に投げかけ(強要し)やる気を引き出す(と見せかけた強要)を行います。
別にディスりたいわけではありません。笑
選手に声を出させ、確かに楽しいし楽しんでいる風や、やり切った風などの満足感もありますよね。
私も後半は同じです。選手が走っている間は頑張れーって励ますしかありませんし、楽しい風を醸し出すために頑張る2流コーチです。分かりませんが。でも、ランメニューでまず最初の、走り出す前の「うえぇ。走るのか。」をそのままにしては、試合でも走ることはできません。
他人が心動かされる瞬間ってどんな時?
うざいくらいに選手に聞き倒すスタイルのコーチングなのでこういうオープンクエスチョンから切り崩します。
他人がうわぁ!すごいなぁ。とかハラハラ、ドキドキする瞬間って心が動く瞬間だと思うの。もう無理とかキツイとかそういう瞬間でも頑張ろうとする姿勢とか、限界を超えるその先にある選手たちの姿が観客を感動させるんだよね。
誰もが持つ限界に簡単に挑戦できるのが『ランメニュー』。技術は必要なくて、速く走ることがゴールじゃなくて、誰が一番他人の心を掴む走りが、限界に挑戦できるかが、ランメニューを行う意味なんじゃない?
このような言葉をかけています。
手を抜かないことがいい、走り切ることがいい、速いことがいい、チームで一番がいい。確かに大切なことです。でもこれ、誰のために走っているの?という部分やメニューの主体も自分自身であって欲しいと思うことや走っている自分の姿が他人の目にどう映るかという第3者的目線は、最終的にここぞという局面を楽しむまでのプロセスに必要なことを教えてくれるような気がするのです。
試合の勝敗以上に観客の心を魅了したチームが勝ちだと思っているのでこのような指導になってしまうのでしょうか。
でも、そういう自分自身のかっこいい姿を想像すると選手たちは心躍って結構頑張ってくれたりするんです。ポジティブなマインドセットに勝るものってないんですよね。
まとめ
スポーツはときに残酷な面があります。スポーツの世界で生き残ろうと、何かを成そうと思うのであればそれ相応のリスクが伴います。リスクだけでなく、苦悩や苦労は欠かすことができません。でも、どこまで突き詰めても自分が幸せであろうとする心を忘れてはいけません。そして、他人の幸せを作ろうとする心も一緒に、忘れないようにしまっておかなければいけません。
幸せを掴むこと、逃がさないことは本当に難しいことです。愛情だけでは届かない時もあります。痛みを伴う時もあります。そんなことを日々気づかせてあげれるかどうかはコーチングにかかっています。
そのためには、自らの言葉を操るトレーニングや心を育む勉強や訓練をしなければいけないし、それこそがまずはフィロソフィーを作り上げる大切なプロセスなのです。ポジティブな日々を過ごしていくためには準備を怠ってはいけませんし、人をポジティブにしようと思ったらもっと骨が折れるような作業が待っていますよね。それらも全部含めて上手く導くことができればチームが多くの人にとって幸せの在りかとなり、アスリートのメンタルヘルスを守ることができるのかもしれません。