「苦手なこと」は「本当はやりたいこと」なんじゃないかな。
あなたにも自分ができなかったこと、苦手なことで、いつまでもやりたいと思っていることはありませんか。
今回は、上手くできなくても、好きなものがあってもいいんじゃないかな。と、そんなお話です。
どうしようもなくスキなこと。
僕にはあります。
悔しいから羨ましいからとかじゃなく、できるようになりたいと想うこと、憧れているもの。
できないことだけど、いつかうまくできるようになりたいなぁと夢みていること。
「できないからこそ、やれるようになりたい」と思っていること。
好きなこと、できることは人それぞれで、興味関心も違います。
でも実はできることより、案外できないことのほうが本当にやりたいことだったりするんじゃないかと思います。
不思議ですよね。
意地になっていると言えばそうかもしれないけれど、ここに本質が隠されているような気がします。
ないものねだり?本当に必要なこと?見栄?なんだろう?その辺を差っ引いてもなにかありそうです。
求めている度合い
まず、求めている度合いが違うと思います。
例えるなら、真夏の自転車旅行で、思いがけない冷たいきゅうりととまとの差し入れ(ほんとにおいしくて、このときからきゅうりが好きになった)をもらえたり、究極にお腹が空いたときの食事、運動したあとの一杯の水。こんな風に、おんなじ食べ物や経験でもその時の状況によって嬉しさ、喜びは何倍にもなります。これは、その時の求める度合いが違うからだと思います。
そして、本質的に人はなりたいものになりたい、できるようになりたいという欲求を持っているということ。
生物学的に、新しいことができるようになることはメリットを持っています。進化も然り、科学技術の発展も同じように思います。
このあたりがポイントになってくるのかなと。
その気持ちを自覚して、できなくても大切にあたためていくことができるんじゃないかなと思います。
「好きなもの」は絶対
好きなものは絶対的なものです。
「好きなもの」は、相対的に他者と比較するものではなくて、どうしようもなく惹かれるもの、焦がれるもの。そして夢中になれるもの。
いつから、好きなものは「できるものじゃないといけない」と思ってしまったんだろう。どうしてなんにも考えずに好きといえなくなってしまったんだろう。
子どものころ、なにも考えずに夢中になっていたことも、大人になるにつれ、諦めたりやめてしまったりする。
これは、やっぱりなにか結果をださなくちゃいけない、僕は好きだけど、他の人と比べてたいしたものでもないしな。という比較が影響を及ぼしているのかなと。さみしい。
「得意・不得意」と「好き・嫌い」は別もの
そして、得意・不得意と好き嫌いは別物だということです。
よく、子育てでは、
得意なものを探しましょう。
好きになれるものを探しましょう。
と言います。聞いたことありませんか。
この言葉の本質は、
自分を好きになれる物を探しましょう。
そして、その冒険の旅に家族一緒に旅立ちましょう。
ということです。
なので、将来的に仕事にできることを探しましょうという話とはちょっと違います。
自分を好きになれた人は、他者との比較があっても、ちゃんと自分と向き合える。
たくさん愛された人は、人を愛することができるかもしれない。
している活動を「好き」かどうか自信がもてない人は、それをしていて「楽しい?」と自分に聞いてみたら良いと思う。
結果ではなく、経過が楽しいのであればそれは好きだと言ってもいいんじゃないかな。
他者との比較で自分を好きになれない理由をつくってしまうことはあってはならないと思う。
その部分に関しては、将来的にそうならないように、小さい頃から周りが自尊心を高めるようなアシストすることを押さえておくとよいと思う。
ただ、あなたが楽しいと思っていることを肯定するよ。
(人に迷惑がかからない限りはね)
初めてできた時の喜び。
あの瞬間を、いつか味わいたいという焦がれ。
そんなことのためにずっと続けていることがあってもいいんじゃないかと思う。
そして、それはきっと上手くできなくってもそれ自体が楽しいはずだから。
あなたのワクワクが満たされますように。
それでは、また明日。