大学時代 登校中に小学生女児に心が洗われた話
タイトルにある通りこれは大学時代に体験した今でも心が洗われる体験だ。この体験があるから人間関係で酷い目にあっても耐えられる、希望が持てる、そんな気持ちになる。
大学では多くの事を学んだ、自分の人生を変える経験も得られたと胸を張って言える。でも住環境は良くなかった。もう二度と住みたいとは思わない。この体験をした当時、大学3年時には溝の口に住んでいた。これを言うと金持ちエリアだと言う人もいたけど自分は駅から離れた場所に住んでた。住んでる人には分かるけど駅から出て行って洗足学園の方向に進んで、学園を通り過ぎそこから20分近く歩いたところにアパートがあった(住んだ直後は自転車に乗ってたけど盗まれた。そこからは歩きだった)。周りにあるのはどこにでもありそうな外観のアパートや学校ばかり、人通りも少なく活気もない、アパートも狭い、当時は金欠で食べ物に困って四六時中腹を空かせていた(この反動で今は好きなものをバクバク食べて過去最大に太っている)。自分は本当に貧乏だなんて思ってた。周りに歴史を感じる趣のある建物、渋谷や大きな町にあるような見てるだけでワクワクするような最新の建物、開放的な大きな海でもあればまだ住環境は良いけどアパートは木々に囲まれて閉塞的な感じしかしない。金がないから自分の好きなものはおろか生活必需品も滅多に買えない、自分にできることはネットをしたり、図書館で借りた本を読んだり、大学近くにあったゲオで借りた昔の映画をPCで観る、これの繰り返しだった。
こんなわけで溝の口には正直良い思い出がない。貧乏な自分を思い出してそれだたまらなく嫌だ。自分は色んな建物を観ながら散歩するのが好きだがもう一度当時住んでたアパート付近に行く気はない。見る物がないからでもあるが一番はやはり自分のトラウマを抉られるのが嫌なのだ。
このように大学時代は大学の授業以外は特に良い思い出はなかった。でも一度印象に残ることを体験したことがある。あの日は確か金曜日の夕方15~16時くらいだった。授業に出るために大学に電車で行くところだった。小学生や会社員がまばらに見えていた。電車に乗って空いた座席に座ると隣に座っていた小学校3,4年生くらいの女の子から「ごめんね」と謝られた。最初誰に言っているのか迷ったが俺に言っていることに気づいた。どうやら自分の荷物が俺に当たったから謝ったらしい。
俺は「別に良いんだよ。小さいことだから。こっちこそ気を遣わせたよ。ごめんね」と返事をした。俺がその子にしたことはそう返事をしたことだった。他には特に何もしていない。でも何故か心を開いてくれたのか(俺が予想外に優しいことを言ったからかな?)、この後も少し会話した。
電車が二子玉川に着いた時に、
少女「もうここで降りるね」
自分「ああ、そうなんだね。じゃあ」
少女「(少し間をおいて)やっぱり別の駅で降りる」
用賀駅に着いた時に彼女から俺に挨拶をした。
少女「さよなら」
自分「ああ」
少女「(もう一度)さよなら」
彼女が手のひらを向けていたので、俺も手のひらを向き返した。
彼女は俺の手にタッチをして降りて行った。
俺は人に好かれるルックスはしてないし愛嬌もない。当時は今より身なりは整ってなかったと思う。どういう理由か分からないけれどあの時あの女の子からの優しさは今でも忘れない。
ネットではダーク加速主義者を自称している俺だが、リアルで他人に優しさを向けられたらその人には優しくする。誰であれ優しさを向けられる/向けることは素晴らしいことなんだ。
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