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僕らは悲しみを生む為に出会ったんじゃない!

風は幾分か涼しくなったけど蝉たちが夏を惜しむかのような鳴き声を聞くと肌に粘りつく暑さが蘇ってくる。

暑さの八つ当たりをするように玄関のドアをぞんざいに開け、一目散に冷蔵庫を開きコーラをがぶ飲みしてゲップをする。その後はホームランバーをくわえ居間に行き、扇風機を独占して夕御飯を待つだけ。

そんなありふれた1日になるはずだった。なるはずだったのに、僕らは出会ってしまった。

中学生のある日、学校からの帰宅途中 突然冷や汗が溢れ出し、今までに経験したことのない強烈な腹痛に襲われた。

これは、ヤバイ…。自宅に急ぎたいが走ることも出来ず内股でゆっくり早歩き。ヤバい、ヤバい、ヤバい、と焦る気持ちとお尻を押さえ自宅のトイレに駆け込んだ。

「少し待って。あと少し。あと少し。」自分の肛門に言い聞かせるように呟き、震える手でベルトを外しズボンを脱ぐ。便座に座り、ゆっくり息を吐きながら腹に力を入れると


((((((((((((ばぶぅぅぅぅぅぅぅーー!!))))))))

Σ(;゚Д゚)えっ!?いま身体が浮いた?って、くらいのメガトン級のデカイ屁を1発したら、腹痛も冷や汗もピタリと止まり爽快な気分になった。

Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)えっ!!
オナラ1発で腹痛も便意も無くなちゃったよ。便意が無くなっただけに、糞失届出さないとね///って、やかましわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

間違いなく身体が浮き肛門が取れたと思った、あのほとばしる熱いパトス(熱情的な精神の意)は放屁の音と言うより、人の叫び。いや、人の叫びと言うより、魂の叫びと言った方がしっくりくる。

『ばぶぅー』と言っても、イクラちゃんが絶叫してる可愛い声ではない。イメージ的にはガッチリした体型でブブゼラのような力強く開放的な叫び声からして男盛りの30代半ばの男性。

ブブゼラ、南アフリカの楽器。

陽気な反面、自分の気持ちを上手く表現出来ず、照れ隠しに憎まれ口を叩いてしまう。しかし人情にあつく涙もろい、そんなタイプだと思う。 

人魚が王子様に恋をして人間になったように、僕の屁も何らかの意志を持ち人格が形成されたに違いない。そう確信した僕はもう一度身体の浮くような放屁がしたいと願った。そうだ、あのオナラに名前を付けよ。

どんな名前がいい…もう一度、あのオナラがしたいな///したいな、しゅたいな….はっ!名を『おならシュタイナー』と命名しよう。

(´°Д°`)ダジャレやないかwwwwwwwww

シュタイナー君に逢いたい。希望の匂いを胸に残して散り急ぐ鮮やかな、あの美声をもう一度体感したい。「人は愛を紡(つむ)ぎながら歴史を作る。」と何かの歌で言っていた。シュタイナー君と愛を紡ぎ歴史を作りたい。恋心に目覚めた僕は彼に逢う為に努力した。

あの日の記憶を辿り限界まで我慢したり、お尻に丸めた新聞紙をあててみたりしたがシュタイナー君が現れる様子はない。基本的に普通に屁をしても音量が全く足りない。

いったい…どうしたらいいんだ。頭を抱え、身体の中で渦巻く様々な感情に潰されそうになる日々。そんなある日、風呂に浸かろうと湯船に片足を入れて、水面にお尻が付くか付かないかギリギリの所で無意識に屁をしたら…

((((((((((((ぱぷぅーー))))))))))))))

Σ(・ω・;)!?

(;゚∀゚)=3こ、これだぁ///
少し音量が足りないが、この感じだぁ///

風呂場の閉鎖的空間で水面に反響させることによって生まれた奇跡。遂(つい)に、遂に見つけた!!それは訓読みの訓が音読みだったことを知ったとき以来の衝撃だった。

その日からお風呂に入るときは浴槽の淵(ふち)に両手両足をかけて水面ギリギリに近づけ屁をするようになった。しかし、水面に近づき過ぎるとシュタイナー君の美声が湯船に沈み泡になってしまう。離し過ぎると他人行儀な声になる。

はりねずみのじれんまに耐えながら、その日の体調・屁の質・水面との距離を日々調べ続けた。そんなある日、いつものように浴槽の淵に両手両足をかけスタンバイした。

イメージ図

『今日は逢える気がする』確信にも似た自信のなかで静かに尻を震わせ 力んでいたら、突然親父が入ってきた。数秒だったと思うが確実に地球の回転は止まった。

親父「な…なにしてるんだ?」

僕「あっ…いや…産卵ごっこ。いや…そう!お湯が熱かったてん。」

身体が固まり意味不明な言い訳をした、その時、肛門と言うパトスがゆっくり開き…。

(((((((((((((((ばぶぅぅぅーー!!))))))))))))))))

親父と見つめ合いながら凄い放屁…いや、親父とシュタイナー君は初対面した。しかし、シュタイナー君の叫び声に驚いた親父は尻餅をつき ( ;゚д゚)みたいな放心状態で虚空を見続けていた。

僕は親父にシュタイナー君を知られた恥ずかしさと動揺でバランスを崩し湯船に落ちてしまい、片足が淵に引っ掛かってしまった。まるで分娩台で股を広げる女性のような状態になり、僕の獅子唐が水面から出たり入ったりする様を実の父に見せながら湯船で溺死しかけた。

本当に恥ずかしかった…。四つん這いにさせた彼女のスカートを捲り上げ、お尻に顔を埋めている所を突然部屋に入ってきた親父に見られたとき以来の…。

いや、そこまで恥ずかしくないな…改めて書き直します。

全裸で四つん這いになり自分で自分の尻を蒟蒻(コンニャク)でペチン、ペチンと叩いてるところを親父に見られたとき以来の恥ずかしさだった。

(´°Д°`)おい!!
書き直した意味wwwwwwwwwwwwって言うか、親父に見られ過ぎwwwwwwwwww

心のイメージ図

この日を境に親子関係がギクシャクして僕の生活も心も荒んだ。シュタイナー君を忘れようと喧嘩に明け暮れ、行きずりの女を抱きまくった。でも言葉では表せない胸の痛みは消えなかった。

込み上げる訳でもなく、ただ流れ続ける涙。音もなく過ぎ去る薄暗い時間。「もう、うんざりだ」うつ向き地面に唾を吐く毎日。そんなとき吹奏楽部の小林先生は理由も聞かず語りかけてくれた。

「知ってますか?楽器って、やらされて出る音と自発的に出る音は全然違うんですよ。人生もまた同じです。人生は1を100にすることよりも、0を1にするチャレンジ精神が大切です。失敗したら、繰り返し何度でもやり直せばいい。音楽で言うと、曲のはじめに戻る演奏記号D.C. ダ・カーポみたいにね。

いいですか。素晴らしい夢ほど笑われるものです。もし、人に自分の夢を笑われたら『あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ』と誇りなさい。夢を追いなさい。その志こそ君の人生の味になる。」

先生の言葉を聞いた瞬間、まるで耳に入った水がジュワと抜ける瞬間のように心に引っ掛かっていたモヤモヤが取れて凄く楽になった。

ありがとう、先生。
もう迷わない。

やってやる。やってやるぞ。結果、望む答えに辿り着けなく虚しさだけが残ったとしても、何かをやり残し悔やむよりよっぽどいい。

そして、時は流れ、現在。

頑張った甲斐もあり、今では水面を離したり近付けたりして放屁すると『ファンタ』と喋ることを発見した。正確には『ファン!!ダッァ~~』と喋るので『タ』は流石に微妙ですが『ファン』は確実にシュタイナー君の美声です。

最近は歌にもチャレンジしようとドレミの音階を練習中ですが、何回練習しても『ミ(実)』しか出ません。精一杯努力して夢だけを追い続けた結果、僕の人生の味はウ○コ味だとなんとなく答えが見えた。

望んだ答えに辿り着いても虚しさだけが残ることを知り悔やむ毎日ですが、僕は元気です。

来世はまともな事に夢中になれますように。
(。-人-。)


音声配信スタエフでジャンクという名前でひっそりこっそりやってます。よかったら寄ってくださいな。
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