ハンチ(4)
どこにいようと、どんな状況にあろうと、否応なく時間は進む。
それに対して、アムトラックは全然進まない。夕方、時間通りにユニオンステーションを出発したのはいいが、シカゴ郊外の住宅地を抜けたところで段々と速度が落ち、徐行運転になったかと思ったら完全に停止してしまった。駅と駅の途中、すでにサトウキビ畑やらトウモロコシ畑やらしかないような場所で。そのだだっ広い畑にしても、いまは雪をかぶってしまっている上に、外は吹雪いているから、列車の窓から見えるのは、空も大地もただただ灰色の景色だ。
日は暮れ始めている。予定通りに着かないことは織り込み済みとはいえ、シカゴを出て三十分も経たないうちにアムトラックが動かなくなるとは思わなかった。理由は不明。アムトラックが動かなくなるのに理由はいらない。
新学期が三日後にせまった週末のアムトラックは混みに混んでいた。ほぼすべてが学生。僕たちは全員同じ大学に通っている。隣の席の痩せたメガネの彼も、うしろの席のアジア系の彼女も、白人も黒人もブロンドも赤毛も。目的地はいっしょ。ほとんどの人が知らないアメリカの田舎町。なぜか大学がある。そういう街は結構ある。
夜、寒波の真っ只中で慎重になっているのか、アムトラックはストップ・アンド・ゴーを繰り返した。近づいてるという実感は湧かない。いまほどあそこに帰りたいと思ったことはない。ジャクソンなんてあってもなくてもいいような街に。
街は駅から始まる。
アムトラックが到着するのは小さな街の小さな駅で、プラットホームは客車三台分の長さしかない。だから、先頭の動力車両と後方の二両か三両の客車は駅から大きくはみ出して停まっている。シカゴのユニオンステーションで乗客が振り分けられるのはこのためだ。
乗客が乗り降りしている数十分間、駅を挟み込むように設置されている踏切は鳴り続ける。運の悪いドライバーは音楽でも聞きながら待つしかない。アムトラックが再び走り始める保証なんてないのに。
列車が駅に来るのは一日に四回——朝、昼、夕方、夜。朝と夕方は西から東——田舎から都会——へ、昼と夜の便はその反対方向——田舎から地の果てへ進む。
石造りの小さな駅舎の中は殺風景で、スイングドアを押し開けると、目につくのは二脚の木製の長椅子。並んで佇む年季の入った重厚な椅子が狭い駅舎内をほぼ占領していて、そのせいで非常に動きにくく、大なり小なり荷物を抱えている人たちは駅舎を通ることなく、駐車場から直接ホームへ上がっていく。そのため、気温が氷点下になる真冬でもないかぎり駅舎の中はいつも静かで空気はひんやりしている。道路に面したガラスのはめ殺し窓から差し込む陽の光や、駐車場の電灯が投げかけるオレンジ色の灯りの中で、埃がひっそりと舞っている。
駅は、小さいながらも一応『ダウンタウン』と呼ばれている地域にあって、通りの向こう側には商店やらレストランやらが立ち並んでいる。といっても、他にどうにも言いようがないので仕方なくそう呼んでいるだけで、実際はロサンゼルスとかニューヨークとかの大都市のダウンタウンとは違った、通りが四本しかない寂れた商店街で、活気はなく、しんとしている。建ち並ぶ商店が繁盛しているとはとても思えなかったけれど、それでいてつぶれもしないところ見ると、どこもそれなりにお金のやり取りが行われているということだろう。
唯一繁盛していることがわかるのは、ダウンタウンに一軒だけあるクラブで、週末になると学生——ほとんどは成人していて、一部は偽造IDを持っていて——中心に若い世代が集まり、飲み、踊り、吐く。下半身方面の運動に流れていく連中もいくらか。週末の夜は、ある意味、退屈な同じことの繰り返しだったりする。
ダイナーでは、老人が高カロリーな食事をして日々寿命を縮めている。油っぽくて全体的に茶色い食事とか、ひっきりなしに継ぎ足される味のしないコーヒーとか。
ダウンタウンに活気がないのは若者に責任があるともいえる。というのも、四年制大学を抱え、世間的には『学園都市』——都市?——と呼ばれている街の新鮮な血液であるところの学生たちが街の心臓部を避けて循環しているからで、ダウンタウンは弱り、老いていくばかり。
学生たちが通うのはダウンタウンからそう遠くない、歩いて五分くらいのところにある大学で、生活はキャンパス内に集約されている。キャンパスの敷地面積はやたらと大きく、学生生活に必要なものは、アルコールと気持ちよくなる葉っぱ以外なら、キャンパス内のコンビニで手に入った。日々の食事は学生寮に併設されたカフェテリアでとれる。間違っても美味しいとは言えないが、寮を出た後に懐かしさから食べたくなることもあった。いくら懐かしくてもまずいものはまずいけど。
六つの学生寮がキャンパスに散らばっていて、そのどれもが複数の棟で構成されていた。一つ一つに大学の創立に関わった人たちの名前が付いていた。寮に限らず大学のすべての建物はそういう人たちの名前を冠していた。しかし、建物の名称に採用された人たちが大学にどのように貢献したのか知る学生はいなかったし、学校側も積極的に教えはしなかった。重要なのは、授業がどの建物のどの教室で行われるかなので、たとえ初代学長の名を冠した建物があったとして、それは純粋に識別記号としての意味しかなかった。
学生寮には主に一、二年目の学生が住んでいる。ほとんどすべての学生が最初は寮生活を送るが、早ければ一学期で、どんなに長くても二年でキャンパス近くのアパートや一軒家に移り住む。そんな暗黙の常識があった。
一日中ほぼ人の姿のないダウンタウンは、僕の実生活にはほとんど影響しなかったけれど、後に街のことを思い出すときには必ず真っ先に頭に浮かぶ。僕は、実際にそうだったように、思い出の中でも、列車で街に着き、寂れたダウンタウンを通り過ぎて大学に向かう。
知らないだけでおそらくはいろいろなものがあるはずなのに「なにもない」という印象しか持たせない街をいつの間にかそれでよかったと思うようになった。
携帯が鳴った。
「もしもし」なつだった。「あきさんから今日帰ってくるって聞いたんだけど」
「うん。いまアムトラの中。止まっちゃってる」
「それはそれは。いまどのへん?」
「外真っ暗でわかんない」
「何時に着くの?」
「わかんない」
「あきさんが明日会おうって」
「到着明日になるかもね、最悪」
休暇中のことをあれやこれやと喋っていたらアムトラックがゆっくり動き出した。「よかったね」「じゃあ明日」というやり取りの直後、アムトラックはそうっと止まった。
なつに初めて会ったのは秋学期が次の月曜日から始まるという週末の夜だった。三ヶ月もあった夏季休暇のことを思い出してちょっと寂しくなったり、翌週から始まる新学期のことを考えてそわそわしたりしている頃で、僕はそんなようなことに頭の一部を使いながらも、一年間住んだ学生寮からキャンパスの近くに見つけたワンベッドルームのアパートへの引っ越しが終わってほっとしていた。自分だけのキッチン、自分だけのバスルーム、それと、小さいけれどリビングルームもある。家具はベッドしかないけれど、必要になったら揃えればいい。
時間は午後六時五分。空はようやく夕方の色になり始めた。外廊下に面した窓を上まで開けると湿気を多く含んだ外気が流れ込んできた。九月半ば、イリノイ州のこのあたりはまだ夏を引きずっていて、秋が来るのはまだ一月ほど先のことで、しかも、秋はあっという間に過ぎてしまう。十月下旬には冬になってしまうんだから。僕はドアも開け放って、快適とはとても言えないが名残惜しくもある夏の外気を部屋に取り込んだ。
アパートの外廊下はキャンパスの方を向いていて、アパートの裏庭の先、森の向こうに比較的新しい学生寮の高層階が見える。学生たちはそろそろ戻ってくるし、新入生はオリエンテーションが終わって寮で騒いでいるか、どうにかしてクラブに入り込む算段をしていることだろう。
電話が鳴った。液晶画面にはあきの名前があった。電話に出て、久しぶりにあきと言葉をかわした。あきはこの一週間新入生オリエンテーションのボランティアをしていた。
毎年恒例の移動遊園地が来ているらしい。
「行こうぜ」
と、あきが言うから行くことにした。場所はキャンパスの北側にあるサッカーフィールドに面したサッカーフィールドくらいの広さのある空き地だった。七時に待ち合わせの約束をして電話を切った。
毎年恒例の移動遊園地に僕はその年初めて行った。そんなものが恒例だったとは知らなかった。そこそこ広いとはいえ大学の空き地に収まる程度の遊園地だから大したことはないとふんではいたけれど、良くも悪くも僕の予想は当たって、会場には、頭の中で漠然と思い浮かべた光景がそっくりそのまま広がっていた。食べ物の屋台とミニゲームの小屋が並んでいて、遊園地らしい乗り物といえばメリーゴーランドと観覧車があった。
一般的な移動遊園地がどういうものなのか僕は知らなかった。だから、乗り物の選択肢が縦回転か横回転かしかなかったとしてもなんとも思わなかったし、芸人とかピエロとかがいなくても気にならなかった。気になったのはどぎつい色合いの棒付きキャンディーの屋台で、熱帯雨林にいる毒のあるカエルのような配色のキャンディーが飛ぶように売れていた。熱帯雨林のカエルとは反対に、毒々しい色のキャンディーは捕食者を、特に将来ある子どもたちを寄せ集めていた。
僕はそこでなつに会った。