【人狼ゲーム】思考転換のすゝめ

まえがき

こんにちは。ほしゆめです。
この記事を開いた方の98%くらいは、人狼ゲームをプレーしていたり、あるいは、人狼ゲームに強い関心があることと思います。
皆様、いかがな人狼ライフ(?)をお過ごしでしょうか。

以前狂人をテーマとした文章をしたためましたが、今回もまた人狼ゲームに関する主観100%の塊を投下してみようと思います。

なお以下の文章では、所謂「アルティメットルール」「ア式」などと呼ばれる、【13人村、人狼3・狂人1・予言1(初日白通知)・霊媒1・ボディガード1(連続護衛なし)・村人6】のルールを想定しています。


ほんぶん


突然ですが、皆さんは能力のない村人(いわゆる"素村")を引いた時、どのように推理をしていますか?

推理の仕方は、人それぞれです。
どのように要素を拾うか、何を白要素or黒要素(あるいは真要素or偽要素)と見なすか…特定の誰かに関する見解が分かれるのは日常茶飯事です。

推理で的確に人狼陣営を追い詰めることは、いつでもできるものではありません。
アルティメットルールの能力COのない初日はその最たるもので、情報のない中薄い要素から村人や人外を見極めなければなりません。
やがて複数名が予言者や霊媒師であると名乗り出て、村人はその真贋を見極めることを課せられます。ゲーム展開次第では終盤には能力者と名乗った者が全員いなくなることがあり、そうなると明確な新情報のないまま残る人狼を探さなければなりません。
「2人名乗り出た予言者が実は両方とも偽者だった」といった、正解に辿り着くのが極めて困難なケースもあったりします。

村人の時に人狼を高確率で当てることは、熟練者にも不可能です。
筆者も人狼ゲームをプレーし始めてから6年が経ち、それまでの経験を活かして思考ロックをせず最後まで白黒や真贋について考え抜くことを心掛けていますが、間違いを少なくすることはできません。

人狼ゲームは、村人が間違うからこそ成立しているゲームです。
村人陣営で推理の正誤を焦点とした感想戦を善しとしない風潮があるのも、「推理を間違えたこと自体を非難すべきではない」という考え方に基づいています。
「推理は水物」という表現が、それを端的に示していますね。


…ですが。
自分自身が推理を超大外しした経験を顧みたり、他人が正しい推理をしている、あるいは間違えている様子を多く見てきた結果、「正しい村人」と「間違っている村人」の間にある差をおぼろげながら感じるようになりました。


それは、思考転換ができているか否かです。


思考ロックしがちな時(※)より、思考転換ができている時の方が、推理の正解率が高いという印象を受けています。

※ここで「思考ロックしがちな」ではなく「時」という表現を用いていますが、それは同じプレイヤーでもゲームによって思考ロックしているかと思考転換しているかに差があるためです。

この「思考転換ができているか」について、もう少し踏み込んでみましょう。
例えば、AさんとBさんが予言者と名乗り出ており、あなたは「Aさんが真予言である」と推理しているとします。ところが、夜に襲撃されたXさんは、生前「Bさんを信じている」と発言していました。ここで、Bさん真派のXさんが襲撃されたという事実を無視してAさん真で突き進むのではなく、一旦立ち止まってBさん真を一定数追えるかどうかが思考転換力です。

ここで留意してほしいのは、最終的にAさんとBさんの真贋を当てること自体ではなく、Bさん真を一定数追えるかどうかに(筆者である僕が)重きを置いていることです。
つまり「思考転換できているか」をもう少し厳密に表現すると、「自分の推理に反する新たな客観的事実が生じた時、常にそれに敏感になり、自分の推理を再構築する余地を残しているかどうか」となります。


さて、人狼ゲームの性質を考えると、「思考転換できる人の方が推理を当てやすい」というのはある意味当然のことになります。

その人狼ゲームの性質とは、日数が経つにつれ、投票(誰に入れたかとその順番)、能力者の結果、襲撃先といった客観的事実がどんどん増えていくということです。

「客観的事実が増える」=「推理の材料が増える」です。推理の材料が多いほど推理の精度が高まります。
どんな推理をしていようと、増えていく新たな客観的事実にアンテナを張って敏感になり、最後まで思考を止めないことが、正しい推理、ひいては村の勝利に繋がります。

【脱線1】よく予言者が2人名乗り出ですぐ、「Aさんの真を決め打ちます!」みたいなことを言う(人外の誘導ではなく、村人で)方が、人狼歴の長い方にもいたりします。CO前の振る舞いや出方などでよっぽど差がない限りは、こうしてCOした瞬間に決めつけるのは、コインの表裏どっちが出るかを当てるのと本質的に変わらないんじゃくらいに思っています。人狼は当然早押しクイズではないので、誰よりも早く正解する必要はないのです。後から増えていく情報に基づいて最後まで考え抜く方が僕は好みですし、自身の経験上これを心掛けたら予言のフルスイング外しが減っていった気がします。「真予言は日が経つとどんどん真になっていく」というのもあるあるですしネ~


とはいうものの、思考転換以前にこの「増え続ける客観的事実を拾い切る」こと自体、特に初心者の方には難しいかと思います。
ですが、村陣営はあなた1人ではありません。あなたが「Aさんが真予言だと思う」と推理している中に、「いいや、私はこの事実からこれこれこういう理由でBさんが真予言だと思っている」という人が現れることもあるでしょう。新しい事実(もしくはみんなが忘れていた事実)は、村陣営みんなの力を合わせて拾い上げれば良いのです。

そして重要なのは、こうした場面で「Aさんが真予言だ」「いいや、Bさんが真予言だ」という意見と言う名のミサイルの撃ち合いで終えたりしないことや、「Bさんが真予言だ」という自分と真逆の意見を無下にしないことです。
推理を当てるうんぬん以前に、人狼ゲームはコミュニケーションゲームであり、上記のような姿勢はコミュニケーションゲームを遊んでいるのにコミュニケーションを遮断していることになるので、そのような意味でも人間としてそういった姿勢は改めていく方向が良いのではないかと思います。

【脱線2】稀に「あなたは推理が真逆だから人外!」みたいな言い回しを聞きますが、僕はこれは好きではありません。これって「相手が村人で間違えている可能性」「自分の方が間違っている可能性」の2つを考慮してませんよね?

ちなみに思考転換をする以上、「誤→正」だけでなく「正→誤」への転換も当然起こり得ます。
ですが、筆者が見てきた村人の思考転換は「誤→正」の方がかなり多い印象です。それに結果が「正→誤」とはいえ、思考転換できることは情報の収集力と考察力が高いことの現れでもある(と僕は思う)ので、「正→誤」を恐れずテノヒラクルーしていきましょう!


あとがき

念のため補足ですが、筆者がプレーしている人狼ゲームは95%以上が対面、残る全てがzoomで、それらのほとんどを人狼ルームさんで遊ばせていただいております。
その前提で、ここまで書いてきたことの100%が筆者の主観で構成されていることをご承知おきください。
ですので、この記事を読んだ上で「俺はそうは思わない!」と思っていただく分には全く差し支えはありません。動物園に展示されている珍獣を眺める心境で「ほしゆめはこんなことを考えているんだなぁ~」くらいに軽くとらえていただくのが丁度いいかと思います。

情報のない所からスタートして人狼を追い詰めるというのは村人の醍醐味です。
そして、人狼ゲームでは自分がいつゲームから退場するかを自分でコントロールすることができません。
ならば、最期(自身の退場もしくは決着の瞬間)まで思考を止めないことこそが、勝ち負けや推理の正誤という次元以前に人狼ゲームを骨の髄まで楽しみ尽くすことであると僕は思います。


長文に最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう(☆・∀・)ノ

文責:ほしゆめ X(旧Twitter):@baroque_hoedown









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