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Brainbow: 脳の確率的多色標識法
脳の情報伝達・機能は神経同士のつながりによって決まる。よって、特定の機能を担う神経回路の解剖学的構造がどうなっているかは神経科学における重大な問いであり、その詳細を明らかにすることは神経科学の主要な目標である。しかし、脳内には多くの細胞が密に詰まっており、それらを分離して可視化することは困難である。
神経のつながりを調べる古典的手法
神経同士の解剖学的結合を調べる古典的な手法には、染色液を用いて染色する方法、拡散または輸送されるラベルを用いて光学的に観察する方法、電子顕微鏡を用いる方法の主に3つがあった。1つ目の手法の代表例のゴルジ染色法は単ニューロンの可視化を可能にするが、ラベルがスパースであるため、包括的な適用はできない(図1A)。2つ目の手法の例は放射性のプロリンを片目に打つことで視覚野の眼優位性を示した研究で、基本的に単神経レベルの結合は明らかにできない(図1B)。3つ目の電子顕微鏡を用いた神経細胞とその結合の再構成は高分解能で包括的なつながりを明らかにできるが、データ取得の煩雑性から狭い範囲にしか適用できない(図1C)。
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出典: https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2577038/
Brainbowの動作原理
Brainbowは2007年にJeff W. Lichtmanのグループから開発され、神経細胞に多色の蛍光タンパク質を遺伝学的な方法で確率的に発現させることで、神経回路を可視化する方法である。Brainbowでは、Cre/lox組換えシステムを用いて3色以上の蛍光タンパク質を確率的に発現させる。Cre/lox組換えシステムはCreタンパク質がlox配列に挟まれた領域を特異的に認識することでDNAの切り取り、反転または染色体間組換えを行い、遺伝子発現をスイッチすることができるシステムである(図2A,C)。Brainbow-1では複数のloxサイトのどこかでCreによるDNAの切り取りが起こることで相反する組換えイベントによる異なる蛍光タンパク質の発現が生じるようにしている。ここで、3種類のlox配列の組み合わせのどこか1つのみで組換えが起こり、プロモーター配列直下の蛍光タンパク質のみが発現される(図2B)。Brainbow-2では複数のloxpサイトに挟まれた形でタンデムに並んだDNA断片がCreにより反転され、複数の組換え結果が生じる(図2D)。この反転も確率的で最終的にプロモーター配列直下の蛍光タンパク質のみが発現される。Brainbow-3では、Brainbow-1をベースにより安定で色や塩基並列の重なりが少なく、神経細胞膜に広く分散する蛍光タンパク質への変更が行われた。
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出典: https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2577038/
Brainbowを用いた脳の多色標識
多コピーのBrainbowコンストラクトを遺伝子組み換えマウスに組み込むことで、近接する神経を異なる色で分け、神経結合を可視化することが可能になる。実際にマウス生体に適用した場合に、運動神経、脳幹の軸索、海馬の歯状回の多数の神経とそのプロセスを異なる色のスペクトルで分離することができていることが示されている(図3)。また、AAVウイルスにBrainbowコンストラクトを入れることで、Brainbow専用の遺伝子組み換えマウスを使うことなしにこの技術を使うことも可能である。
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出典: https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2577038/
Brainbowが生成可能な色の数
複雑な神経回路の解剖学的結合を解析するには、多くの神経細胞を分離できることが必要である。Brainbowでは、3色以上の蛍光タンパク質を組み合わせて用いて、テレビが3つの色のチャネルを用いてありとあらゆる色のスペクトラムを作成するように、様々な色を生み出すことができる(図4A,B)。
では、このシステムでは最大何種類の細胞を色で分離することができるのだろうか?例えば、3つのコンストラクトを導入した場合、ここから生じる色の組み合わせの数は3つのカテゴリーから重複を許して3つを選ぶ組み合わせの場合の数の問題となり、$${{}_5\mathrm{C}_2 = 10}$$通りの色が生じる(図4C,D)。論文で使用したBrainbow1.1(4色)のコンストラクトを8コピー導入したラインでは、同様の計算から、理論上は$${{}_{11}\mathrm{C}_3 = 165}$$色の分離が可能である。しかし、実際には検出可能な色空間の多くの部分が埋め尽くされていて、論文では個々の神経やグリア細胞を識別できる判別可能な色は最大で90程度であるとされている。
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出典: https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2577038/
Brainbowの限界
本手法の限界は、主に①神経細胞が近接していてもシナプスを形成しているとは限らないこと、②分離可能な色が100程度に制限されること、にあると考えている。
蛍光顕微鏡で観察して神経細胞同士が近接しているように見えても、電子顕微鏡で観察してみるとシナプスを形成していない場合が多いことが知られており、コネクトームを蛍光顕微鏡で明らかにする手法にとって大きな限界となる。これを蛍光顕微鏡ベースの手法で解決する場合、Expansion microscopy等の超分解能技術を用いてシナプスをより詳細にみるか、シナプス結合をスプリットGFPを用いて特異的に可視化するツールmGRASPなどを使用する必要があると考えられる。
分離可能な細胞数については、100個の細胞を分離できても、1つの神経細胞に投射する神経の数が1000~10000のオーダーであることを考えると、まだ詳細な神経回路を調べるという目的においては足りないといえる。近年発展しているDNAバーコードを用いたシークエンスベースのコネクトームを調べる手法は、理論上バーコード配列をN塩基とすると4のN乗通りの細胞を分離できる。10塩基のバーコード配列で約100万通りに細胞をラベルできる計算になるため、この限界を克服できる可能性がある。
参考文献
https://www.nature.com/articles/nature06293
https://www.nature.com/articles/nmeth.2450
https://www.nature.com/articles/s41586-020-03134-2
https://doi.org/10.1016/j.neuron.2022.07.027
https://www.nature.com/articles/nmeth.1784
https://doi.org/10.1016/j.neuron.2016.07.036
神経の情報伝達は神経同士のつながりによって決まる。これを調査する古典的手法は限界がある。"Brainbow"は2007年に開発され、多色の蛍光タンパク質を遺伝学的に発現させ、神経回路を可視化する技術である。神経細胞同士が接触しているように見えても実際のシナプス形成を確認できない問題や、色での細胞識別の制限があるものの、詳細な神経回路の可視化に貢献している。
サムネイル画像の出典:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2577038/