平凡が究極の偏愛
平凡が究極の偏愛
最近、ネットを見てると「好きなことを突き詰めろ!」とか「オタクになれ!」みたいな記事が多くて、ちょっと圧倒されちゃうことってありませんか?確かに、何かに熱中している人は素敵だし、見てて輝いて見える。でも、実は「平凡」だって十分素晴らしいと思うんです。むしろ、今の世の中では平凡こそが究極の偏愛なんじゃないかなって。
平凡って何?
僕が思う平凡って、ただ普通に学校や会社に行くこと。特別なことをしなくても、ただ毎日を過ごしていくことが平凡なんじゃないかな。朝起きて、清々しい空気を吸ったり、夕日を見て「あ、綺麗だな」って思ったり。そんな何気ない瞬間が、僕にとっては幸せで、これこそが「平凡」を楽しんでる瞬間なんです。
偏愛がもてはやされてるけど…
今、偏愛とかオタク文化がすごく注目されているけど、その背景には「好きなことを突き詰めた方がいい」っていう風潮があるのかなと思います。ネットでもよく見かけるじゃないですか。「自分だけの世界を持つことが素晴らしい」みたいな。でも、みんなが偏愛を追い求めるようになると、逆に「普通」がどんどん珍しくなって、結果として平凡が一番偏ったものになるんじゃないかなって思うんです。
平凡の中にある幸せ
実は、平凡な毎日こそが、究極の「偏愛」なんじゃないかって最近感じてます。僕にとって、例えば朝の清々しい空気を吸う瞬間や、ふとした時に見た夕日が美しいなって思える瞬間。それが、特別な趣味に没頭することと同じくらい大事な瞬間なんです。こういう「何もない日常」の中にこそ、小さな幸せがいっぱい隠れているんじゃないかな。
そのままでいいんだ
だから、もし「自分は何も特別なことができていない」とか「偏愛なんてないし…」って思っている人がいたら、僕はこう言いたい。「そのままでいいんだよ」って。平凡な毎日を大事にして、そこにある小さな幸せを感じられるなら、それこそが究極の偏愛なんじゃないかなって思うんです。
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