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シニア枕草子#17

カタマヒロ様のnoteを拝読していて、自分が尊敬する年齢の重ね方をされたHさんを思い出しました。長らくお目に掛かっていないので、現在もお元気か定かではありません。

その方Hさんは、脳梗塞後遺症で右上下肢が麻痺しています。

脳梗塞を発症したのは、40歳代で、一般的な発症年齢より若いと思います。
しかもその日は、娘さんの共通一次試験(随分と昔の話です)の送迎という、我が子の人生で何回もは経験しない、大事な日でした。
Hさんは、朝から大層な体調不良だったそうです。

それでも、可愛いお嬢さんの人生を左右する大切な試験の日なので、無理をして車を運転して、試験会場の送迎をやり遂げたそうです。

帰宅してから、救急搬送され、脳梗塞と判明。当時の医学は現在より遥かに遅れています。入院して治療を受けましたが、治療開始も遅く、利き手の右上下肢に麻痺が残りました。

必死の思いで試験会場に送迎した娘さんは、無事に2次試験も突破して、なりたかった職業につき、ご結婚もされ、円満な家庭を築かれました。

娘さんの子供さん(Hさんのお孫さん)は、常日頃から「今のお母さんがあるのは、元々は、おじいちゃんが脳梗塞になっていたのに、必死の思いで試験会場に送迎してくれたから」と聞かされているそうです。

お孫さんがHさんの日常生活について書いた敬老作文が表彰されて、地元広報誌に全文掲載された事があります。確か「自分の母は、おじいちゃんのおかげで大学受験ができました。」「今もおじいちゃんは、仕事が忙しいお母さんを手助けするため、できる範囲で家事をしています」というような内容だったと思います。
Hさんに、作文の話をすると、照れておられましたが、本当はとても嬉しかったと思います。

Hさんは、自分がよくお会いしていたころには、右上下肢はほとんど麻痺していました。右手は拘縮して、いつも胸の辺りから動きませんでした。当時、着替えを1人でするだけでも大変だったと思います。

それでも、諦めることなく、訓練を続け、運動機能が残っている左手で文字も書いて、お箸でご飯を食べておられました。明るい性格で周りを楽しませてくれる話題も豊富な人気者でした。

自分だったら、脳梗塞後遺症で利き手が使えなくなったり、片足が動かせない状態になったら、何もかもが嫌になって、多分リハビリも人生も諦めてしまうと思います。

Hさんは違います。認知症予防教室に通ったり、家事もできる事は、自力でなさっていました。
スーパーなどでお会いすると、右足を引きずりながら近づいて来られ、世間話をしたりしました。

この時は、ご自身の運転する車で、スーパーに来られていました😞。こちらが心配になりましたが、現在ほど高齢者の運転に対する目は甘かったので、自分は、ただただ、帰るまでの安全を祈っていました。

最後にお会いしたのは、コロナ禍前、近所にある介護施設の駐車場付近だったと思います。ご自宅の近くなので散歩中との事でした。

現在の推定年齢が80歳くらいでしょうか?

今でもお元気にお散歩をなさっていたら良いのですが、正確なご自宅の場所を知らないため、お会いする事は叶いそうにありません。 
まあ仕事を離れたら、ご自宅の場所を知っていたとしても訪問するのは筋違いです。既にお孫さんも社会人となっておられると思います。

今でも明るく円満な家庭生活を送っておられる事を祈ります。

またカタマヒロ様も脳出血の後遺症からもリハビリを続けておられ、大変な努力家と、noteを拝読していて感じます。

カタマヒロ様、これからもnoteを拝読させて頂きます。
随分まとまっていませんが、ここまでで今回は終了いたします。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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