貸金庫内現金等窃盗事件④(フィクション『蛇の道は蛇』③)
『蛇の道は蛇』③
故人の貸金庫が開くタイミングはいくつか考えられる。遺産分割協議前の財産把握の際に開けられるのが一般的だ。当然相続人全員の同意が必要になる。弁護士、税理士、信託銀行等が委任を受けた場合も相続人代表が同行する。問題は相続人が無地帯封の存在を知っているかどうかだ。当行はメインバンクではない。相続人が貸金庫の事を打ち明けない事も考えられる。私は定期的に無地帯封の法人についてチェックしていた。
やがて法人顧客ファイルが処理済キャビネに移された。当行の貸付はメインバンクに借り換えられたようだ。ファイルの最後に相続税申告書の写が綴られていた。相続争いでもあるのか未分割の申告だった。無地帯封は当然ながら申告されていなかった。なまじ法人株式に評価額があるのも相続争いの原因かもしれない。事業承継の特例措置など優良企業にしか意味がないし、そもそも後継者のいない中小企業には関係ないことだろう。配偶者税額軽減や小規模宅地特例を使えば税負担がかなり減りそうだが未分割では適用できない。最近は財産の多寡に拘らず相続争いになる事が少なくないようだ。無地帯封などがあると争いが複雑になるばかりだ。申告もれ財産なら追徴金も大変に違いない。無地帯封は私に使われた方が幸福というものだ。私は貸金庫が開くのがなるべく遅くなることを願った。
遅かれ早かれ貸金庫は開けられる。もし問題が発覚したらどう対処すべきか。私は時々それを考えていた。
ある日、他行の貸金庫内現金等窃盗事件のニュースが報道された。犯人は現金のほかに貴金属にも手をつけていたらしい。馬鹿な奴としか言いようがない。足のつく貴金属を盗るなどあり得ないではないか。当行への影響も必至だ。
私はとりあえず、作成していた貸金庫利用記録一覧表を処分した。顧客から問い合わせがあった時の対応は本店通達のマニュアル通りにして、バレる迄知らないふりをすることにした。いや、問い詰められても知らぬ存ぜぬで押し通すと肚をくくった。私は足のつく物には手をつけていない。気になる無地帯封の件は相続争いが長引くことを願った。
そして、私はまだ捕まらずに過ごしている。他行の窃盗行員は逮捕された。事件はワイドショーのネタになったが、程なく大物芸能人がトラブルをおこして引退すると世間の興味はそちらに向かった。窃盗事件のあった銀行のホームページには対応策が掲載されていたが、アナログな精神論が目立つ内容であまり真剣さは伝わってこなかった。
今年は私の干支の巳年だ。逮捕された窃盗行員は馬年のようだ。私は馬鹿ではない。蛇の道を生き延びて見せる。蛇の鎌首の動きに従うまでだ。
〈了〉
「あとがき」
本編の下書きを書き終えた頃、年始世間を騒がせたのとは別の銀行でも過去に貸金庫内現金窃盗があったと公表されていました。
今どき銀行員が聖人君主や選民だと思う人はいないでしょうが、もし銀行側の感覚が世間とずれているなら、事件はおこるべくしておきたのかもしれません。
それは銀行に限らず、政治家も官僚も企業も学校も同様です。芸能人やテレビ局の問題も似たような事が原因なのかもしれません。
これからそれらのツケが顕在化してくるであろう日本を想像すると恐ろしくなります。