「世界と『地続き』の世界」【アニメと漫画と暮らしの日記】
4月21日(日曜日)
ベルクソンの『創造的進化』を少しだけ読む。スピノザの『エチカ』を少しだけ読む。8時前。傘だけを荷物にして日曜の朝の街に出ていく。
MM。とりあえず『恋愛代行』の第2巻を読む。読み切るのに70分以上かかる。
そしてそれから、昨日読めなかった「週刊少年サンデー」の続きを読む。
前回の記事で『次号で『ラストカルテ』が終わる』と書いたが、今週水曜日の発売号で終わるのは『ラストカルテ』だけでは無かった。『君は008』と『出席番号0番』も『ラストカルテ』と同時に終わる。『君は008』は300回目前まで続いたのだ。円満な終わり方と言って良い。一方、『出席番号0番』は掲載順の下の方を飛行し続けての連載終了と思われる。短期での終了で、無論円満な終わり方では無い。
『出席番号0番』。実は陰ながら応援していた。しかし、最近サンデー本誌まで手が回らなくて、ストーリーを追えていなかった。応援が全然足りなかったのだ。うぅむ……。以前『ボレーボレー』という陰ながら応援していたテニス漫画が、やはり比較的短期で終了してしまった事があった。『ボレーボレー』の時も応援が足りなかったし、今回も応援が足りなかった。無念の繰り返しである。
予定より10分早くMMを出た。図書館の開館を待った。5分待って自動ドアが開いた。中国のSF小説・アメリカとドイツの20世紀作家の小説・フランスの現代作家の小説を読んだ。ドストエフスキーの『地下室の手記』・イタリアの現代作家の自伝的小説・コルタサルの短編小説を読んだ。翻訳家が書いた翻訳の入門書・斎藤茂吉の短歌のアンソロジーを読んだ。
午後から雨模様なので『早く引き籠もってしまいたい』と思い、退館後に食事を買い込んだ。
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『佐々木とピーちゃん』の異世界パートは面白くない。
いきなり否定から入ってしまった。しかし、『佐々木とピーちゃん』というアニメが嫌いな訳では無い。嫌いならばとっくに観るのを止(や)めている。
ただ、異世界パートよりも現実世界パートのほうが明らかに楽しいのだ。佐々木とピーちゃんが異世界から現実世界に戻って来る途端に面白くなる。何故か。
オープニングテーマの歌詞でも触れられているように、このアニメは2つの世界を往還する話なのである。そして、中世風ファンタジー的な異世界だけでは無く、(丸っきり同じ訳では無いが)現代日本とほぼ同一の現実世界においても異能力が蔓延(はびこ)っている。
だから、佐々木とピーちゃんがアパートに暮らしている現実世界においても異世界のようなモノがかなり幅を利かしてはいる。でも、佐々木とピーちゃんが異世界から戻って来る現実世界の方が、作品を視聴している私の生活している世界と「地続き」なのである。
『いま』『ここ』と「地続き」の方が楽しめる。というより、『いま』『ここ』と「地続き」のアニメばかり楽しんでいる。
およそ30年の細々としたアニメ歴の中で好きだったアニメは、『いま』『ここ』と「地続き」のアニメばかりだ。こんな嗜好だからこそ、『好きなロボットアニメは『学園戦記ムリョウ』だ』と言ってしまうのだろうか。それとも、『「地続き」が好きだ』という事と『学園戦記ムリョウ』が好きな事とはあまり関わりが無いのだろうか。
『佐々木とピーちゃん』に話を戻そう。佐々木とピーちゃんが現実世界に戻って来る途端に面白くなる理由を探っているのだった。
その理由を『視聴者である私の生活する世界と「地続き」であり、そういった世界観しか肌に馴染まないから』としてしまうのは簡単だ。
だが、もう少し突っ込んで考えられないものか? 例えば、「女性キャラの配置」のような観点から、『佐々木とピーちゃん』の2つの世界の差異を分析していくことはできないものか?
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今日の食事中アニメ
・『佐々木とピーちゃん』第8回
・『佐々木とピーちゃん』第9回
・『佐々木とピーちゃん』第10回