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思いやりにも、正解がない
こんばんは。叶佳です🙌
今日はコンパッション(思いやり・慈悲)について、リレー形式でnoteを綴るマガジン企画に参加しております。
当企画の詳しい説明は以下をご覧ください💫
このnoteは、🌎3/20の世界幸福デー🌏に向けて、コンパッションを共に学んだ仲間たちと繋ぐアドベントカレンダーに寄せたものです。
テーマは「日常で見つけた幸せ」「あなたと私の幸せ」。
今後のnoteも、のぞいてもらえたら嬉しいです🌱
私は2/24担当で本noteを綴ります。
もしよろしければ、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです🕊
「お父さんの還暦祝いで旅行行くから、やっちゃん(=叶佳)はちーくん(=息子)を連れてきてね」
数か月前に妹から届いたLINEをきっかけに、「父の還暦祝いに別居している息子を連れていく」ミッションが動き始めました。
父の還暦祝い
この3連休に、父の還暦祝いとして家族旅行へ行ってきました。
参加者は父、母、妹夫婦、0歳と2歳の姪、5歳の息子、そして私。
私の頭の中には、いろんな記憶や視点があります。
自分と両親との関係性や、頑固おやじと見せかけて実は繊細な父の葛藤、面倒見のいい母の苦労、父と母の子ども時代の話、頑丈そうに見えるけど人間的魅力がたくさんある妹、私自身の過去、母親として観察してきた息子の姿、私が対人支援者として得てきた知識や体験…。
それぞれについてはここでは触れないけど、旅行中に観察していた家族の姿や、父と二人で話した時間も含め、現在地における、家族の人生の総括を見たような時間でした。
今回は父を祝う目的で集まっているのもあり、全員「父を喜ばせたい」という想いを抱いていたと思います。その中で私は、参加にあたり、実は少し緊張していました…。
別居している5歳の息子
実は、私は昨年離婚しました。離婚の内容自体は、元夫との価値観の違いによるもので、どちらかが悪いというよりは自然な流れで起きたことと認識しています。ただ、私たちには幼い息子がいました。いま、息子は元夫とその新パートナーと、その方のお子さんの住む家で暮らしています。
私は離婚で別居してからは、元夫と都合が合わず息子にほとんど会えていませんでした。向こうの家の中の状況もこちらからはわからなかったため、息子を旅行に参加させるにあたり元夫がどこまで協力してくれるのか、彼を信じたい気持ちもありつつ、正直不安でした。
そんな中母からの「絶対に連れてきてほしい」という願いも体感的にキャッチしていたため、叶えてあげたい気持ちと、元夫とタイミングが合わないコミュニケーションとの狭間でひそかにプレッシャーを感じる日々。
さらに、半年近く会っていない息子が、私に対してどんな想いを抱いているのかもわからず、ソワソワしていました。
(息子はまだ幼いため、別居に対して「母親に捨てられた」と思っているのではないか、という無意識の罪悪感を持っていました)
いざ、対面
不安もありつつ、元夫が協力を承諾してくれたため、必ず会えると信じて日々を過ごすうちに、ついに当日を迎えることができました。
実家へ早めに帰り、元夫が息子を連れてきてくれるのをソワソワしながら待って……息子の姿を見た瞬間、お互い腕を広げてハグ。その瞬間は、言葉で言い表せられないほど、嬉しかったです。
息子に新しい生活はどうかと尋ねたら、新パートナーの方にも大切にされている様子が伝わってきて、とても安心しました。
背伸びする息子
旅行中、息子はずっと「お兄さん」の顔をしていました。
0歳と2歳の姪たちを可愛がり、積極的にお世話をしようとする姿に、息子の社会性の成長を喜ぶ気持ちと同時に、まだ5歳なのにあまり甘えてこない様子を心配する気持ちもでてきました。
「もしかして、役に立たないと居場所がなくなると思っているのでは?」
私に対人支援者としての学習経験やセッションの経験があることで、そんな声が何度も頭をよぎりました。純粋にやりたくてやっているならいいけど、大人たちの願いを無意識的にキャッチして「やらされて」いるのではないだろうか、と。
息子に無理をしていないか直接確認をしたら「大丈夫だよ」とは言うけど、実際のところはわかりません。正直ずっと複雑な気持ちで見守っていました。
甘えん坊に戻った息子
旅行自体はとても素敵な時間を過ごせました。父の表情を見ていても、心から喜んでくれている様子がひしひしと伝わってきたほど。私が断片的に知る限りでも父の人生はそれなりにハードだった認識なので、素敵な還暦祝いができたことに深い感謝を覚えました。
段取りをしてくれた母や妹、息子を連れてきてくれた元夫には、特に感謝をしています。私の視点では直近の離婚や息子との別居などによる色々で、家族たちに心配をかけてしまったと本音では感じていたため、調和のとれた時間を過ごせて本当に嬉しかったです。
その後旅行先から実家へ戻り、プラス1日、みんなで過ごしました。
旅の疲れもあり、みんながそれぞれまた違うリラックスの仕方をし始めたあたりで、息子がついに5歳児らしい感情を表しました。きっかけ自体は些細なことでしたが、泣きながら一人で隅っこに隠れる姿を見て、正直私は安心しました。一緒に暮らしていた頃の、私が知っている息子の姿をまた見ることができたから。たった半年のうちにあまりにも大人になりすぎている姿に、どうしても違和感と罪悪感があったから。
それぞれの思いやり
とはいえ、背伸びする息子に対して「息子にも甘えさせたい」と願う私の心は、親のエゴである自覚がありました。でも、視点を変えれば息子への思いやりとも言えます。
息子が自分の欲求を抑えて、大人の期待に応えるかのように姪たちに兄のような振る舞いをしていたのも、息子なりの思いやり。
子どもたちの社会性を育み、人間としての自立を促そうと礼儀作法にかかわる声掛けをする両親の行動も、思いやり。
本来なら長時間人と過ごすのが苦手でも、たった一瞬の時間を大切にしたくて家族へ意識を向け続けた私の意思も、思いやり。
息子が姪に失礼なことを言ったとき、息子を庇うために失礼な発言を容認した妹の行動も、姪を尊重しようと息子を諫めた私の行動も、思いやり。
みんなが互いを思いやって動いている気配を察知しつつも、それぞれの背景にある価値観や知識・経験の違いから、絶妙に噛み合わないシーンを見て、思いやりにも正解がないなぁと気づきを得る体験をしました。
「思いやり」を汲み取る力
見方によっては「価値観の押し付け」に感じるシーンでも、その背景には相手を思いやる気持ちがあります。そこに気づけるようになったお陰で、目の前で起きた事実に過度なラベリングをせず、配慮をしながらコミュニケーションが取れるようになりました。
(疲れているときはうまくできないことも多々ありますが…😂)
言葉の奥にある「思いやり」を汲み取る力は、身に着けておいて損はないな、と思います。コンパッションを学ぶ/知る人が増えたら、社会に思いやりのあるコミュニケーションも増えるのかもしれませんね。
子ども時代の私にとって、実家はそこまで居心地のいい場所とは言えませんでした。躾に体罰を採用している家庭だったため、いつ親が怒るかとびくびくしていた記憶があります。
でも、いまは両親もかなり穏やかになりました。いまでも価値観の違いはありますが、その奥にある思いやりに気づくことができるようになったお陰で、過度に反応することもほとんどなくなり、実家が安心して過ごせる場所に変わってきました。
いまだに対人関係は正解を模索することが多いですが、引き続き思いやりのあるコミュニケーションについて考えながら生きていきます。
このnoteも、誰かにとって思いやりを再考するきっかけになれば幸いです。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました✨
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