虹の水たまり~前編~
いつの間にか、雲の切れ間から陽が射していた。濡れた路面はキラキラ光り、見渡す景色は埃を洗い流したように輪郭がくっきりして鮮やかだった。
暇つぶしと雨宿りがてらパチンコ屋に寄ったものの、高い雨宿り代を払い店を出た。
口にくわえた煙草に火を点けようとライターを取り出すも、すぐにポケットに戻した。
こんなときに吸うと煙で溜め息の行き先が見えて余計に落ち込む。
張りと艶(つや)をなくし、うっすら無精髭(ぶしょうひげ)が生えた頬を手で軽く撫でながら、冴えない表情で駐車場に停めてある車に向かって歩く。
『なんで、あの台をやらなかったんだろう』過ぎたことを何度も悔やみ、涙まで出そうになる。
小さい男だ。
我ながら、思う。
この店の駐車場は水捌けが悪く、所々、小さな水溜りが出来ている。足元の水溜りに目をやると水面に車のオイルだろうか、虹色の膜が張っていた。
虹色の膜を見るともなく見ていると、白昼夢的に意識が回想へと飛んだ。
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屋根を打ちつけ眠れないほどの雨音をたてていた雨も早朝には小降りになり、小学校に登校する頃にはほぼ止んでいた。
家を出るとき持たされた傘を刀にしてチャンバラしながら学校に向かっていると、車が道路の側溝に溜まった水を跳ね上げ僕のズボンはびしょ濡れになった。
なんとも、運が悪い。
そんな気分もいつもなら休み時間にやるサッカーで発散出来るけど、雨上がりの校庭はぬかるんで使用禁止になるから出来そうもない。
だけど、いいこともある。校門を抜けたとき、空に虹が出ていた。
雪が降る、校庭に犬が迷い込む、ギャグが好きな女の子にウケる、給食にミルメイク(牛乳に入れると珈琲牛乳風になる粉)が出る、午後一の授業がプールの次に虹は嬉しい出来事。
たいして上位ではないけど、運が悪い日に虹が見れた喜びで、隣に偶然居た同じクラスのタカセに「虹やぁ!」と肩を数回軽く叩き声を上げた。
「虹ぐらいで女みたいに騒ぐな」突き放すような声でタカセは言った。
イラッとしたけど、まぁ、いいやと歩き出した、次の瞬間、股間に激痛が走った。
タカセが僕の背後に回り込み、股の間から、しの字に曲がっている傘の柄を入れ、おもいっきり金の玉を突き上げたのだ。
「ふざけるな!」しゃがみ込んでタカセを睨み付けた。特別仲がいいわけでも悪いわけでもなかったけど、たまにこういった残酷な悪戯をする奴だ。
その度に喧嘩になる。勿論、今日もいつも通り喧嘩になった。喧嘩といっても口喧嘩程度でエスカレートしても、お互い首根っこを掴んで睨み合う程度の喧嘩。
しばらく睨み合って悪口を言い合い、首根っこを掴んだら同級生の誰かが割って入り二人を引き離す。そして、「次は絶対泣かしてやるからな」と、どちらともなく捨て台詞を言って、今日も終わり…のはずだった。
だけど今日のタカセは全く引かないと言うか、引く気がない。
ピリピリとした緊張感と重苦しさが沈黙の中に溜め込まれていくのが周りにも伝わったのか、今日は誰も割って入ってくれない。
この流れだと、必然的に殴り合いに、いや、殴られたら痛いし、でも、今更ひけないし・・・。
いつもと違う空気の重さに、自分でも驚くぐらい弱気なことばかりが頭の中に浮かんでは消える。
睨み合っていると先生が怒鳴りながら走ってきて、僕とタカセを引き離した。
助かった。
正直、そう思った。
喧嘩両成敗、二人共ゲンコツを貰ったけど、タカセは僕を睨み続けていた。
「次は絶対泣かしてやるからな」タカセに心を見透かされているような気がして、僕は強がった。
「いつも泣く寸前なのはお前だろう。勝負ついてんじゃん。馬鹿らしくて、お前とはもう喧嘩出来んわ。」
固まっていた表情がゆるみ、呆れるように言うタカセの表情は勝ち誇ったようにも、哀れんでいるようにも見えて、僕は負けたとは違う、もっと別の悔しさに包まれた。
いつもはどちらともなく謝っていたのに、その日はお互い口をきかなかった。
後編はこちら。
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