情報で捉える生物学入門#7 【免疫・神経】
情報の重要な側面としてその保持があげられる。僕たちは、何百年と残っている建物を見ると、そこに価値を感じる。嵐や戦争などを潜り抜けて現代まで残存していることを暗示しており、希少性が高いためであろう。生物も様々な環境刺激・または内部要因によりそれを構成する物質は日々入れ替わっていることが知られている。そんな中で、僕らの体内ではどれほど長く情報を保持することができるのだろうか?
答えは一生である。1つ目の例は、一度かかると二度とかからない感染症があるという免疫現象で、これは病原体の情報が体内に保存されていることを示している。2つ目の例は、僕らの記憶で、9.11や3.11など、多くの人にとって一生忘れなられない情報が僕たちの脳には貯蔵されている。今回はこれらの免疫・神経系について説明していく。
免疫系:からだの防御機構
免疫系とは、生物が外来の微生物などの非自己を認識して侵入を阻止したり、排除したりする仕組みである。動物の免疫系には自然免疫と獲得免疫があり、これは侵入した微生物の情報を記憶するかどうかで分けられる。
自然免疫では、マクロファージ等の食細胞によって侵入した微生物を細胞壁の成分など何らかの特徴量から非自己と認識し、細胞内に取り込んでリソソームなどで分解する。反応時間が短い代わりに反応が弱いことが特徴である。
獲得免疫では、非自己微生物を構成するタンパク質(抗原)の情報が記憶され、再度の進入時に強力かつ迅速な免疫応答である2次応答を示す。細胞性免疫は、主に感染細胞を直接攻撃する免疫方法で、T細胞という白血球の1種によって担われる。ヘルパーT細胞に活性化されたキラーT細胞が感染細胞の破壊等の免疫応答を担う。体液性免疫は、抗体が病原体や毒素を中和して除去する免疫方法で、B細胞によって担われる。B細胞は細胞外に存在するウイルスや細菌に特異的に結合する抗体タンパク質を産生する。一部のキラーT細胞やB細胞が記憶細胞として長期間体内に残存することで再侵入した異物への2次応答が可能になる。
遺伝子再構成:抗体の多様性を生み出す仕組み
僕たちの体内に侵入してくる異物は、少なくとも数百万種以上といわれている。免疫系はそれらの抗原に特異的に結合し、抗原抗体反応を起こす抗体を算出する必要がある。このB細胞が多様性を生み出す仕組みが利根川進博士の1987年のノーベル医学・生理学賞の受賞につながった遺伝子再構成である。
遺伝子再構成は、抗体遺伝子の中に多様なセグメントの中から1つのみ選択されるセグメント領域がいくつか存在し、そのセグメントの異なる組み合わせによって多様な抗体を産生する仕組みである。例えば、抗体の重鎖はV、D、Jセグメントから構成され、それぞれ約50、30、6個の遺伝子断片があるので、そこから1個の遺伝子を選ぶ組み合わせの場合の数は$${50 \times{30}\times {6}=9000}$$通りである。同様に軽鎖にも約320通りの組み合わせがあるので、$${320\times9000\fallingdotseq3\times10^6}$$の種類の抗体を作成できることになる。さらに、これらのセグメントを結合する際にランダムにヌクレオチドの追加、削除が行われ、B細胞が成熟する過程でも高い変異率で突然変異が起こるため、最終的な抗体遺伝子の多様性は$${10^{10}}$$を超えるといわれている。これだけ多様なものを作っておきながら自身の体にある抗原に反応するものは排除する仕組みも機能させているのだから驚異的というほかない(この仕組みが破綻したのが自己免疫疾患である)。この細胞の遺伝子を組み替えてしまうという例外的な機構は、情報をリッチにしたほうが適応的という進化的要請から生まれたものなのだろう。
内分泌系:広くゆっくりとした情報伝達
動物の情報伝達系として、電気的に素早く情報を伝達する神経系と相補的な役割を担う、化学物質で広範囲に持続的な情報伝達を担う内分泌系について説明する。内分泌系は、血流で運ばれて組織に働きかけるホルモンなどを用いて体内環境を一定に保つホメオスタシスに重要な働きを持つ。
例えば、血糖(血中のグルコース濃度)は脳や筋肉などに継続的にエネルギーを供給するために精巧な調節がなされている。空腹時や運動後などの低血糖時には膵臓ランゲルハンス島α細胞からグルカゴンが、副腎髄質からはアドレナリンが分泌され、肝臓のグリコーゲン分解を行い、血中にグルコースを放出する。逆に、食後の高血糖時には、膵臓ランゲルハンス島β細胞からインスリンが分泌され、肝臓、筋肉、脂肪細胞のグルコース取り込みが促進されて血糖値が低下する。これらの細胞は自身で血糖値を感知するのみでなく、視床下部でも血糖値がモニターされ、交感神経、副交感神経を通したフィードバック制御により血糖値が正常範囲に戻るとホルモン分泌が止まるようになっている。この反応結果が前段階に負の影響を及ぼすネガティブフィードバックを用いていることはよりミクロなレベルの細胞で起きていることと共通であり、生物は情報処理機械として異なる階層においても同様の機構を用いていることが理解していただけるのではないかと思う。
神経系:特異的で素早い情報伝達
神経系はシグナル伝達に特化したニューロンと、その機能・構造を支えるグリア細胞から構成される。ニューロンは核を持つ細胞体と、情報のインプットを担う大きく広がった樹状突起、情報のアウトプットを担う長く伸びた軸索から構成される。情報伝達の速度が速く、100 m/secにも及ぶことが特徴である。ニューロン間の接続部はシナプスと呼ばれ、ニューロン間で複雑なネットワークを形成することで脳が構成される。
脳の情報表象
ニューロンの細胞膜は細胞内と外を分ける物理的境界であるとともに、選択的な物質交換を担う化学的な境界でもある。細胞膜にはイオンチャネルやイオンポンプといったタンパク質が存在し、イオンチャネルは特定のイオンだけを濃度勾配に従って促進拡散させ、イオンポンプはATPのエネルギーを利用して特定のイオンを濃度勾配に逆らって運ぶ能動輸送を行う。また、膜内外の陽イオンと陰イオンの濃度が異なれば、細胞膜の内外で電位差が生じる。
さて、神経細胞は細胞膜外に対して細胞膜内が負に帯電している(静止膜電位)。入力を受けるとナトリウムチャネルが開き、電気化学的勾配に従ってナトリウムが細胞内へと流入することで、膜電位が負から正へと変化する(脱分極)。実は、神経細胞の情報表象は基本的にこれですべてである。つまり、ゲノム情報を貯蔵するDNAは1塩基で1ビットの情報を表していたのに対し、神経細胞は1細胞で膜電位が正か負か(発火しているかしていないか)の1ビットのデジタルな情報しか表現していない(全か無かの法則)。ただし、DNAとの違いはこの発火が高速に起こり、時系列として動的に情報を処理していることだろう。脳はこのナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度勾配の維持に脳のATP消費量の50%を使用しているともいわれ、電気化学的勾配を情報に変換する仕組みを用いて素早い情報処理を行うことに特化した器官であるといえる。ちなみに、それでも脳は30Wで動くといわれており、コンピューターに比べて現状100倍程度は省エネなようだ。
シナプス前細胞は50nm程度のシナプス間隙を挟んでシナプス後細胞と接しており、活動電位がシナプス前細胞に達すると神経伝達物質を放出する。神経伝達物質はシナプス後膜上の受容体に結合し、イオンチャネルの開閉を制御して膜電位を変化させる。この際にシナプス後細胞を脱分極(興奮)させる方向に変化させるか、過分極(抑制)させる方向に変化させるかは神経伝達物質の種類によって決まっており、グルタミン酸、GABAはそれぞれ興奮性、抑制性の神経伝達物質の代表例である。2024年のノーベル物理学賞の対象になった人工ニューラルネットワークは、このシナプスを介したニューロンの情報伝達をモデルして作られたことは有名である。
脳の記憶の保持方法
最後に冒頭で述べた記憶の保持について説明しよう。私たちの記憶は脳のネットワークに蓄えられており、ニューロン間のつながりであるシナプスが可塑的に作られたり消去されたりすることで記憶の形成、忘却が行われると考えられている。記憶には短期記憶、長期記憶が存在し、短期記憶の中でも作業記憶は前頭前皮質で数秒から数十秒の間情報を保持し、課題解決のために使われる。短期記憶の多くの情報は忘却されるが、感情を伴ったりリハーサルされたりした一部の情報は長期記憶へと移行する。長期記憶は数日から一生にわたって情報を保持することができ、個人的な経験や技能も含め膨大な情報量を保持することができるとされている。長期記憶には意識的に思い出せるエピソード・意味記憶と、無意識的に行動に影響を与える手続き記憶などがある。エピソード記憶には海馬が、意味記憶には側頭葉が、手続き記憶には小脳や大脳基底核がそれぞれ主要な脳領域がかかわっているとされている。海馬は新しい記憶を短期から長期に変換する記憶の定着の際に必要であり、記憶の想起時に必要なインデックスを作成しているのではないかというインデックス仮説が受け入れられつつある。また、長期記憶になりやすい感情的な記憶の形成には扁桃体の関与が大きい。
ヒトの脳で海馬は小さな部分しか占めず、ニューロンは$${10^7}$$個程度なのに対し、大脳皮質はヒトで大きく発達し、ニューロンは$${10^{10}}$$個程度ある。大脳皮質は多機能性を持ち記憶以外にも様々な機能を持つ。海馬には頻繁に使われる可能性の高い短期記憶と長期記憶の索引のみコンパクトに貯蔵しておき、そのほかの大量に存在するが使用頻度の高くないコールドデータは大脳皮質に分散させておくという目的に合った解剖学的特徴をしているように思える。
参考文献
Roth, Gerhard, and Ursula Dicke. "Evolution of the brain and intelligence." Trends in cognitive sciences 9.5 (2005): 250-257.
海馬 - 脳科学辞典 (neuroinf.jp)
amazon.co.jp/チャレンジ!生物学オリンピック3-―動物解剖学・生理学―-国際生物学オリンピック日本委員会/dp/4254175183