アルコールについて
Aという同僚と海に行ったときにことである。浜辺で焚き火をしながら話題が日本の広告に及んだ。Aはアメリカ人で、ジャーナリストの眼光閃くインテリだった。Aは言った。「日本はfunnyだ。『タバコとお酒は二十歳から』っていう広告あるでしょ。アレおかしいよ。だってタバコもお酒も、年齢に関係なく身体に悪いよ。ああいう言い方すると、二十歳になったらタバコやお酒を始めるのが当たり前みたいな印象与える」。Aの意見はもっともだった。そう言うAの表情には、大切な人への愛が徒労に終わった経験を持つ人が見せる冷め切ったような雰囲気が漂っていた。Aは近しい誰かをアルコールの依存症か何かで失った経験があるのではないかという思いが私の脳裏をかすめた。・・・
「酒は百薬の長」という格言がある。かつて徳之島に泉重千代さんという翁がおられて世界最高齢のギネス記録保持者だった。レポーターから長寿の秘訣を尋ねられて「毎日の晩酌」と回答したと言われる。それを聞いてアルコール常飲の格好の口実とした愛飲家がいるのではないかと思う。ところが前述の格言は、一説によると酒税によって税収を確保したかったある国の政府の増税キャンペーンに源するらしい。政府のお墨付き有りとなれば、民は躊躇いなく酒を飲む。アルコールは脳内麻薬の分泌を促す。依存性がある。飲酒量はうなぎのぼりに増加する。税収は増え、政府は大喜びという仕組みだ。ちなみに前述の格言は、正しくは「酒は万病の元」である。
さてその酒だが、コロナウィルス感染症の蔓延で、外で嗜む機会が激減した。もともと会社帰りにアルコールを飲む習慣は無かったが、マラソン大会の後は決まって打ち上げをしていた。しかしスポーツイベントが軒並み中止になった結果、打ち上げが無くなった。その結果、アルコールを飲む機会からめっきり遠ざかった。私が最後にアルコールを飲んだのは、2020年4月19日の日曜日だ。その日は当初かすみがうらマラソンが予定されていた日だった。大会が中止になったので、いつもマラソンの応援をしてくれるチアリーダーと食事をした際に缶ビールを1杯分け合って飲んだ。それ以来、水とコーヒーと麦茶の生活が続いている。
以前は、帰宅途中にスーパーで缶ビールを買って、寝しなに飲む日が時々あった。今はそれが無くなった。理由は2つある。1つは夜マラソンの練習をすることが多いからだ。飲酒は練習に良くない。2つ目の理由は、翌日の目覚めだ。アルコールを飲んだ翌朝の目覚めがすっきりしないことが多かった。気持ちよい目覚めを優先して、寝しなのアルコールを控えることが多くなった。そして気がつくと、最後にアルコールを飲んだ日から101日が経っていた。
アルコールの話をすると、もう一人思い出す人物がいる。アメリカ人の親友のJだ。Jは日常殆どアルコールを飲まない。数年前来日した時そう話していた。肌がツヤツヤしていて、目の白い部分が真っ白に輝いていて健康そうだった。銀座と新橋の間にあるコリドー通りにあるJeu Jeuというビストロへ行って旧交を温めた時のことだ。Jは言った。「オレは酒は飲まない。でも1つだけ例外を認めることにしている。それは親友との再会を祝う時だ。今日はその日だ」。運ばれたビールで乾杯をし、グラスを口元に運び一口飲んだ時のJの表情を私は今も忘れない。喜びが目の縁にチラッとさざめいたかと思うとたちまち顔全体に広がって、一瞬に満開した桜のような笑顔をJが見せたのである。「お」と「あ」を足して2で割って、濁点をつけたような謎の感嘆を店内に轟かせ、Jはグラスをテーブルに置いた。・・・。特別な時にだけアルコールを嗜むJを、私は羨ましく思った。
その日以来、私とアルコールの付き合い方は少しずつだが変容してきたように感じる。例えば、病気の友人の快気祝いで外食をした時のことである。病み上がりの友人は身体の為にアルコールを飲み控えた。私には遠慮せず飲むようにと勧めたが、私はお茶を注文した。
日常でも、帰宅後に惰性でビールを飲んだりすることがなくなった。今私は「アルコールはあってもいいが、無くてもいい」日々を送っている。そのことを私は好意的に受け止めている。アルコールが身体に入っていないと、短時間で体力が回復する。加齢とともに体力回復に以前より時間がかかるようになっている。翌日に重要な仕事がある時に、前夜の飲酒は悪影響だ。アルコールの摂取量が激減した結果、最近はその心配がない。
身体にアルコールが入っている時間が殆ど無いことは、他にもメリットがある。思い立った時にバイクに乗れることだ。バイクは自由の乗り物だ。好きな時に跨って、好きな所に行けることが一番の魅力だ。その魔法の乗り物の「魔力」をアルコールは奪ってしまう。最悪だ。一方アルコールフリーな状態は、いつでも「魔法」を使える状態に等しく、万能感が果てしない。
アルコール摂取量の激減がもたらした更なるメリットは、マラソン練習の質の向上だ。マラソン練習の多くは、やる気の維持にかかっている。やる気の維持には、理性的なプランニングが大切だ。「今夜どのような練習をしようか?」、そんなことを帰りの電車の中で私の心は反芻する。そして内容と意義がぴたっと定まると驚くべきエネルギーが内側から湧き上がる。やる気は「理性」に依拠する部分が大きい。ところがアルコールはその「理性」を攻撃する。摂取後のアルコールが最初に影響を及ぼすのは新皮質の理性的判断の領域らしい。88円の安酒に、大切な「やる気」を壊されたくない。少なくとも練習のある夜にはそう思う。
今後私とアルコールの関係はどうなるのだろう?私は楽観的だ。答えはシンプルだ。好きな人たちと特別な時間を共有する時、適度に嗜む、だ。私には好きな人がたくさんいるから、機会には一生ことかかないと思う。その機会はとても待ち遠しい。まる。