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2022年に乗った船、行った島① 五島列島編

2022年、たまたまたくさん船に乗った。
電車も車もバスも飛行機も船も、あまねく乗るところがわたしの移動の特徴かも。というわけで今更ながらふりかえり。

①五島列島(5月)

・太古(博多〜小値賀)
・はまゆう(小値賀〜野崎)
・びっぐあーす(小値賀〜宇久、宇久〜上五島)
・ペガサス(上五島〜長崎)

・太古(博多〜小値賀)

五島列島へ1週間。はじまりの日は日中東京で仕事。その後羽田空港に直行し博多空港へフライト。
仕事をしたその日の夜に福岡から船に乗っているなんて嘘みたいだ。19:00終業、羽田20:30発、福岡22:00頃到着、博多港23:45発。無駄がない。
これもひとえに博多空港と博多港の距離が近いからこそできることで、福岡市の交通の便の良さは突出していると思った。

太古は博多と五島列島各島を結ぶフェリーで、最終的には福江まで行くことができるのだが、今回は北から2番目の島、小値賀まで。
ターミナルからは壱岐・対馬行きの船も出ていて、そちらの方が人は多かったかも。ターミナルで待つ人々から「島に行くぞ〜」という浮ついた感じはあまりなく、帰る人や、何度も来ている人がほとんどなのか、玄人感が出ていた。

定員7人のグリーン和室を予約してあって、皆静かに過ごし0:00頃にスヤッと寝た。
4:30頃到着のアナウンスが入るとぱちっと気持ちよく目覚め、下船。まわりには、釣りの人が多かった印象。寝なくては体がもたないので船内を探検する時間はなかったが、快適な船だった。

・はまゆう(小値賀〜野崎)

この日は小値賀からさらに無人島の野崎島へ渡った。
1時間半ほど時間があったので、小値賀港ターミナルの仮眠室で横になる。固い枕が用意されているだけの簡素な部屋だったが、存外によく眠れた。

町営船の「はまゆう」に乗り込み野崎島へと渡る。野崎は簡易の宿泊施設の管理人さん以外は誰も住んでいない、実質無人島であり、入島には事前に連絡が必要である。「おぢかアイランドツーリズム」の方に渡航パスをもらい、首から下げて入島する。

人が少なく、天気が良く、ゆっくりと過ごせてとてもよかった。来ている人たちは、おとなしい夫婦みたいな感じが多かった。それも相まって雰囲気がすごくよかった。

2001年に最後の島民が島を離れて以来、最もそこに暮らしているのは鹿たちだが、昨今どの山でも、森でも言われているように、ここでも鹿による食害がすごかった。いや、誰を主語にするかで何が「害」なのかは変わってくるのだが、敵のいないこの島で、鹿たちは自由奔放にあらゆる植物を食らいつくし、いくつもの植物が絶滅していったそうだ。

「ディアライン」と呼ばれる、鹿が届く高さ2メートルほどまでの下草や葉はほとんど食べ尽くされ、植物たちは鹿から身を守るために、毒やトゲを持つことで対策している。人間が介入しない空間だからこそ、自然界ではこんなことが起こるのだというのがよくわかって興味深かった。

また、人が去ったあと、集落というのはこうやって朽ちていくのかというのがありありと見られてそれもまた興味深かった。かつての耕作の跡や、お皿や酒瓶などがたくさん残っていて、「不在」がこんなに顕在していることに驚く。

・びっぐあーす(小値賀〜宇久、宇久〜上五島)

翌日、翌々日は、宇久島と他の島を結ぶ「びっぐあーす2号」に乗船した。小値賀ではリーズナブルかつ量の多い食事を食べ、道端で出会った島のおじいちゃんと「子供は3人いるといいよ」「健康診断は毎年受けなさいね」とアドバイスを受けるなど朗らかに話した後、「元気だけれど、ふと夜になると、ひとりでさみしくて涙がこぼれる」なんていう胸がキュッとなる言葉を聞いたりした。
夜は月明かりが美しく影絵をして遊び、港の近くにはテトラポッドが生まれる場所があって興味津々だった。翌朝は朝日を見に行って、船までの時間に自転車を借り島をぐるりと1周すると、何度もキジが鳴いているのが聞こえた。

宇久島はおそらく五島列島の中で最も観光っけがない島であり、ドラッグストアもコンビニもスーパーもなく、飲食店は数えるほど。かつてわたしの夫が2年間暮らしていた場所でもある。
ゴールデンウィーク真っ只中、この世にこんなに人がいない場所があるのかというくらい誰もいなくて、夫の元上司が貸してくれた車に乗って、景色の良いさまざまなところに行った。

海がどこへ行っても透き通って美しく、これではわたしの中の海のハードルが上がってしまう…と危機感を覚えた。

見たことない花があちこちに咲いていて、人よりも鳥や蝶がたくさんいて、朝から晩まで美しかった。そんな場所に山以外で身を置いたことがなかったからすごく不思議な気分だった。今まで行ったどの田舎よりも不便な場所だと思ったけれど、同時に便利だから何だというのだろう、とも思った。

宿は海のすぐそばの旅館で、朝方になるとフェリーの汽笛が聞こえた。思いの外大きな音でびっくりして、ここに住んでいる人はこの音が日常なんだなあと思ったものだ。
続いて上五島の中通島に渡るときには、夫の元職場の人が何人か見送りに来てくれた。

朝、宿の部屋から

宇久から上五島へ渡るフェリーではよく寝て疲れをとった。
今回4つ目の島、中通島は、今までの流れからすると「都会」!だった。
ドラッグストアやコンビニや100円ショップがある!
でも、1日車で走ってみたら、港の近くの町は栄えているけれど、それ以外は同じくとてものんびりしている場所だった。
島の北端、野崎島と目と鼻の先にある灯台に行くと、これまで過ごした3つの島がよく見えた。こんなに近いのに、島にあるものや暮らしぶりが違うのが不思議だなあと考えた。

・ペガサス(上五島〜長崎)

泊まったホテルの朝食が、もしかしたら歴代のホテル朝食でトップかもしれない、と夫婦で意見が一致した。ホテルにはお互いおそらく平均より泊まっている方だし、ここより高額なところももちろん経験しているけど、すごくよかった。
派手さはないけれどひとつひとつがしみじみと美味しく、特に6点セットの「ご飯のお供」たちが強力すぎて、ご飯をひとり3杯ずつ食べてしまった…。「こんな強いお供見たことない」という話で盛り上がった。

右上の籠の中にあるのがお供たち

帰りは高速船で長崎港へ。見たくないテレビが大音量でついていて辛かった。このタイプの、病院の待合室よろしくテレビが垂れ流しになっている船がたまにある。夫曰く「島民にとってはこれが日常で、フェリーは生活の足なのだからこんな感じなんだよ」とのこと。

港に降り立ち、10年ぶりの長崎市だったので、荷物を置いて散歩を楽しんだ。朝ごはんを食べすぎてランチをする余裕はなく、「ほんとにあのお供は…」と語り草になった。
夜には帰宅。この日、船、バス、飛行機、電車とあらゆる公共交通機関に乗っていた!

五島列島で思ったことは、小さい島では1日に朝日と夕日を両方臨めるのだということ、島の入江の海は湖のように穏やかだったり、川のように流れていたり、一体海って何だろう?とわからなくなってしまったこと、「しまなみ」は本当にやまなみとそっくりで、空と海の見分けがすぐにつかなくなってしまうこと、などだった。毎日できる限り朝日と夕日を見に行って、今日もよろしく、今日もありがとう、と挨拶していた。
そんなことが暮らしの中に当たり前にあったら、何だかとても素敵だなと思ったのだ。

※たくさん教会にも立ち寄ったのだけど、話がより長くなるので割愛しました

つづく。

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