皮質カノニカルサーキットのシミュレーション
脳はどのように理解できるか?
これは明らかに答えのない問いであり、ヒトによってさまざまな回答がありうる。多くの計算論的神経科学の分野の研究者にとって、脳活動のシミュレーションを行い、神経活動の予測を行うことは理解の一形態であろう。
ホジキンとハクスレイは、(当時実体が明らかになっていなかった)イオンチャネルを考慮に入れて微分方程式を用いた膜電位の時間変化の詳細なモデリングを行い、単細胞の神経活動シミュレーションを行った。しかし、ヒトには1000億個のオーダーの神経細胞が存在するといわれており、現状ですべての細胞を考慮に入れたシミュレーションを行うことは不可能である。
では、どの程度の粒度のシミュレーションをどの程度スケールすることができるのだろうか?
本論文は、マウスの1次視覚野カノニカルサーキットについて、データドリブンなシミュレーションモデルを作成した。神経細胞種、神経結合、視覚刺激の情報を統合したもので、生物力学的な神経細胞のモデルと細胞を点で近似したネットワークのモデルを作成し、実験データを説明することができた。
Billeh, Yazan N., et al. "Systematic integration of structural and functional data into multi-scale models of mouse primary visual cortex." Neuron 106.3 (2020): 388-403.
https://doi.org/10.1016/j.neuron.2020.01.040
Introduction
皮質カノニカルサーキット(Canonical Cortical Circuit)とは、特定の領域に限らず、大脳皮質のさまざまな部分で見られる共通の神経回路パターンを指す。皮質は6層からなり、4層から2/3層への強い入力、5層から皮質外への出力など、特徴的な接続パターンが知られている。この概念は、大脳皮質の構造と機能における普遍的な原理を理解するために重要である。
皮質カノニカルサーキットのシミュレーションの研究には長い歴史があり、Blue Brain Projectはその最も大きなものといえるだろう。今回の結果は、in vivoの視覚刺激を受けたマウスの神経活動をシミュレーションで再現できたという点が新しいようだ。
Results
図1は、V1モデルの解剖学的概略を示している。皮質マイクロサーキットのモデルは興奮性神経と3種類(Pvalb、Sst、Htr3a)の抑制性神経からなり、これらがL2/3、L4、L5、L6に分布する(L1にはHtr3aのみが存在する)(図1A,C)。視覚刺激は外側膝状体(Lateral Geniculate Nucleus: LGN)から入力されるとモデル化されている。
図2では、LGNにおいて視覚刺激が時空間フィルターによって畳み込まれてV1に入力されるモデル化が行われている。刺激パターンとしては、視覚野の方位選択性・空間周波数特性などを調べるために、白と黒のストライプが一定速度で動くドリフティング・グレーティング刺激を用いた。実験結果にあうようにLGNの細胞を異なる時空間フィルターへと分類した(図2A,B)。レチノトピーとは、網膜上の隣接する視覚受容野の位置関係がLGN、一次視覚野と視覚経路全体を通じて保持されることである。レチノトピーを再現し、LGNを一過性に反応する集団と継続して反応する集団に空間的に分けることで、これらの細胞集団が同時に反応する刺激方向でだけ閾値を超えて反応が引き起こされる方位選択性をモデル化した(図2C,D)。
図3では、層間の結合がない状態でLGNからの入力に対するV1の活動がシミュレーションされている。図2のようにLGNのフィルターを設計すると、特定の視覚刺激の方向に対して発火率が上昇する神経を得られた(図3D)。
図4では、神経細胞間の解剖学的・機能的結合規則が定められている。先行研究から解剖学的結合の強さ(図4A)、機能的結合の強さ(図4B)、方位選択性と結合力の関係(図4D)、活動電位の伝搬の遅延(図4E)、樹状突起の結合則(図4F)を定めた。これらの再帰的結合則をふまえ、皮質第4層から1層ずつ層を足していく形で層間の結合を形成していった(図4G)。
図7では、層間に再帰的結合をもつ神経回路のドリフティング・グレーティング刺激に対する応答のシミュレーションを行った。図4で定めた結合則により、神経の発火をラスタープロットで記述すると、特定の刺激に対して選択的に発火する細胞群がシミュレーションできた(図7A,C)。生物力学的モデルと一般化リーク積分発火モデル、in vivoで電気生理学を行った実験結果の各層の最も発火率の高い方向での発火率と方向選択指標を比較すると、データと一貫性のある結果が得られた(図7B,D)。
図8では、より自然な映像など、多様な刺激に対する神経の応答が記録されている。画面全体が明るくなったり暗くなったりする刺激、自然な映像、徐々に大きい黒丸が提示される刺激が与えられた(図8A)。刺激に対するV1の応答のラスタープロット、平均発火率のシミュレーション結果が提示されている(図8B,C)。これらの結果は、実際の神経応答のシグナル相関や発火率をとらえている場合が多いようだ(図S8A, C, D, G)。
Discussion
本研究は、皮質カノニカルサーキットの構造・機能に関するマルチモーダルなデータを統合し、生物学的に“リアル”なネットワークモデルを作成することを目指した。23万個の神経細胞を生物力学的、または点でモデル化し、AllenがNeuropixelsを用いて組織的かつ大規模に取得した覚醒時マウスの視覚刺激への応答をある程度再現できていることが特徴だろう。この研究のモデルはオープンにされ、だれでもシミュレーションを行うことができるhttps://portal.brain-map.org/explore/models/mv1-all-layers。
計算論的モデルは、機械学習のモデルと同様に、既存のデータに対して過学習しないで未知のデータに対する説明力があることが重要である。本研究ではV1の構造と機能に関して以下の3つの予測が行われており、今後の実験的検証が待たれる。
興奮性の神経とPVでないインターニューロン間の結合には、同様の方位選択性を持つものが強い結合を持つというlike-to-likeルールが存在する。
神経間のシナプス結合の強さは方向依存的で非対称的である。
皮質のレチノトピーは水平方向と垂直方向で非対称的である。
脳から記録できる細胞数は年を経るごとに指数関数的な増加を示す。
本研究のシミュレーションモデルは、発火率や方位選択性といった電気生理学的記録との大雑把な比較しか行えていないという印象がある。しかし、このようなデータドリブンなシミュレーションモデルの構築においても、学習・テストに使えるデータが増え、より精緻化が行われていくだろう。僕らが脳全体の神経活動を計測できるようになった際に、脳全体を理解するために必要な1つのピースとして、今後もこの系列の仕事から目が離せない。
参考文献
Blue Brain Project|脳回路の構成的理解に求められる、最低限の『リアルさ』とは? - Mのメモ (hatenablog.com)
Hodgkin-Huxley方程式 - 脳科学辞典 (neuroinf.jp)
大脳皮質の局所神経回路 - 脳科学辞典 (neuroinf.jp)
Reconstruction and Simulation of Neocortical Microcircuitry: Cell