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【創作】ねこだるま(4,852字)【投げ銭】

ねこだるまには手も足も無い。三角形の小さな耳がふたつ生えた頭に、ずんぐりした胴体、それにウサギのようなちょこんとした尻尾が付いている、それがすべてであった。

ねこだるまには手も足も無いから、獲物のねずみを捕らえることができない。目の前をちゅうちゅう鳴いて通り過ぎるのを見て、いっしょうけんめい飛び跳ねながら追いかけるけれども、それで追いつくはずが無い。だから、ねこだるまは昼間、いつもお腹を空かせている。

だけど夕方ぐらいになると、よく仕事帰りのOLなんかが、街角でねこだるまを見かけて、優しく接してくれる。あら、ねこだるまじゃない。可愛いね。そう言って頭を撫でたり、首のあたりをこちょこちょしてくれたりする。そうすると、ねこだるまも嬉しくなって、ごろごろ、可愛い声で鳴いたりする。そして彼女たちは、ねこだるまに、煮干や、かつおぶしなんかをくれるのだ。

だからねこだるまは、その日も元気に生きていた。相変わらず、ずんぐりした胴体の上に、ちょこんと頭が乗った、それだけの姿のまま、その日も街角で、誰かがねこだるまに餌を持ってきてくれるのを待っていた。

しかしその日、夕方になっても、誰もねこだるまに餌を届けに来てくれる者はいなかった。OLたちはいつものように、まぁ、ねこだるまよ、可愛い、そう言って頭を撫でたり、喉を触ったりしてくれるけれど、誰も煮干や、かつおぶしをくれなかったのだ。

ごめんなさいね、今日は何もあげれないの。皆、ひとしきりねこだるまとじゃれ合った後、申し訳無さそうに帰ってしまったのだった。

「にゃあ」

ねこだるまは彼女たちの後姿に向かって、とても哀れな声でそう鳴いた。待ってよぉう。いつもみたいに、餌をちょうだいよぉう。もう、お腹がぺっこぺこなんだよぉう。けれども、いくら鳴いても、彼女たちは振り返ることはなかった。

それでも諦めず、ねこだるまはぴょんぴょんと飛び跳ねて、追いかけようとした。でもやっぱり追いつくことは無く、地面に落ちている尖(とが)った石をふんずけ、びっくりして飛び上がった直後、あたまから転んでしまった。ねこだるまは“起きあがりこぼし”だから、胴体が地面に着いたとき、直ぐに起き上がることができたけれど、石を踏んだあたりはチクチクとしたし、地面におもいきりぶつけてしまった顔も、酷く痛かった。

「にゃあ」

ねこだるまは、哀しい声で鳴いた。目からは少し、涙が零(こぼ)れていた。

街は、だんだん暗くなっていった。街灯に灯がともって、それだけが、ねこだるまの白い体を、ぼうっと照らしていた。ねこだるまは、本当にお腹が空いてしまった。もう胃の中を通り過ぎるのは、空気の他に何も無かった。街灯に羽虫が群がっているのを見るだけで、よだれが零れそうだった。勿論(もちろん)ねこだるまの跳躍では、全然それに届きそうになかった。

そこへひとりのサラリーマンが、よたよたと大分酒に酔った足取りで、ねこだるまの元へやってきた。中年で、おなかも出ており、頭も禿げ上がっていた。

「おっ、なんだぁ、おい、ねこだるまかぁ?」

中年のサラリーマンは、ねこだるまの白い体が街灯に照らされているのを見て、そう言った。

「にゃあ」

ねこだるまは鳴いた。

「……ちぇっ、腹ぁ空かせてやがんのかぁ、このねこだるま?」

「にゃあ」

中年の男は何だか不愉快そうに言ったが、それでも餌が貰えるかもしれないと、ねこだるまは鳴いた。しかし男は、ペッと、唾を地面に吐いただけだった。

「ばぁかやろ。ねこだるまに食わせるもんなんざ、あるわけねぇだろ。この不景気時によ」

そう言うと、ねこだるまの横に、酒臭いサラリーマンは胡坐(あぐら)をかいた。サラリーマンのスーツは、よれよれだった。右手に持っていたバッグもべこべこだった。つまり、よれよれの、べこべこだった。

「もう、どうなっちまってんだよ、この社会はよ。賃金はさっぱり上がらねぇクセに、物価ばかりがどんどん上がっていく。政治家たちは、俺らぁ国民を、皆飢えさせるつもりなんかね?あぁ、まったくおかしぃんだよ、この世の中ぁ」

よれよれのべこべこの男は、ぷはぁ、と、酒臭い息を吐いた。にゃあ。ねこだるまはそれに対し、不満を込めて鳴いた。

「なんだぁ、ねこだるまぁ。てめぇも、そう思うだろうが?」

男はねこだるまの胴体に手を回しながらそう言った。男が寄り添うと、一層酒臭かった。にゃあ。もう一度ねこだるまは鳴いた。

「知ってるかぁ。今な、ガソリンの値段だって、どんどん上がってンだよ。そうなると、まずドライバーは困るわな。しかし、車を使わない連中も、困らないことはないんだぞ。お前らねこだるまみてぇなやつにしたって、同じだ。なぜだか知ってるか? ガソリンがなけりゃあ、船も出せねぇだろうが。そうすると、どうなる。魚だって、獲りに行けねぇよ。もう、ヨーロッパあたりじゃあな、漁師たちがどんどん辞めさせられてってんだ。シャケも、カツオも、マグロも、もう、みぃんな食べられなくなっちまうんだよ。なぁ、困るだろ?」

にゃあ。ねこだるまは再び鳴いた。男の言葉に頷いたわけではなかった。ただ、早く離れてほしかった。

男は、ポケットから煙草を一本取り出した。その煙草は、男のスーツと同じくらい、よれよれだった。そのよれよれの煙草に、男は百円ライターで火を灯した。

「この煙草も、最後の一本さ」

そう言いながら男は、煙を吐いた。酒臭い上に、煙草臭い男になった。

「煙草だって、これから1,000円に値上がりだとよ。まぁ、海外に比べちゃあ、今までが安かっただけだってことを言うが、それで国民が納得するとでも思うのかね。なんだ、吸わねぇやつには関係ねぇって顔してやがるな。ふん、今に見てろよ、そのうち他の税金だってどんどん上がっていくさ。そうやって国は、次から次に増税政策を推し進めていくんだ。それもなんだって全部、海外に比べたら、海外に比べたら、ってよ。それがグローバリゼーションだとでも思ってんのかね、官僚は。全く、くそっくらえだ。物価も賃金も違う他所の社会と比べて、なんになるってんだ」

男はようやく、ねこだるまから手を離した。にゃあ。ねこだるまは、安堵の溜息を吐いた。

「ちくしょうめ、なんだい、さっきから哀しい声で鳴きやがってよ。泣きたいのはこっちだってんだよ。ったく、こっちはこんな辛ぇ社会で必死になって今まで働いてきたってぇのによ、それももう、20年だよ? それを、たった一言給料上げろって言った瞬間即クビたぁ、いってぇどうゆう了見かね?今まで会社に尽くしてきた人間だよ、已(や)む無く切り捨てるにしても、もっとマシなやり方ってもんがあるだろうによ!もう、人間の心だって、おかしくなっちまったってことなのかよ?……ったく、その一方で、てめぇのように、相変わらず人さまの援助に甘えて生きてるヤツがいるって思うと、まったく、吐き気がするね」

げぇっ。男はそこで、汚い音を口から発した。幸いそれは、ただのゲップだった。にゃあ。ねこだるまは再び鳴いた。

「あぁ、もう、わかったよ。そんな風に鳴くなってぇの。俺だって、ただの文句タレじゃねぇんだよ。文句タレるだけの、腐ったヤローじゃねぇっての。ホレ、確か鞄の中に、するめがあった筈だよ。さっき、居酒屋で食べ残してたやつだけどな。ホレ、食うかよ、ねこだるま」

男はそう言うと、べこべこの鞄から、するめいかを取り出した。ちょっと歯型がついていたけれど、おなかがすいたねこだるまには、とてもおいしそうに見えた。

けれどもねこだるまは、それに手をつけようとはしなかった。つぶらな瞳で、じっと男の目を見ていた。

「なんだよ、食っていいっつってんだろ。俺がいいっつってんだから、食えよ、さっさと。ホラ、食っちまえよ」

ねこだるまは、するめに手をつけようとはしなかった。にゃあ、と、また哀しい声で鳴くこともなかった。黙って、じぃっと、男を見つめていた。

「なんだよ、俺みてぇな苦労者から、メシを奪うわけにはいかねぇってか?ちくしょうめ、なんだってねこだるまにまで同情されなきゃならねぇんだよ、ちくしょうめ!」

ぽかりと、男はねこだるまをぶった。痛みに思わず鳴きそうになったけれど、しかしねこだるまは何とか堪(こら)え、黙ったままだった。もうこの男の前で、さっきみたいな声で鳴いてはいけないと思った。ねこだるまは、じっと男の目を見つめていた。

男はカンカンな様子で、べこべこの鞄の中にするめを押し込むと、立ち上がった。

「ちくしょうめ、ふざけやがって、ちくしょうめ」

そして男は、さっきのように、酔っ払ってよたよたとした足取りで、ねこだるまの元を去っていった。ねこだるまはその後姿を、ずっと眺めていた。夜の闇に紛れて消えてしまうまで、ずっと眺めていた。

ぐぅ。

ねこだるまのお腹が鳴った。けれどねこだるまの口は、しっかりと閉じたままだった。もう、今までみたいな哀しい声で、鳴くことはなかった。

ひとりぼっちになってから、ねこだるまはぴょんぴょん飛びながら、街のビルの陰に、ひっそりと寄りかかった。大分やつれた表情のまま、カァ、カァと、闇夜のカラスたちが、仲間を呼び合う声を聞いていた。

このまま、眠ることができるのだろうか。手も足も無い、そんな不完全な生き物であるねこだるまが生きていくには、どうやらこの世界はとても苦しく、厳しいものに成り果ててしまったようだ。このまま朝を迎える頃には、きっとねこだるまは……。

明日にはもはや、ねこだるまのことを覚えている人間は、誰一人いなくなってしまっているのかもしれない。きっと、今まで死んでいった者たちも、そうやって忘れられてきたのだろう。そうやって、世界はあらゆるものを削除していくのだ。そこには、感情も何も生まれない。思い出さえも残らない。オンからオフへ、スイッチを切り替えるように変わっていく、それが世界というものなのかもしれない。

夜が過ぎて、街はまだ顔を出したばかりの朝日に、きらきらと照らされていた。

壁に寄っかかったまま寝ていたねこだるまも、その光を浴びて目を覚ました。

ぐぅ。

相変わらずお腹は空いていたけれど、ねこだるまはまだ生きていた。そしてもう、哀しい声で鳴くことはなかった。

小さなビルの非常階段を、ねこだるまはぴょんぴょんと飛び跳ねながら、一段一段昇っていった。こけないように用心して。空腹のねこだるまにはちょっと辛い運動ではあったけれど、ねこだるまは頂上目指して、頑張って登った。

ビルのてっぺんに辿(たど)り着くと、そこから見える朝日は、とてもきらきらと、美しく見えた。まるで、巨大な宝石が、空に昇っていくようであった。どんなに社会が変わっても、どんなに人の心が変わっても、決して変わることのない輝きが、そこにはあった。

ねこだるまの目からは涙が零れた。ただしそれは、打ちひしがれた哀しみの涙ではなかった。相も変らずお腹がぺっこぺこなのに、もう、哀しい声で鳴くことはなかった。空腹なんて、もうどうでもよかった。ねこだるまの体は、暖かく、まばゆい光に包まれていた。

ねこだるまには手も足も無い。三角形の小さな耳がふたつ生えた頭に、ずんぐりした胴体、それにウサギのようなちょこんとした尻尾が付いている、それがすべてであった。たったそれだけが、ねこだるまのすべてであった。そんな不完全ないきものが生きていくためには、この世界はとても苦しく、厳しいものに成り果ててしまったのかもしれない。

ねこだるまは今日もまた、何も食べられないかもしれない。また、あの哀しいサラリーマンの泣き言を聞かなきゃいけないはめになるかもしれない。しかし、それでも別に構わなかった。ねこだるまはもう、何も変わらないものがこの世界にもあるということを、知っているのだから。

ひょっとしたら、ねこだるまはまた、今日も何処(どこ)かの街角で、突っ立っているかもしれない。世界には変わらないものだってある。そのことを、証明しようとするために。

(完)


オリジナル版:

【作品、全文無料公開。投げ銭スタイルです】

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