
歓喜院菩提寺「大森寺」
守山区大森寺(だいしんじ)を訪問。
尾張徳川家初代藩主徳川義直公側室で二代藩主光友公の生母お尉の方(おじょうのかた)の菩提寺で石橋住職の興味深いお話を聴く機会を得た。
総門
山門。扁額の文字は、二代藩主徳川光友公の直筆。
再建された本堂は立派で、光友公とお尉の方(歓喜院)の位牌が並ぶ。
藩主の庭と呼ばれる庭園も見応えがある。
初代尾張藩主「徳川義直公」と正室「春姫」の間に子供は産まれなかった。
義直公は、鷹狩りに瀬戸水野方面に20回ほど訪れている。その途中にあるのがこの大森村だ。
大森村に「御膳洞」という地区があり、鷹狩りの帰りに昼食を取ったのが地名として残っている。
御膳洞の池。
御膳洞の井戸。
義直公は、鷹狩りの帰りに御膳洞でいつものように昼食に立ち寄る。
その時に給仕に出た村の娘がお尉(じょう)。
義直公は、気に入り満更でもない様子だ。
それを伝え聞いた義直公の生母「お亀の方」は、おじょうを城に召抱え、義直公のお側に仕えさせた。
作戦は功を奏し、おじょうに子供ができる。
それが、二代藩主徳川光友公。
そしておじょうは側室となり江戸藩邸で光友公を育てた。
おじょうは、江戸で若くして亡くなるが、光友公に精一杯の愛情を注いだはず。
光友公は、母の菩提を弔うため菩提寺を建立した。
その場所は、御膳洞に隣接する今の地である。
御膳洞は希少種マメナシの群生地である。約200本ものマメナシの木の林がある。
桜が散ると、マメナシの白い花が咲く。
5月、マメナシの満開の時期に、御膳洞で義直は「マメナシの花が綺麗じゃのう」と思ったに違いない。
そして、若い村娘をマメナシのように綺麗だと思ったと想像する。
おじょうの戒名に「花林」という文字が入っている。
これは、光友公が、母から、義直公との出逢いを聞かされていたからではないだろうか。
歴史に想いを馳せて、ゆっくりと散策すること。
いいなと思ったら応援しよう!
