気後れギター
会話の流れが大学時代のことに及ぶと、
「京都の大学でした。と言っても伏見区ですけど」
などと答えてしまう。
伏見区出身や在住の方には、謝りたい。
べつに、伏見区での大学生活で、誰かに意地悪されたわけでもなく、非常に快適に十代後半から二十代前半の日々を楽しませていただきました。むしろ感謝しております。
ただ、「学生の街、京都におけるキラメキ☆キャンパスライフ」みたいなものとは、縁の無い毎日だったもので、その辺りへの気後れから、つい「と言っても伏見区ですけど」と付け加えてしまうのです。
もし、市内中心部の大学に通ったとて、同じような生活だったことは断言できますので、伏見区のせいではありません。
そして、伏見区の大学に通って、きらめいていた人も大勢いるのだから、完全に僕個人の自意識の問題なのです。
そうした気後れ感が立ち上ってくることの一つに、ギターについての話題というのがあります。
「ギター弾かれるんでしょ」
なんて軽く言われると、
「弾けるっちゃあ、弾けますけどね」
と答えた後に、怒涛の気後れコメントが続きます。
ええ、弾けます。弾きますよ。
でも、例えば、あなたが、英語でスピーチしてくださいって言われたらどうですか?
ね、無理無理無理って断るでしょう。
でもね、そのスピーチの期日が一か月先で、テーマが決まっていて、絶対断れないようなシチュエーションだったら、どうですか?
テーマに合わせた原稿を、日本語で書いて、翻訳サイトとか辞書を使って、英語に訳して。
そんで、不安だったら、英語が堪能な、そうネイティブの人なんかに発音を聞いてもらって。
それでだったら、英語のスピーチできるでしょう。
僕のギターも、そんなもんなんですよ。
演奏する曲が決まったら、スコアを一生懸命見て、練習して。
弾けないところは、省略したり、ごまかしたり。
そんで、他の楽器と合わせて、合わないところは、さらに省略したりして。
それでだったら、弾けます。それが僕のギターなんです。
はー、はー、はー。早口で一気に、まくしたててしまう。
熱量の高い、気後れコメントを浴びせかけられた人は、きまってばつの悪そうな顔をしている。
ギターについて触れることは、この人にとって、相当センシティブでデリケートなことだったんだと後悔の念が表情に表れている。
そして、会話は、ここで途絶えてしまうのです。
だけど、だけどですよ、私の本心は、そこを乗り越えて、
「じゃあ、一度、演奏を聞かせてよ」
と言ってほしいのです。
勝手に気後れしておいて、勝手に言葉の弾幕を浴びせておいて、本当に身勝手なんだけど、そう言ってほしいのです。
素直に振る舞えなくて申し訳ない。
でも、本当は、ギターの話題を振ってもらってうれしいのです。
僕は、僕のギターを聞いてほしいのです。
演奏する姿を見てほしいのです。
狂おしいほどに。