生きにくくても希望を持って生きていきたい

推しのシンガーソングライターさんがワンマンライブを開いてくれたけど、当然のように関東開催なので行けなかった。
次回こそは行けますように。

「正欲」という映画を見てきた。
気になってはいたものの見ることなく時間が過ぎて、もういいかと思っていたけれど、先月東京で会った友達がおすすめしてくれた。その人のおすすめは自分の好みストライクなものなことが多かったから、見に行かないという選択肢がなくなって、ギリギリで行けた。

登場人物1人1人を自分と重ね合わせながら、ゆっくり自分の心を見守っているような時間だった。

自分は、できるだけ自分自身の奥深くに入られないようにガードしながら、普通の人を演じながら生きている。
奥深くに入られたときに、また自分が人を傷つけてしまうのが怖いから。
相手が求めていそうな言葉を、相手が求めていそうな表情・トーン・雰囲気で喋ったりする。

場面によって、すごく活発で明るい若者を演じるときもあれば、気が弱くて何でも言うこと聞いてくれそうな臆病者を演じることもあれば、常に穏やかで落ち着いた人間を演じることもある。
きっと全部本当の自分で、相手が自分に求めていそうな姿によって開ける引き出しを変えている感じ。

正直生きにくいことも多いし、自分が生きにくいと感じている世界は、大多数の人たちにとってはさぞ楽しい世界なんだろうなと思う。
でもその人たちも、もしかしたら周囲に満足されそうな姿を必死に演じながら生きているのかもしれなくて、自分自身が相手に演技を求める側になっているかもしれなくて、そこに対する想像力が足りない自分を自覚したりもする。

でも、あっちゃいけない生き方なんてないはず。

それは国際協力も同じで、「自分は存在しちゃいけない」という感情を抱く人がいなくなってほしいというのが、根本で思っていることなのかもしれない。
偉そうに誰かに価値提供したいわけでもなくて、自分がそんな感情と必死に戦いながら生きているからこそ、誰かと一緒に戦いたい。そんな感覚。
きっとそんな関係性を、「先進国」「途上国」みたいな上っ面のラベルなんて乗り越えて築いていくことに、微かな希望を見出しているのかもしれない。

最近は、1人じゃないんだな、この人が生きている世界でなら自分も生きていたいなと思える人との出会いが、ほんの少しずつ増えてきている。
自分が自分のまま、誰かを演じようとすることもなく希望を持って生きられていることへの感謝を忘れないようにしたい。

あと最近はなんか研究アレルギーみたいな症状を発症している。他のことはめちゃくちゃ集中できるのに、研究のことしようとした途端全然集中できなくなる。まあそんなこといってもあと1年で修論仕上げないといけないので、頑張ります。

もうちょっと冬続いてくれないかなあ。

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