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『真夜中の呪術師』


『真夜中の呪術師』

大学のサークルの飲み会で酔い潰れたセーラは帰宅を遅らせていた。ギリギリ終電に間に合わせ、千鳥足でフラフラになりながら駅から10分の距離を歩き、なんとか自分とママの住むマンションにたどり着いたのだった。
しかし、深夜のロビーで見知らぬ中年男性からかなりシビアな対応を迫られる羽目になった。

「あなたの背中に変なものがツイテますよ」

セーラとすれ違う時に、突然その男はそう言ったのだった。セーラよりも10センチ以上身長は高く、エラの張った顔に四角い黒縁眼鏡、髪は丸刈りで白髪も目立つ。年齢は40代くらい。見掛けない顔で、どうもこのマンションの住人ではなさそう。

「えっ?どこに?」

ゴミでも付いてるのかと思い、セーラは自分の背中を見た。「わざわざ教えてくれるなんて親切な人なんだ」とその時セーラは思ったのだった。酒のせいで警戒感が薄れていたのだ。

「今取ってあげます」

そう言うと男は

「臨兵闘者皆陣烈在前」

と唱えながら目にも止まらぬ素早さで自分の指を結んだり組んだり捻らせたりした。九字護身法の印を結んだわけだ。そして次に

「オンタリマキリクソワカ」

と千手観音の御真言を三回繰り返し唱え、

「喝ッ!」

と言ってセーラの右肩をポンッと軽くはたいたのだった。
いきなり肩をはたかれてセーラは驚いたし少し相手を睨んでしまったのだけれど、
「どうですか?少し楽になりましたか?」
とその一見まるで有り難みのない坊さん地味た男に聞かれてみると、本当に体が軽くなっているのを実感出来たのだった。

「この人はもしかしたら、テレビとかにも出ている有名な祈祷師?先祖が安倍晴明とかそんな感じの人?」

などと想像して、セーラの心の中ではなんだか勝手にワクワク感が増してくるのだった。クールな祈祷師が出てくる映画を子供の頃に見たのも記憶に残っていた。祈祷師が呪文やお祓いとかで悪霊を退治しまくる、そんな映画だった。

「も、も、も、もしやそなたの名は?」

お礼も言わずにセーラはその男にそんな風にいきなり聞いたのだった。そんな芝居地味た聞き方になってしまったのは、酔っていたせいもあるのだが、セーラが演劇サークルに所属していて幕末を舞台にしたコメディタッチの芝居を丁度その時に練習していたからだった。来月の代々木での講演会も迫っていた。脚本や演出の多くをセーラが担っていた。ママとの普段の会話も最近は時代劇風になりがちではあった。
自分の名を問われてその男はこう返してきた。

「拙者、名を名乗る程の者でもござんせんが、ただの通りすがりの変態です」

そう言い残して男はそのまま足早に立ち去ってしまったのだった。
ガランとした深夜のロビーの白い空間に一人取り残されたセーラは、まるで幽霊にでも会ったような気分になってしまった。エレベーターに乗ると心のゾワゾワ感が段々と強くなってきて、部屋のドアまでがいつもよりかなり長く感じられてしまうのだった。部屋にたどり着いた時にはママはもう寝てしまっていた。

「マンションの26階から見下ろす下界にはいつものようにネオンが瞬き、化け物だか妖怪変化だかの訳の分からない危険な生物がうようよしている。夜が明ければまた私は下界に戻らなくてはならない。人間は生きることに呪われている」

とベランダからの景色を見ながらセーラは思うのだった。

「あの男は本当に自分を変態だと名乗ったのだろうか?変態と言われれば確かにあの男は変態なのかもしれないが、でも私の聞き間違えではないかしらん?」

とセーラは自問自答しながら眠りについたのだった。

翌日二日酔いの頭でセーラはママに昨晩の不思議な男について話した。でもママには大笑いされながら
「お酒飲み過ぎて夢でも見てたんじゃないの?」
と言われてしまった。
セーラは一応否定はしたけれど、「夢だったのかなあ」と思うところもなくはなかった。
「取り敢えず、お稲荷さんにはお参りしとけば?安倍晴明の母親は女狐だと申しますぞ」などとママも言うので、早速近くのお稲荷さんにお参りに行った。帰りにセーラが引いたおみくじは吉だった。

あのヘンテコな呪術使いがママの新しい恋人だとセーラが気付くのに、それほど日数はかからなかった。


おしまい

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