貸金庫内現金等窃盗事件②(フィクション『蛇の道は蛇』①)
貸金庫内現金等窃盗事件について考察しようと思っていましたが、大物芸能人のスキャンダルとテレビ局のコンプライアンス問題(ガバナンス問題)が注目され出した頃から、世間の貸金庫に対する興味は失われていきました。大物芸能人が引退し、憶測が飛び交い、事態は混沌としているようです。
考察という名の憶測になってはいけないような気がしてきたので、今回は小説を書いてみることにしました。
これはあくまでフィクションです。
『蛇の道は蛇』①
入行してから二十数年。銀行員として順調に勤めて来たと思う。上司へゴマすり、後輩に気遣い、同僚と波風立てずに過ごして来た。一般職の採用だったが今では総合職に転換し営業課長である。
行員の本分が要領であることを悟ってからは人事評価も上々だ。蛇の道は蛇ということわざがあるが今では色々な抜け道があることも知っている。
私は以前投資で失敗して小規模個人再生で負債を減額してもらっている。銀行にいなければそんな方法を思いつかなかったと思うと感謝の気持ちでいっぱいである。そんな人間が営業課長というのもおかしな話だが、投資の才能とは関係なく上から言われるまま商品を顧客に勧めるのも要領である。
仕事も愛想よくこなしていた。私は貸金庫の管理責任者役も嫌な顔をせず引き受けた。
うちの支店の貸金庫は、いまだに顧客が窓口で申し込み行員が貸金庫室の開錠をするスタイルである。貸金庫カードを取り入れれば楽だと思うのだが、以前導入を進言した行員が叱責を受けたらしい。「貸金庫を利用する顧客との対面は、顧客の財産状況の把握と営業の機会として欠かせない」と言われたそうだが、本当は「システムにお金をかけても儲けにならない」と思っているのではないかと疑っている。
もっとも、顧客との対面で得られる情報があるのも事実である。窓口でわかることも少なくない。貸金庫には色々なものが保管されている。他人には価値のない物もあれば、権利書、遺言書、生命保険証書、他行の通帳や定期預金証書、そして現金や貴重品等々多種多様だ。かつては信じられない金額の割引債券が保管されていたこともあったらしい。
しかし営業は情報だけでするものではない。顧客の信用を得て情報を本人に語らせてから勧誘をするのだ。なんだか闇バイトのリサーチ役みたいだが、闇バイトが銀行のやり方を参考にしているのかもしれない。非課税商品なども営業の切り口として役にたつので国税庁様様である。
国税といえば、顧客が国税職員と一緒に貸金庫の確認に来ることもある。国税職員はご丁寧に貸金庫の伝票をチェックして利用状況まで確認していく。貸金庫カードなら端末で利用状況がすぐわかるのに大変だなと思っていたら、先輩から「彼らは伝票の筆跡から行為者の特定までしているんだよ」と笑われたことがある。
アンダーグラウンドの金を隠しきる人もいる。外面に隠れた彼等の醜い素顔を見ると嫌悪感を覚えるが、羨ましい気持ちも禁じ得ない。
反対に善人でお金に無頓着な人もいる。彼等はストレスもなく案外幸せそうである。本当はそんな人生が理想的な気もする。
ある日、善人タイプの顧客が国税職員と一緒に貸金庫を開けに来た。彼はなぜか相続手続をしたのに貸金庫を一度も開けていなかった。同行している税理士は相続税に詳しくないようでソワソワしていた。結論からいうと貸金庫は空っぽだったようで、ほっとした様子の税理士と拍子抜けした様子の顧客と淡々とした様子の国税職員の後ろ姿を見送りながら、私の頭の中でとぐろを巻いた蛇が鎌首を持ち上げた。
貸金庫の中身は利用者にしかわからないのがミソである。「私は貸金庫に金品など入れず、自分にとって大切な手紙類を入れている」と言っている人が実は金庫に金品を隠していてもわからないのだ。逆に銀行とのお付き合いで貸金庫を借りているが全く利用せず空っぽの場合もある。
私は貸金庫の管理責任者である。その気になればその秘密を覗けると考えて鳥肌が立った。
(つづく)