アサカワミトさんインタビュー「演劇は、人間を深く、広く、知ることができる。」
こんにちは。枚方コワーキングHOOP!(フウプ)管理人の中岡ごうです。
なんと、7月のオープンから2ヶ月経ちました。日々、新しい発見や出会いばかりで、時間の経ち方が異様に遅く、「まだ2ヶ月か!!」と震えています。と言いつつも、フウプをオープンしてからというもの、こんなにも濃密な時間を過ごすことができ、本当にありがたい限りです。
ようやくですがフウプの運営が落ち着いてきたこともあり、次はイベントやワークショップを開催していきたいと画策しております。ですがただ開催するのではなく、主催者の人となりを知ってもらおうと思い、開催前にインタビュー記事を公開することをフウプ流とさせていただきます。(できる限り長く続けたい・・・!)
記念すべき第一回目は、「演劇」がテーマのイベントを開催いただくアサカワミトさんにお話しを伺いました。
アサカワミトさんは「ビィーゴ」のコミュニティマネージャーです。
枚方市駅にほど近い商業施設ビオルネ。フランス語で「生活を彩る」って意味らしいです。ミトさんは、ここの5階にあるコワーキングスペース「ビィーゴ」でコミュニティマネージャーとして活躍されています。
お会いいただけるとわかっていただけると思いますが、立ち振る舞いや所作から不思議な雰囲気を醸し出していて、とても個性的な方です。服装はというと「同じ服を着ている人を見たことがない!」といった、オリジナリティ溢れる装いでオシャレなんですよね。会話の際、相手の目をしっかりと見て話を聞いてくれるので、僕はいつもついつい喋りすぎてしまいます。なんだか空気の流れ方が違うんです。そんなミトさんが今のミトさんにたどり着くまでどんな人生を歩んできたのか、存分に語っていただきたいと思います。
ミトさんのルーツ
父は日本人、母は中国人なので僕は二つの国にルーツがあります。
父は公務員でした。決まった時間に家を出て、決まった時間に帰宅する。海外の人たちがイメージする「THE 日本人」の象徴とも言えるような人でした。一方、母は「THE 中国人」。生まれた時代が、毛沢東の文化大革命に近かったので、社会主義や反日思想が強かったですね。
なのに、そんな二人がなぜ結婚したのか。物心ついた頃、ふと考えることもありましたが、今思えば二人にしかわからない何かがあったんでしょう。
母に連れられ中国へ。
幼い頃、母に連れられて何度も中国へ行きました。
当時の中国は現在とは異なり、発展途上。日本とのあまりにも大きなギャップに驚かされていました。当然のことながら母親は、僕とは違った意味で日本文化とのギャップに悩んでいたようです。特に「家族に対する考え方の違い」は、母にとって看過できることではありませんでした。
中国人にとって、家族の存在はなにものにも代え難いものです。血のつながりを何よりも大切にしますし、親孝行するのは当たり前。息をするかの如く、親により良い生活環境を提供するのは、中国人であれば当然のことなのです。なのに日本で住んでいると、親を軽んじる言動や行動をそこかしこで目にする。それはそれは強い違和感を感じていたことでしょう。そもそも、親と同居していないなんて、全く理解できなかったようです。そして何より、自分自身が親と離れて暮らし、親孝行できていない罪悪感に苛まれていました。結果、母はホームシックになりました。
母と過ごした長い長い時間
全般的に中国人は派手好きです。母も同様に煌びやかなことが好きでした。僕もそのあおりを受け、服はよく、ブランドものを着ていました。見るからに「THEおぼっちゃま」です。同級生や周りの人たちからは「ミトくんはお金持ちの子」と見られていました。特段明るくもなく、でも服装はブランド。特殊な生活環境も相まって当然ながら、周囲から浮いてしまい、あまり友達はいませんでした。
その分、母親とは多くの時間を過ごしました。どこか出かけたり、中国へ行ったり。特にドラマや映画をたくさん観ましたね。
小学校低学年で「スパイゾルゲ」
特に記憶に残っている作品は「スパイゾルゲ」。第二次世界大戦下の日本で暗躍したソ連のスパイの物語です。3時間もの長編映画で小学生にはキツかったのですが、国と国の争いや平和とは何かを考えさせられる良作だと思います。しかしながら、子どもが観るような映画ではないので、当時の僕には非常に難解な映画でした。当たり前ですよね。
いわゆる子ども向けのTV番組や映画ではなく、トレンディドラマや戦争映画など、作品ごとに異なる人間やストーリーに触れることができた体験は、現在の僕が演劇に魅了されることになった動機形成につながっている思います。
他人の人生を辿るように、同じシーンを観る
良いなと思った映画やドラマを何度も何度も繰り返し観ました。それに飽き足らず、同じシーンをひたすら観直すようになりました。演者だけでなく、そこに映っていないシーンも想像しながら、あたかも他人の人生を辿るようなそんな感覚だったように思います。当時、TSUTAYAから「シネマハンドブック」という冊子が届いていたのですが、それこそ穴が開くほど何度も何度も繰り返し読みましたね。おかげで映画作品の知識は、誰にも負けませんでした。
観る側から、観られる側へ。
「自分も演じたい」
さまざまなシーンやセリフを覚えていくうちにそんな想いが芽生え、高校は演劇部がある学校へ進学しました。演劇への強烈な動機と熱意は、仮入部当日に入部届を提出するほど、熱く、強いものでした。
入部届の段階でそんな感じですから、入部直後もとてもモチベーションが高い状態。結果、完全に浮きますよね。周りの部員はそこまでの熱度ではないのに、自分は「プロになるんだ!」と熱くて強いモチベーション。結局、馴染めずに1年で退部しました。
しかし演劇は好きなので、別の高校の演劇部に参加させてもらいました。卒業後に至ってはさまざまな劇団に参加させてもらったり、劇団でプロとして活躍されている方々に出会ったり、多角的に「演劇」に関わっていました。
演劇は人間を深く、広く、知ることができる。
演劇から離れたり、くっついたりしている中で「演劇とは何か」「演劇にはどんな価値があるのか」を考えるようになりました。「エンタテインメント」のみならず「演じる」ことが人間にとって、どんな意味を成すのかずっと考えているような気がします。
考えを深めていく中で得た一つの答えは、「演じるとは、人間を深く、広く知ること」でした。
演者となれば、演じる対象のことを深く、広く考える必要があります。どんなときに笑い、どんなときに泣き、どんなときに動き、どんなときに生きるのか。その人物の人格を深く、広く考え、本質に触れることで初めて、その人物を演じられるようになるからです。
その観点で考えると、現実においては「自分」という人格を演じているとも言えます。自分という存在をより際立たせていくために、自分を深く、広く知ることができるようになれば良いという訳です。
自分を深く、広く知ること。そんな体験をしてもらいたいと考え、演劇を使い、さまざまなテーマでワークショップを主催しています。例えば、人と人のパーソナルスペースを考えることや、自身の見えない感情に触れること、価値観を知ることなど、多彩なプログラムを通じて、「人間を深く、広く知る」機会を提供しています。
両極端な両親だったからこそ、今の自分がいる。
二つの国のルーツがあるからこそ、起きている事象に対して「正しい、正しくない」で判断するのではなく、「どちらもそれぞれの価値観がある」といった思考が醸成されたと思っています。何より、自分の価値観を大切にしながら生きることの大切さを学べたのは、この両親のもとで生まれたからこそです。ここでは語り尽くせぬほど、たいへんなこともたくさんありましたが、「価値観を認め合うこと」を追求してたどりついたのが「演劇」だったと考えると、それはそれでよかったなあと思う次第です。(完)
HOOP!で演劇ワークショップやります。
そんなミトさんがHOOP!で、「演劇ワークショップ」を開催してくださいます!日程は現在調整中なんですが、10月〜11月くらいに開催できるよう準備を進めていきます。ワークショップを通じて、自分のことや人間のことを深く、広く知ってもらい、心地よく生きていくことができるキッカケづくりになれば幸いです。またインスタ、フェイスブックなどで案内しますんで、お楽しみに!