出逢った場所は荒れ果てた森。
バルンバルンの森を運営している、たしろかずのり、じゅんこと申します。
私たち夫婦は、2002年からキャンプ場を切り盛りしていますが、アウトドアに関してはまったくの素人でした。
今もインドア派です。
にも関わらず、仕事にしているのは「場所」が好きだったからです。
まずは、私たちが大好きな森を紹介させてください。
森のストーリー
私たち夫婦がこの森と出会ったのは1999年のことでした。
知らないおじさんから「キャンプ場をやってみらんかい」とたまたま声をかけられ、森を訪れたのが始まりです。
そこは廃園寸前の小さな町営キャンプ場でした。
荒れ果てている施設とは対照的に、満開の桜がとても鮮やかで気持ちがよくて、ひとめ惚れしてしまいました。
思い描いたのは、
私たち夫婦と3歳の息子、2歳の娘と一緒に、楽しい時間を過ごすこと。
家族で何かができたらいいなとワクワクが膨らみ、自分たちの居場所をつくりたいと思うようになりました。
最初はアルバイトから
キャンプ場の運営をさせてほしいと、すぐに町役場へ行きました。
お願いをしてみたものの、「赤字続きの施設だし、若い人たちに入ってもらうのは将来の芽を摘むことになるから」と優しく断られました。
そんなことも覚悟の上だったので、何度も通って計画書を出し続けました。
熱意が伝わったのか、根負けしたのか、
職員さんから「アルバイトからやってみる?」と
OKをもらえたときは、本当にうれしかったです。
森が職場になるまでに、3年が過ぎていました。
それに、まだ夢が叶ったわけではなく、
ようやくスタート地点にたどり着いただけです。
実際に働きはじめると、職員さんの言葉通り、大変な日々でした。
たまっていたゴミを片付けたり、新しい看板に掛け替えたりと、やるべきことは山のようにありました。
お客さんが来なくても、施設の修繕や維持費はかかってしまいます。
お金が足りないときは、
自分たちの財布から持ち出して補うこともしょっちゅうありました。
最初は時給700円
お腹に3人目の子供がいたときには、臨月を迎えても雑巾がけをしていたり。
夫は夫で昼間に林業をしてから帰宅後にキャンプ場の仕事をしたり。
金銭面では、時給700円(夫婦2人ではなく1人分です)、それも夏季だけという待遇でした。
食べていくのもやっとな時期でしたが、
大好きな場所にいられるということがあるからか、それでも楽しい日々でした。
そうは言っても、こうして振り返ってみると、
いま同じ事をもう一度やるのはなかなか難しいかもしれません。
4年経って森づくりも本格化
アルバイトから始めて4年後には
正式に町から委託を受けて運営ができるようになりました。
サッカーのW杯が終わって、次の大会が開催されるほどの期間です。
誰に頼まれるでもなく、自分たちのやりたいことをやるのですからアスリートの努力とは違いますが、それでも長い期間でした。
自主運営が軌道に乗ってくるにつれ、
この森に訪れた人が笑顔になるような空間をつくりたいという思いは強くなる一方でした。
時間をかけて運営の土台をつくってきた分、
そこからはキャンバスにスケッチするように、
ワクワクできる自由な発想が次々あふれました。
夫のかずのりさんは、ものづくりが好きなので、
アイデアを形にしていくのはお手の物。
ふたりでアイデアを出し合ってはイメージを実現していきます。
石窯を制作したり、
鳥のさえずりが聞けるように巣箱をあちこちに設置したり。
そして、ツリーハウスも。2棟を建設したのは2008年のことでした。
つくり始めると、熱中しすぎて最初の見積もりよりも予算がかかることも1度や2度ではありません(笑)。
お金を度外視するわけではありませんが、
私たちがステキだと思えて、
お客さんにも楽しんでいただける場所を思い描きながら、森をはぐくんできました。
夫婦でバルンバルンの森に携わって20年以上が経ちました。
頭の痛い状況、ピンチをも楽しみつつ乗り越えてきたように思います。
まだまだこの森を楽しく続けていきたい。
私たち夫婦が考える「森がこうなっていったら面白いなあ」ということを、
みなさんにも一緒に面白がっていただきたいです。
新しい仲間が増えれば、夫婦ふたりでやってきた
これまで以上に魅力的な未来を描けるのではないかと思っています。
一緒に森を育てていただける方をお待ちしております!
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