大学4年間で学んだことはほぼ忘れたけど、「西川美和さんの映画を観ろ。」と教授に言われたことは覚えてたので、『すばらしき世界』を観に行った。
大学4年間で学んだことはほぼ忘れた
家の掃除をしていたら、学位記が出てきた。出身校の学部学科が印字されたものを見ていたら、大学時代に学んだことを思い出した。と、感慨深く書きたかったが、実際は逆だった。
人生の夏休みとも言われる大学4年間、私は(嘘くさいが)本当に良く学んだ。
学びたい学問、教えを乞いたい教授、探求心も意欲もあったし、授業もほぼ無遅刻無欠席だったし、どうせ金払ってるなら元を取らなきゃ!的な感じで、学問を追求しすぎて何を言ってるのか訳が分からない教授の授業も取っていた。
フル単が当たり前だし、どうせ金を払ってるなら(以下略)の精神でかなり余分に単位も取った。
良く学んだ。はずなのに、当時学んだことをほぼ覚えていない。学んだことは「社会学」とか「行政」とか単語としてはわかるけど、深い内容や授業の記憶がほぼない。
ただ二つだけ覚えていることがあって、その一つが担当教授から言われた「西川美和さんの映画を観ろ。」だった。ちょうど『すばらしき世界』の公開が始まったので、映画館に向かった。
映画のあらすじ
冬の旭川刑務所で三上正夫は刑期を終えた。十代の半ばから暴力団に関わり、前科は十犯。最後の前科は13年前、若いヤクザをめった刺しにした殺人罪。刑期を終えた三上は人としてやり直すべく、罪を犯さないことを心に誓う。
そんな三上には、生き別れの母親に会いたいという願いがあった。その願いを叶えるべく、テレビ関係者に自身の刑務所での受刑歴や生活の記録が事細かに書かれた身分帳という極秘の文書を送付する。
身分帳を受け取ったスタッフは三上を題材に元殺人犯が心を入れ替え、社会復帰し、母親と再会するドキュメント番組を作りたいと考え、三上の日常を取材していく。
社会のルール、極道のルール
幼い頃、人を信頼できる環境がなかった三上がやっと見つけた居場所は極道の世界だった。仲間がやられれば、仇を取りに行き、自分が傷つけられれば、仲間が仇を取る。やられたら、とことんやり返す。
まっすぐで、直線的すぎる三上は加減を知らない。いや、加減を教えてもらってこなかったのかもしれない。そんな三上だからこそ、極道の世界は居心地がよく、そんな三上だからこそ事を荒立ててしまう。
刑務所から出た三上を待っていたのは極道の世界ではなく、一般社会。どうにか社会のルールになじもうと必死にもがくが、うまくはいかない。早く社会の一員になりたいと思うあまり、どんなことにも立ち向かってしまう三上だが、行動は空回りし、暴走し始める。
差しのべられた手を振りほどき、「俺は昔すごかたんだ!!!」と怒鳴り、過去に固執し、我に返り落ち込む。やっとできた人間関係も極道の世界のルールに従った行動をして、破綻させそうになる。
それでも、なんとか人生を軌道修正し、少しずつ上向いてきた三上に、社会のルールが無情にも降りかかる。
すばらしき世界って
映画を観終えて、西川さんから「すばらしき世界ってどういう世界だと思います?」と質問された気分になった。
映画の中の世界、今の社会、自分のいる場所、すばらしき世界だろうか。
三上が最後に居た人間関係という世界は、素敵な人に恵まれ、あたたかく良い世界だったと思う。
一方で、三上が一歩踏み出した社会という世界を、すばらしき世界というなら皮肉だな思う。
私と三上からスクリーンを外す
一観客として映画を観て、生きづらい世界を生きていく三上やその周囲の人々との関係性に感動した。
良かったね。がんばってね。なんでよ。上手くいってほしい。と、半ば祈りのような気持ちでスクリーンを観ていたし、だからこそ、ラストの展開に泣いた。
しかし、私と三上の間にあるスクリーンを外した時、私は同じことを思うのだろうか。
隣で映画を観ていた人が三上だったら、職場に三上が居たら、偶然知り合った人が三上だったら、隣人が三上だったら、私はスクリーン越しと同じ感情を相手に持つだろうか。
相手と自分の間にスクリーンがあるかどうかで、私の考えは別物になり、その延長が皮肉的なすばらしき世界を作っていく。
コスモス
きっと私はスクリーンを外した時、映画館で感じた感情を元殺人犯に持つことは難しい。目の前に元といえど、人を殺したことがある人がいるのは怖い。できれば関わりたくない。三上が映画の中で出会う人たちのように振る舞うことはできないかもしれない。
でも、コスモスの花を差し出すことはできるかもしれない。
たかが花、されど花。その花を差し出せる人になりたい。そこから、世界はすばらしくなっていくのだと思う。
教授を懐かしむ
「西川美和さんの映画を観ろ。」と私に言った教授がなんで西川さんを勧めたのか、よく覚えていない。
話のネタだった気もするし、教授が西川さんのファンだった気もする。
教授に言われて、大学生の頃、レンタルショップで西川さんの映画を借りて観た。その時に感じた不条理というものを伝えるために勧めてくれたのだと、勝手に解釈している。
不条理は、いいものかもしれないし、悪いものかもしれない。どうしようもないものでもある。ただ、それは生きていく中で私たちの傍にあるもの。
「友情、努力、勝利」とか「諦めなければ、絶対夢は叶う!」とか、そんな漫画の主人公に憧れて、そうなるべく日々鍛錬!みたいな奴だった私への、一種のアプローチだったのだと思う。
自分が正しいと思うこと、人のためだと思ってやったことが、不条理の一端を担うこともある。そう大学時代に学んだなと今書いてて思い出した。
教授の一言のおかげで、いい映画に出会えたし、観終わってから、原作・西川さんのエッセイ・パンフレットを読む日々が続いている。まだまだ、この映画の余韻に浸っていたい。
大学時代の記憶にあるもう一つの言葉
冒頭に大学時代に覚えていることが二つあると書いた。もう一つの言葉は同じ教授から言われた「君は上野千鶴子を読んだほうがいいね。」です。
最後の最後に
どうしても、言いたいことを最後に。
田村健太郎さん、とても良かったです。
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