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初体験・救急車で搬送

こんにちは、ばりちゃんです。
秋になっても、夏が残していった
暑さや想い出や、疲れがまだ残っています。

さて、今日は英語でもポリシーでもなく
最近起こった日記を書きます。

喉元過ぎれば熱さ忘れる・・・
と言いますが、忘れちゃいけない
こともあります。

今日はまさにタイトル通り。
初めて救急車を呼んで
搬送してもらいました。

人によっては不快になるかも
しれないので、なりそうになったら
自己判断で早めに切り上げてくださいね。


さて、何があったかというと・・・

残暑の厳しいある日。
友人を待っているだけで
猛烈な汗をかくような日でした。

友人とお茶したり
ご飯を食べたり
なんとも普通な一日でした。
ただ少し、寝不足気味でした。

翌日、友人と再びおでかけ。
献血が解禁した日だったので、
献血で400ml血を抜きました。

この日もとても蒸し暑く、
汗をよくかきました。

眠さと熱さと貧血があいまって
眠たさMAX。笑
かなり早めに帰宅しました。

シャワーを浴びて早々に
お昼寝。夜も8時間以上寝ました。

翌日。お昼前に起きたわたしは
シャワーと昼食を済ませ、
再び眠気に襲われます。

血を抜いたのが相当効いてるな・・・
と思いながら、ソファでお昼寝。
まさに爆睡でした。

夜、起きると夕食の時間でした。
お刺身にサラダ、鯛めしがズラり。

とっても美味しかったので、
食べ過ぎてしまうのが心配でした。

夕食後、2時間以上経って、
あれ?なんだか気持ち悪いな・・・
と思ったのが最後。

それから約2.5時間、
嘔吐し続けます。
夜22:30の出来事です。

食べたものはもちろん、
途中で飲んだ水でさえ
受けつけず、吐き切ります。

手足は痺れるし、唇は震えるし、
横になっても気持ち悪さは止まりません。

父に助けを求めても、
疲れてるんやろう。で終わり。

何度も悩んで、何度も検索して、
ついに夜中1時になって、決心します。

救急車を呼ぼう!

なぜなら、吐き気は止まらない
水は飲めない、手はしびれる。
死ぬなと思ったからです。

でも、119ではなく、
まずは#7119に電話しました。

これは、行政が推奨している
緊急時に相談に乗ってくれる窓口です。

現状を伝えると、
どのみち診察は受けないといけないよ。
救急車で行くか、自分で行くか、
どうしますか?
と言われました。

ここでもまだ救急車を呼んでいいものか、
決断できていません。
でも、夜中の救急は一般車では
受け入れてくれないところも
たくさんあると思い、
救急車をお願いしたのです。

およそ10分後、遠くから
ピーポーピーポーの音が。
お迎えが来たぁ・・・
と思いました。

夜中なのもあり、
ご近所さんに申し訳ないなと思いながら
自力で歩くことができたので、
救急隊の方に、自分で乗って、と言われました。

あまり急ぐ感じのない雰囲気で
身元や症状などもう一度聞かれました。
(救急車を呼ぶ電話でも話していたのにです)

心の中では、
もう早よして・・・
という気持ちだけでした。

すぐに近くの大きな病院で
受け入れてもらえることになりましたが
横にならせてもらうことも
ありませんでした。

揺れる救急車の中、
必死で吐き気を我慢。
辛かった・・・

病院に着いても
運んでもらえることはなく、
自力で10mほど歩きました。

蛍光灯が眩しいし、
救急隊の人はサッサと歩いて行くし
吐きたいし、辛さMAX。

簡易ベットに寝かしてもらい、
美人の先生が担当してくれました。

あらゆる可能性を考えてくれましたが
救急での検査には限界があるとのことで
消去法で"腸炎"ということになりました。

いま思えば、下痢もお腹の痛みもないので
胃炎、の方が正しかったような気もしたり。
(しらんけど)

水分が取れないことから、
点滴で水分と吐き気どめを入れてもらい
およそ30分で処置終了。

父に連絡し、迎えに来てもらいました。
(ここがカナダならどうなってたんや・・・)

深夜3時に帰宅し、
倒れるようにソファで爆睡。
気づけば朝でした。

救急では整腸剤や吐き気どめなど
1日分しか処方してもらえないので
別の病院(消化器内科)を受診。

怖くて何も口にできていないわたしに、
とにかく水分を取りなさい。
じゃないと治らないから。
と釘を刺され、もう一度
点滴を受けて終了。

結局、病名は分からず。
"疲れ"なのかな、と思っています。

今も食事はお粥かおうどんなどで
食事もビビりながらですが、
あの時のしんどさは消え、
自由に動けるので元気です。


今回、救急で行った病院では、
わたしの後にもお婆さんが
運ばれて来ました。

が、その人は10分ほどで追い返されました。
先生に救急車をタクシーとして使うな、
と釘を刺されて。

お婆さんは確かに痛みを感じたようですが、
緊急なものでは一切ない、と言われていました。

人の価値観は様々だし、
お婆さんは#7119を知らなかったみたいだし、
色んな理由があるんだろうけど、

救急車はみんなのものであり、
本当に必要としている人の
最後の選択肢かもしれない。

ということをもっとわかった欲しいなぁ
と感じました。

祖父が亡くなった時も
救急隊の方がすぐに来てくれました。

その時はもう間に合わなかったけど、
その時に救急車の大切さを知っていたから
今回も本当に呼んでいいのか?と
かなりの時間、葛藤しました。

貴重な経験を通して、
ピーポーの音には敏感になったし、
助かってほしいという思いも
強くなりました。

世の中、当たり前のことで
溢れているけど、
実は大事なものも紛れていて、
それを見つけるのがこれからを生きるのに
必要なんじゃないかと思います。


脈略のないお話だったかもしれませんが、
ひと夏の記憶として書き記します。

ご覧いただき、ありがとうございました!
皆さんもご自愛ください😇

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Mr.E..*
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