Solo du concours 1948-1986
本稿は、以前個人サイト用に作成した記事を元に加筆、修正したものです。
コンクール用小品とは
国立パリ高等音楽院(CNSMDP)では、卒業試験に当っての課題曲をその都度新たに委嘱していた時期があり、そうやって生まれた曲の中には現在の管楽器において重要なレパートリーになっているものも多い。ここでは、戦後まもなく設立されたサクソルン、チューバのクラスの課題曲を1983年までリストアップした(尚、現在では卒業試験用に新作を委嘱する事は逆に稀になっており、その頻度もクラスによって異なる)。
チューバクラスの変遷
ここでパリ国立高等音楽院のチューバクラスの変遷について触れておく。低音金管楽器のクラスが開かれたのは18世紀後半に遡る事が出来る。この時期にセルパンのクラスが2つあったことが確認されており、コルニュ Jacques-Marie CORNU、ヴェイヤール Gaspard VEILLARDの二名が教授の任に当たっていた。1765年にマチュー Jean-Baptiste MATHIEUに引き継がれ、このクラスは1802年まで継続した。オーケストラ、軍楽隊におけるこの楽器の位置を受け継いだオフィクレイドに関しては、1836年に開講された軍楽学校 Gymnase misical militaire に移管され、1856年までコシヌス Victor CAUSSINUSによるクラスが設けられている。非公式ながらもクラスが再び開講されるのはおよそ一世紀半後、1948年のこととなる。この年、ベルナール Paul BERNARDによって開かれたクラスはサクソルン・バス、フレンチ・チューバの混合クラスであった。48年にチューバ、51年にサクソルンの卒業生の名を見ることが出来る。1953年ごろから、バス・トロンボーンもクラスに付け加えられた。クラスはこの後1956年に正式なものとなった(註:この辺りの記述は、資料によってまちまちであり、後述のリストと一致しない部分も見られるが、ここではそのまま記してある)。ベルナールはこの後1981年まで教授の任に留まり、1982年にレジェ André LEGERを経てルロン Fernand LELONGへ引き継がれた。この時チューバ、サクソルンとバス・トロンボーンは2つのクラスに分けられ、副科としてチンバッソのクラスが設けられた。1995年からアシスタントとしてブリス Hervé BRISSEが加わる。1999年、クラスは更にチューバとサクソルン/ユーフォニアムの2つに分けられ、其々ビュッケ Gérard BUQUET (アシスタント:ヌランテール Bernard NEURANTER)、フリッチ Philippe FRITSCH(アシスタント:ブリス、2002年よりプティプレ Jean-Luc PETITPREZ)が教授の任に当たっている(註:2005年当時。追記:2023年よりチューバのクラスはワルラン Fabien WALLERAND が担当している)。
課題曲の変遷
課題曲は当初、サクソルン、フレンチ・チューバ、バス・トロンボーンの三楽器、時に(弦楽器の)コントラバスも含めて指定されている。バス・トロンボーンのみに指定され作曲された課題曲もあるが、これらに関しては別の機会に譲る。
もともとが上述の三楽器を想定して作曲されているため、現在世界で広く言われるチューバ(=バス・チューバ、コントラバス・チューバ)で演奏するには音域が高いものが多く、ユーフォニアムのレパートリーとなっているものも少なくない。実際文献には残っていないが、何人かの証言によると、フランスでバス・チューバが普及していった際にはオクターヴ下げて演奏していた事もあったようである。いわゆる「チューバ」の普及は、リストから判断する限り、1980年前後を境にしたものと考えられる。
このリストを作成するに当って、以下の2冊を参考にした。
Poullot, F. A propos du tuba, Billaudot Gerard Eds, 1987.
Thompson, J. Mark. Lemke, Jeffrey Jon. French Music for Low Brass Instruments, Indiana Univ Pr, 1994. 192 p.