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「絶望した!」が言葉をくれました。

言わずと知れた()久米田康治著「さよなら絶望先生」の決め台詞、「絶望した!」は、私にとって救いでした。
絶望先生に出会った当時の私は鬱で全てが只管に辛かったのですが、何がどう辛いのかよくわかりませんでした。
その辛さを全く言語化できなかったために、自分の気持ちを理解することも、誰かに助けを求めることもできなかったのです。

そこに救いの手を差し伸べたのが「絶望した!」でした。この台詞は私の漠然とした心情を端的に表してくれているような気がしました。「絶望した!」と口にすることで、自分の感情の手触りを感じることができました。
ここで少しでも心を言葉にする感覚を得たことで、自分の気持ちを理解する糸口となったのです。

さらにその台詞の発展形として、絶望先生のラジオ、「さよなら絶望放送」において、「○○に絶望した!」というコーナーがありました。このコーナーは、リスナーが絶望的な体験談を送ってくるコーナーです。パーソナリティの神谷浩史さんが「絶望した!お母さん喫茶のお母さんが年下だったことに絶望した!」のように読み上げます。

このコーナーによって、「絶望した!」が日常に落とし込まれ、日々の絶望をネタに昇華するフォーマットが出来上がりました。
とうにラジオは終わっていましたが、絶望リスナー達の真似をして、私も自分の絶望をネタに昇華することに躍起になりました。
自分の絶望をネタに昇華するという作業は、癒やしでもあり、自分の心理状態を客観的に把握し解決へと進むことができる大きな一歩でもあったのです。そのおかげで私は、日々自分の状態を言葉にする作業へと夢中になり、自分の置かれた状況とそのヤバさを認識し、助けを求め医療へと辿り着く事が出来ました。
つまり「絶望した!」は私にとって革命であり救いであったのです。
と、ここで、絶望先生3期オープニング「林檎もぎれビーム」の歌詞が思い浮かんだので引用します。

・君が思うそのままのこと 歌う誰か見つけても
すぐに恋に落ちてはダメさ お仕事でやってるだけかもよ
・君の孤独わかってるよな すごい話に出会っても
すぐに神と思っちゃだめさ マニュアルではめてるだけかもよ 

大槻ケンヂと絶望少女達「林檎もぎれビーム」


絶望放送のDJCD(死語では?)を買い集めて、この5年くらいほぼ毎日聴いていました。次に読まれるメールを当てれるくらい。でも、3カ月前にカウンセリングを始めて以降、激減しました。  
きっと、絶望放送を聴くことで私は、絶望的な日々を耐えていたのだと思います。
そして、今はきっと、絶望的な日々ではなくなったのだと思います。

去年の1月、絶望放送の公開録音が、ラジオが終わってから10年経って開催されました。チケットは当たりませんでしたが、配信で見ました。メールが採用されました。神谷さんに「今日一番の拍手」と言って頂きました。あの日から、全てが変わった気がします。

絶望を醸して行きましょう。

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