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3つの優しい嘘  

友人とランチに出かける。
ソワソワ、ゾクゾク、ワクワクする。
何故なら、そのランチタイムで、私は3つの嘘をつけるからだ。

3つより多くの嘘はつかない。

 この数字こそ幸せと不幸せの境目、人間関係に最も必要な数字なのだ。

4つ、5つと、嘘をつく事は簡単だ。

 しかし、嘘に纏わりつく罪悪感は3を超えた時点で重力を持ち始める。
4つ目の嘘をついた途端、何故か?
得体の知れないヤバい生き物が、蠢(うごめ)きだす。

 今までの経験上、一旦重力を持ってしまった嘘は行き先を告げる事なく1人歩きを始める。
勝手に、人間の領域を超えたアイデンティティを持ち始め、自己主張をせんが為、悲惨な形となって顕在化する。
つまり、私が元来持っている至極真っ当な正義感を司るスイッチのオンとオフの機能を一旦停止状態に陥らせてしまうのだ。

簡単に言えば、ボロが出やすくなると言う事だ。

 水が100度を超えた時点で、沸点を迎え熱湯になる。
鍋の底から沸き上がる小さな泡がフツフツ、ブツブツと浮かんで来て、遂には激しく煮えたぎる。
4つ目の嘘は、この物理に似ている。
こうなってしまったら、円滑なコミュニケーションに差し障りが出始めること必須だ。
体の至る場所に火傷をしかねない。

「ヤバい!」

「良心の呵責か?」
「4は嘘の沸点なのか?」
「もしや?」
「鉄が溶け始める約1500度の融点と同様なのか?」
「自分がついた嘘を、記憶処理出来る限界か?」
「脳の悲鳴か?キャパオーバーなのか?」
「単に不吉な数だからか?」

 詰まるところ、ランチタイム、アフタヌーンティーを含めた3時間以内での4つ目の嘘は、信頼関係を一瞬で破壊してしまうウラン級の威力を発揮すると言うことだ。
摩訶不思議だが、今まで苦労して付いてきた優しい3つの嘘でさえ、全て砂上の楼閣と化してしまう可能性が非常に高い危険な数字なのだ。

だから、私は4つ目の嘘は絶対につかない。

   ー3つの優しい嘘だけをつくー

鱧の吸い物を啜りながら、柚子の香りを嗅ぎつつ1つ、友人の喜びそうな嘘をつく。

特上のしゃぶしゃぶのサラダに箸をつけながら、友人を励ます2つ目の嘘をシャアシャアとつく。

溜息を我慢し、延々と続く負のスパイラル、愚痴や自慢に耳を傾けなければならない時もある。

 友人の息子の自慢、身につけているブランド品の自慢、高級旅館やホテルでの散財自慢、実家の両親の自慢、浮気相手との情事の自慢、学歴の自慢などをし始めたら、さぁ〜ここが一番の勝負のしどころだ。

 箸を置き、膝を正し、お預けをされる右の目の周りだけパンダみたいなポチ犬にならなくては、友人間の第一級の礼儀に反するのだ。

 愚痴や自慢の場面こそ、友人間で信頼関係が試される時はない。
だけど、心配ご無用。
試練を乗り越えた先には、輝かしい未来が待っている。
この試練の時の到来を、寧ろ、諸手を挙げて喜ばなくてはならない。

 愚痴や自慢は、相手に隙を見せたも同然。
それだけ心を相手に開いたという証拠でもある。
つまり真の友情を確認し合う契約書に血判(けっぱん)を求めてきている訳だ。
手を合わせ、神に祈りを捧げてもいいくらいだ。
何故なら、親友へと昇進できるビックチャンスでもあるからだ。
サラリーマン社会で言えば、平社員から課長、課長から部長、部長から常務、そして専務という出世街道にある関所と変わらない。

この壮絶な出世街道が描かれた地獄絵図は、我々有閑マダムの社会においても貴重な指南図である。
ポイント10倍、1粒万倍(いちりゅうまんばい)の願ってもない好機、要は3年を待たずとも飛び級で出世することだって無くはない。

 世のサラリーマンが遭遇する出世を賭けた接待修行なるものは男性陣だけとは限らない。
女の世界でも当然あるのだ。
愚痴、自慢に対し、満面の笑顔で相槌を打ちながら褒め称えなくては絶対ダメだ。
顔を引き攣らせたり、時計をチラ見したり、貧乏揺すりをするなど以っての外なのだ。

 相手の愚痴、自慢に対しての所作も、輝かしい茶道、花道に負けず劣らぬ、極めるべき我慢道と言う陽の当たらぬ路地裏の道が人生には存在する。
この我慢道こそ、実は幸せの近道なのだ。

先ずは、お相手の愚痴に共鳴するには、自分にとっても、飛びっきり理不尽なイマジネーションを膨らませなくてはならない。
例えば、5軒隣の家が火事で燃え、自分が永年住んでいる家に火の粉が降りかかってきたとしよう。
まん悪く、開けっぱなしになっていた窓からそよぐレースのカーテンに引火する様を想像するのも良し。
もしくは、ロシアや中国から間違ってミサイルが撃ち込まれ、その小さな破片が我が家の庭に落ち、飼い犬の小屋がコッパ微塵に砕け散った惨憺(さんたん)たる光景を思い描いてもいい。
この様な、残酷無比な状況を、自分事として実感できたならばまずまずしめたもんだ。
肩を落として、大きな、大きな溜息を相手以上につけばいい。
ここで目を逸らしたり、聞きたくない素振りを少しでもしたらアウト!

「退場!」
「ゲームオーバー」
「掴むべき星が一つ消えるだろう」

 欠伸をしたり、料理に万が一でも手をつけようものならばせっかく積み上げた友情は、砂に、折角、力を込め描いた相合傘のマークが打ち寄せる波に攫われるが如く、跡形もなく無くなってしまうだろう。

「そう!」

それが、悲しいかな現実なのだ。

 友人とのランチは、出世の道を左右する女社会の下剋上接待なのだ。
命懸けの戦いだ。
天下分け目の関ヶ原の戦(いくさ)なのだ。

 この一貫した忍耐や、嘘泣き、お多福顔になったり般若の顔になる演技こそ、なくてはならない友人同士の暗黙の掟であって、この難関を超えた先にこそ真の友情、揺るぎなき信頼を掴み取れるのだ。

嘘は、癒しだ。
嘘は、愛だ。
嘘は、優しさでもある。

嘘を言わない友人同士なんてこの世に存在しない。

 嫌いな友人には嘘はつかない。
関心がない人にも嘘なんか必要ない。
大切な友人には、どれだけ相手を舞い上がらせるだけの嘘をつけるか?
どれだけ、上手に嘘だとわからない嘘がつけるか?

 弾が1発しか入っていないピストルの銃口が、常にこめかみに突きつけられていると思っていた方がいい。
自分の生活環境を豊かに楽しくする為の人脈形成ほど大切なものはない。
人生、勝負 な の だ。

 その難関を一つ超えたなら、親友候補の方からご褒美を思いがけず貰えるかも知れない。
そんな時は愛犬の様に涎を垂らし、尻尾を振り、嬉しすぎてお漏らしさえしてしまう馬鹿ぶりを大袈裟にご披露しなくてはならない。

 相手も、同じように労う嘘をついてくれたのだから。
数珠を持ち、般若心経を3回唱えても良いくらい感謝しなくてはならない。
この過酷なまでの戒律に忠実に従う期間が三年続いたなら、やっと演技だとわかる嘘でも互いに言い合える、気のおけない親友になれるだろう。

 正座も必要ない。
 犬になる必要もない
 深刻な話をしながらでも食べてもいい
 残酷無比なイマジネーションを自分事の様にしな
 くてもいい
 愚痴や自慢には、寛容な姿勢を取るだけで構わ
 い
 さん付けも必要ない

 どんなに彼女が間違っていても「それは、仕方ないわよー 貴女は、間違ってないわぁ」
と唇にケチャップをベッタリつけて、エビチリを旨そうに食べながら気を抜いて話せるのだ。

  ーそれまでは忍耐あるのみー

 どんなに罪なき人の悪口を言っていようが、一緒にその人を貶(けな)し真剣に腹が立っている演技をしたらいい。

 どんなに旦那の浮気を愚痴ろうが、一緒になって怒りオイオイと相手より派手に泣けばいい。

「めんどくさい!」
「けったくそ悪い!」
「何言ってんねん!」
「アホか?」
「そんな事ないやろー」

 漫才のツッコミ役の様に野次りたくて、喉チンコがブルブル痙攣しようとも、そこは我慢のしどころ。
旨そうな一皿に腹が鳴っても、湯気が立つ料理が冷めてしまおうが耐えるしかない。

 友人とのランチは、奇想天外なる一期一会の戦闘ドラマなのだから。

 さて、今日の3つ目の優しい嘘は何だろう?
当の本人にも見当がつかない。
楽しみで仕方ない。
ドキドキ、ワクワク、ハラハラする。

 マグロの刺身とイカの刺身が九谷焼の平皿に品よく盛られ運ばれてきた。
大好物だ。
直ぐにでも食べたかった。
そういう時に限って、生魚があまり好きじゃない三つ歳上の京子さんは大事な話を切り出してくる。
私に涙目で話し出す。

「ねぇ〜聞いてくれる?」
「昨日、すごく腹が立つことがあったの!」
「考えられない事よ!」
「泣きたくなったわぁ〜」

 私は、国宝級に美しく切れ目が入ったイカの刺身に喉を鳴らしながらもサッと一旦箸を置く。

「さあ〜」
「来た!」
「私の実力が、試される時だ!」

正座をし直し、京子さんに真摯に向き合う。
胸の鼓動が高鳴っている。

3つ目の嘘をつく事になるであろう山場に突入だ。

 2年と10ヶ月続いている親友候補、京子さん。
太ももを思い切り抓(つね)るタイミングをカウントしながら真剣に聞く。

「この瞬間が、如何に幸せか!」

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