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二代藩主光友正室「千代姫」

尾張徳川家二代藩主徳川光友正室「千代姫」。

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千代姫、霊仙院(れいせんいん、寛永14年閏3月5日(1637年4月29日) - 元禄11年12月10日(1699年1月10日))は、江戸幕府3代将軍徳川家光の長女で、尾張藩主徳川光友の正室。母は側室の自証院。名は千代姫(ちよひめ)。徳川家綱、徳川綱重、徳川綱吉の異母姉である。

寛永14年(1637年)閏3月5日に誕生、同年7月16日に宮参りを行い、天海により「千代姫君」と命名された。寛永15年(1638年)2月20日に徳川光友と縁組し、翌寛永16年(1639年)9月21日に婚姻した。

慶安5年(1652年)に長男・綱誠(後の尾張藩主)、承応3年(1654年)に長女豊姫(早世)、明暦2年(1656年)に次男・義行(後の高須藩主)、万治元年(1658年)に次女直姫(早世)を生んだ。

側室所生の松平義昌(陸奥国梁川藩主、生母は樋口信孝女)、松平友著(川田久保松平家当主、生母は鈴木氏)は千代姫の養子分となっている。

元禄11年(1698年)12月10日に62歳で死去し、増上寺に葬られた。戒名は霊仙院長誉慈光松月大姉。

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婚礼の調度品は、「初音の調度」と言われ有名。平成8年(1996年)に、徳川美術館所蔵の千代姫所用の婚礼調度(初音の調度及び他の調度、文書類)が国宝に指定された。

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残念なのは、千代姫は生涯名古屋を訪れたことは無く、亡くなってから調度品だけ名古屋に送られた。

将軍の娘として生まれ、生涯姫様として生きた千代姫。

名古屋でのエピソードは無く、江戸屋敷が生活の全てだった。お亀の方やおじょうの方と違い、出自の良さは天下一品だが、光友との間に2男2女を産み、長男綱誠は、後に、尾張徳川家三代藩主となる。役目を果たし、幸せな生涯だったかもしれない。


#ゆたかさって何だろう

江戸の暮らしに思いを馳せて、62年の生涯を考える。



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