オタクはライブでSHHisの夢を見るか?~ムゲンビートを見て~
これのつづきっちゃあ続きだけど特に読まなくてもいい。
ムゲンビート見てハッキリ思ったんだけど
SHHis、シナリオとライブの乖離がすごいけど全然違和感なくない?
ということ。
そもそも、曲自体はなんだって自由。
放クラだってあるかわからない卒業の歌うたったりしているし、別にアイドル自身のことを歌っているとは限らない歌も全然あるので、そこは気にならない。
ただ、一個問題があるとしたら、SHHisはにちかがいる。
にちかは本来あんなライブの紫月さんみたいなえぐいパフォーマンスはできない。
ただ、それで解釈違いだ!とならないのは、誰もライブで”わざとクオリティを下げたパフォーマンス”なんて見たくないし、ライブや曲自体は表現であり、先に挙げたようにシナリオとの完全一致が必要かと言うとそういうことはない。声優さんが表に出てくるわけだし。
そういう点でなんら問題ない表現なわけだが、じゃああのライブは何だ?と考えた時に、”夢”だなと。あのライブは、”SHHisの理想の姿”、つまり夢なんよ。
なーに言ってんだこのオタク、と思われるだろうが、よく考えてほしい。
にちかが完璧に踊り切って美琴さんに負けないぐらいのパフォーマンスしてそれで横でファンサするぐらいの余裕があってバチバチにやり合っているのは、完全にSHHisの夢見るところではないだろうか。
で、それなら”理想の姿”ってだけの話でいいじゃんと思うでしょうが、僕からしたらまじでライブみたいなSHHisがシナリオで見せられるなんてのは”夢物語”だと思っているので”夢”と言ってます。
だって無理じゃないですか…?
このシナリオのペースで、まだまともににちかがファンと向き合うような描写もあまりない上に、美琴と比較してクオリティ下げたパフォーマンスさせられる上に、その上でまだまだ、美琴とにちかがようやく互いを理解しようと一個の壁を超えようとしだしたみたいな状態で……。
このペースだとたぶん美琴さんが先に年齢で引退しちゃうよ………
とか考えたりしてると、自分の中ではライブのSHHisは永遠に完成しないSHHisの夢物語なんだよな。
そう考えるとめちゃくちゃ"エグ"くないですか??現実(?)のほうがむしろ二次元よりも理想を見せる存在になってる構図。しかも紫月さんはどんどんパフォーマンス力をあげていっている。一方のにちかはSHHisにかんぱ~い(笑)とかやってる。差が開いていくばっかり。そこの差が開けば開くほど、シナリオのにちかはより"みじめ"になってしまう気がする(おそらくそこも意識はしてると思う)。
普通は「現実が空想に追い付かねぇ!!」となるところが、「"空想(創作物、シナリオ)"が現実に追い付かねぇ!」となることで、これからSHHisが進み続けていくことで、空想と現実が逆転していき、むしろ空想のほうがよりリアリティを持ってくる構図になっている。
そう考えるととたんに不安になってきた。前のnoteで「新曲ではシーズが歩み寄ってきたね~~」っていってたけど本当に歩み寄れるのだろうか?
というか、現実に比べてあまりにもゆっくり成長していくにちかに我々読者はたえられるのであろうか??
というかむしろ、にちかはこのままアイドルとして十分に成功せずにCDショップ店員に戻るルートもあるんではないだろうか?
他のユニットがアイドルとしてのスタートラインにたち、その上でファンとの向き合い方等を考えているようなさなかで、SHHisだけまだスタートラインにすら立てていない気がしていて、それってにちかの本当の幸せなんだろうか?にちかがちゃんと納得した上でCDショップ店員あるいは別の形でアイドルを影ながら支えるほうが幸せではなかろうか。それはなげやりなアイドルの放棄や諦めではなく、納得してやりきった上で、本人自身が、自虐でなく「アイドルよりも幸せな道があるな」とポジティブに選ぶ必要がある。
そしてそうしたとき、我々は最大の苦難に立ち向かうことになる。
にちかが自分で選択し自分で幸せだと思うのであれば、アイドルを諦めた道は全く絶望でもドロップアウトでもない。しかし、現実世界にいる我々は依然として「完璧なSHHis」、夢物語のようなSHHisをライブで見せつけられ続けることになる。それで我々ファンは、にちかに対して本当に踏ん切りがつくのだろうか?いやつかない。だがにちかが自分で選んだ以上、再度アイドルになることを求めるのは完全なエゴで、むしろ諦めきったにちかの想いを無理矢理掘り返すかたちになる。だが、我々は知ってしまっている。完璧な、夢物語のようなSHHisを。それを見てなぜ諦められようか?手と手を重ね合わせて、美琴と全く遜色ないパフォーマンスをつづけるにちかの姿を見せられて。
つまりこれ、どのみちどうやっても、我々視聴者は苦しむことになり、そしてそれは「みんな何もうまくいかなかった!絶望!」みたいな浅いクソみてぇな作った絶望ではなくて、我々のアイドルを応援する際にアイドルに向ける身勝手なエゴを、自ら生み出したエゴを自分で直視せざるを得ない状況になる。
それってサイコーですね。非常に純度の高い絶望です。
完全に外部から与えられたものであれば、そこでにちかが一人で勝手に絶望しているだけであるならばある程度解決のしようがあるが、上記のような状態の場合、自分の中にあるもので、それが1番変え難い感情である。
他人に同情したり憐れみを向ける際、当然ながら自分の解釈をそこにいれているわけで、そうなっている以上、自分の解釈とは必ずどこかで差異が出てしまう。
しかし、自分が、自分で思った感情については当たり前だが解釈違いなどでない。
「これは自分の理想と違ったな」とか、目を背けることができない。
もし今にちかが幸せだとわかった上で、完璧なSHHisを求めるとなった時、その感情を整理する先がない。目を背ける先がない。
と、まあ、そういうことでSHHisの「七草にちか幸せ平和ルート」は、読者にとっては全く幸せでない可能性があるわけだが、やはりそれを考えての、あのリアルライブでのパフォーマンスなんだろうか…
まあ話の半分は悪質な妄想としておくにしても、事実リアルライブが輝いて見えるほど、シナリオ上のにちかという存在が異質に映ることには変わりはない。
果たしてにちかが進展するのはいつなのか。
GRADはいつなのか早くしろ
このままでは、シナリオ上のにちかと美琴がスタートラインに立つ頃には、
リアルのSHHisの紫月さんとややさんが“やりきって”しまうかもしれん
シナリオが、追いつかないかもしれん。
頼むから早く、シナリオよ、現実に追いついてくれ。
よろしくお願いします。
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