痛みに敏感であり続けること

東北で食べたご飯が全部美味しくて、とっても幸せな気持ち。
あと1時間で離れてしまうのが寂しい。また来たい。

この週末は、感情の動き幅がかなり大きい時間だった。
当たり前だけど、映像やテキストで見るのと目の当たりにするのとでは、受け取る感覚が全然違って。
自分自身や自分の大切な人を突然失うショックは、想像力が及ぶ範囲内でも計り知れないものがあって、思い浮かべた映像に自分の家族や友人を当てはめてみるとさらにその恐ろしさを実感して。
しかもそれが、事前のちょっとした対策で、1つの判断で防げたかもしれない。
「パニックの中で頑張って落ち着いて正しい判断をする」のではなく、「パニック下でも正しい判断ができるように準備する」。地域についての知識、避難場所の準備、周囲とのコミュニケーションなど…。

自分は、自然災害ではないけど、自殺未遂という形で死を目前にしたことがあって。
だからこそ生きることの尊さも分かっているはずだから、自分の大切な人たちのことも守れる自分でありたい。
大変な状況下でも、誰かの生きる希望になりたいし、ならないといけない。

多くの命が失われたことは確かだけど、事前に対策をとっていたおかげで今も生きている命があるのもまた事実。
実際に目にした海や川はとても穏やかで、口にした海の幸は本当に美味しくて、こんな自然が襲い掛かってくるなんて実感が湧かないほどだった。
でもこの国に生きる以上、災害と一緒に生きていくことは避けられないから、ちゃんと自然とつきあっていかないといけない。

訪れた2つの小学校では、震災前の街並みの写真も見ることができた。
郵便局や銀行があって、小さな個人経営の病院があって、公園があって、笑顔の小学生たちがいて…。
その街並みは、不思議と自分が生まれ育った高尾台・伏見台の街と重なって見えた。規模が同じくらいなのかな。
きっとそこに写っている小学生も、当時小4だった自分と同じくらいの年齢。
今は更地となっている場所が多くても、1つ1つのかけがえのない命が生きていて、それぞれ毎日喜んだり怒ったり悲しんだり楽しんだりしながら過ごしていた物語があって…。それは絶対に忘れてはいけないし、1つ1つの物語への敬意を持ちながら生きていかないといけない。

自分は、就職活動が上手くいけば、途上国の行政の人たちと一緒に国創りを行っていく仕事に就く。
災害対策・対応という観点で行政に求められるもの、一般市民との関係性のあり方なんかも、自分が学び続けて世界に活かしていかないといけないし、その国で災害が起こったときに命を救える可能性が、自分の行動1つで大きく変わるということも覚えておかないといけない。

そこにどんな物語があって、どんな感情が存在しているのかは、見ようとしなければ見えない。
見えないときは閉ざされているのではなく、自分が閉ざしてしまっている。
だからこそ、人の痛みに敏感であり続けられる人間でありたい。

あとは、この2日間で出会った人たちも本当に素敵な人たちだったなと思います。
次どこで会えるか分からないし、もう死ぬまで会わない可能性も高いかもしれないけど、同じような課題意識のもと集まってきて、言葉にしきれない感情を共有して、その感情をまたそれぞれの人生で活かしながら生きていく。
その過程でまたお互いの物語が交われば嬉しいし、交わらなくても、あの人たちがいたからこそ生まれた感情もあると思うから、その感情をいつまでも大切に生きていきたい。

いつも以上にぐちゃぐちゃな文章になってる気がする。
これ書いてたらバスに乗り遅れそう。間に合うかな…。走ります。

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