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僕にとって勉強とは

今年僕は本を読むという計画をたてた。そして、今は喜多川泰さんの「手紙屋」蛍雪篇という小説を読んでいる。高校2年生の女の子が手紙屋と10通の文通を行う物語である。そして今はまだ1通目のところであるが、1通目の手紙屋の手紙に「私は勉強は一つの道具にすぎないと考えている」と書かれてあった。勉強は道具のひとつにすぎない、知識を利用して人を見下すや知識を活用して化学や機械に精通している人が多くの人に被害を与えるようなものをつくりだす人がいるなど。要は使う人次第だと。だから、勉強は必要な人は必要ならすればいいと。そして最後に宿題として「じゃあ、勉強は何をするための道具なの?」と。

この言葉は僕にも問いかけられているような気がしてしまい、考えていこうと思った。何で僕は勉強をしているのか?そもそも小学校、中学の頃は勉強は大嫌いだった。それがなぜ大嫌いだったかは覚えていないけれど、親にテストの点で怒られていた記憶しかないためや、親の養育能力が高くなかったというのもあるだろうか。しかし、中学の3年生からこのままではいかんと思い、勉強を頑張り始めたことを覚えている。晴れて高校も合格できてここから3年間勉強は学生生活の中で一番頑張ったとも思う。部活の後に塾の自習室も行ったのは我ながら関心と言ったところか。そして、大学も合格はできた。そして今に至ると。
じゃあ何で今僕は勉強してるの?
一応大学では心理学を専攻しているけれども、人の心をケアしたいから?
いいえ、違います。
じゃあなんだろうか?

そもそも小学校の頃は遊んでる記憶しかないし、中学受験んもしてないので、そこについて考えるのは却下。
では、中学の時のあなたにとって勉強とはどのような道具か?ともし、言われたら僕は「高校にいくためにとりあえず付け焼き刃で詰め込むものです」と答えるなと思った。では、高校生の時のあなたは?
と言われたら「以下同文」になると思う。
じゃあ今は?と問われたら僕は 「将来のまだ確定はしていませんが産まれてきた子どもに安心、そして安全に適切に健やかに育てていけるような環境にしていくために、そして自分自身も間違ったことをおかさないように、騙されないように幸せになるための道具として勉強をしています」 と言うと思う。
そして、僕の見解はこの問いに対して自信を持って言えるようになったときが本当にその人の夢や望みで、その人の幸せの人生の始まりなのではないのかと思った。まあ、まだ少ししか読んでいないので読んでいきながら、また自分なりの考えを書いていこうと思った、所存です。

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饅頭
私の存在を認められたようで嬉しいです。大切に使います。