メタバースで生きる、君が君であるために
今日はPFP(アイコン・顔写真)の話をしようとおもっていたのだけど、もう少し「なぜメタバースか?」とSNSとの関連について整理しておこうと思います。
自由になるために、メタバースは広がるんだろう
そもそも、なんでメタバースを必要とするかというと、人は自由を求めるからです。ここでいう自由とは、願望をかなえるための選択肢と思っておいてください。
安全と自由の追いかけっこ
人類は大昔にきびしい自然の中で生き残るために社会制度を作りました。
この分業制度はすごく効果的に働いて、ある程度、安全に暮らすことができるようになったのですが、どんどん社会的規範という名のもとに、身分制度とか宗教とかで自由がなくなってしまいました。
そこで人は、自由を手に入れるために、言い換えるともっと自分の好きなように生きるために、宗教改革とか啓蒙運動とかで「自由でいいのだ」という考えをつくりました。産業革命や都市の発展などで、村の掟に縛られなくても都会さ行ったらどうにかなるだ、という社会構造の変化も後押ししました。
で、(能力さえ足りれば)自分の好きな仕事をして、(相手に受け入れられば)自分の好きな人と結婚をして、みんな自由に生きることができるようになりました。めでたしめでたし。
で、終わればよかったんですが、昔の社会の掟に縛られていたからサバイブできたように、今ではお金がないと生きていくことができません。
生き方の自由を手に入れた代わりに、お金を稼がないといけないという不自由な状態です。そのため、いまでは経済的自由を求めて、みんなお金を稼いでいるという状態です。がんばれがんばれ。
で、人間の欲望にはきりがないので、さらに自分を束縛しているものに気づきます。それが
1)生まれながらにして与えられた自分の身体。「なんで、この性別で、この身長で、この年齢で、この容姿でなくちゃいけないんだ!わし、もう60のおじいちゃんだけど、令和の世の中で20代の吉岡里穂として生きてみたい!」
2)いまここのフィジカル性「富良野の山奥に住んでると、出会いもないし、欲しいものも買えないなあ。キツネの相手してる場合じゃなくて、今すぐ渋谷に行って買い物して、東京の女の子と婚活したいなぁ!」
この不自由さを解決するのがメタバースです。
メタバースでどう生きる? ~転移か、転生か~
なので、大きく分けるとメタバースは1)別の自分に生まれかわって好きなように生きる情報空間、2)リアルの関係をより便利にする情報空間、の2つの側面があります。
本当のフィジカルはどこでもドアでも発明されない限り解決されないので、今はVRなどでできるだけフィジカルを代替体験できるようにする世界をメタバースと呼んでいる傾向があるけれど、そのほかの要素はSNSで実現できる。だからSNSはテキスト主体のメタバースと呼んでもいいし、逆に将来のメタバースで成功するには、今、SNSに向き合っておく必要がある、というのが前回からの話。
バルカちゃんが界隈でぼっちになる理由
で、今のSNS、特に𝕏を想定するけど「リアルの関係に使う便利なコミュニケーションツール」と「別の自分が存在するメタバース」の2つの側面をごちゃごちゃの認識で使ってるから、いろんな問題が生まれる。
例を挙げると、診断士界隈はリアルの関係の補強に使っている人がほとんどで、実名・本人写真も多く、メタバース上のアバターである美少女診断士バルカちゃんが、のこのこ出て行ってもあんまり相手にしてくれない(してくれている方は本当にありがとう)。
逆にクリプト界隈だと実名でしている人はほぼいなくて、PFP系NFTさんを始め、カエルさんや、魚さん・豆さんなどの人外キャラクターが闊歩している。
これは、メタバースが仮想空間やVRの形式で本格普及しても同様で、「現実空間の自分の利便性を高めるメタバース」と「理想の自分として新しい命を得るメタバース」の2つが出てくることは容易に想像できる。
なので、メタバースはおそらく唯一無二である1つのプラットフォームに収束することなく、目的によって複数のプラットフォームが並列世界のように共存していくことになると思う。そこで、メタバースをまたがる時に、自分に同一性をもたせるかどうか、は小さくないポイントになる。例えばXでバルカちゃんである自分はnoteでもバルカちゃんとして生きるか?ゲームの世界でもバルカちゃんとして生きるかという問題。
どちらが正解ということもなく、これ自分が何人の自己を持つかということになる。あんまり多いとわけわからなくなるので、今後はリアルの自分+メタバースの基本人格+サブ用に数人、という感じになるんじゃないかなと思う。
この辺は平野啓一郎の分人主義とかの領域に入ってくるので、今回は深入りしない。
メタバースに必要な2つの要素
で、メタバースで生きていくには、リアル自分型にせよ、メタバース転生型にせよ、精神(コメント・思考など見えない部分)と肉体(アバター・PFPなど見える部分)の2つの要素が必要で、キャラを立たせるにはこれらをどうやって作っていけばいいのか?まず肉体要素の方から考えよう、ということで前回はヘッダーの話をしたので、今回はPFPについて。
と思っていたのけど、もうちょっと現状を整理しておくと、今の𝕏はリアル型と転生型が混在していて、さらにニセアカウントやbotが跋扈していて、めちゃくちゃカオスと言える。
まあ、それならジャンルによって棲み分けていればよかったんだけど、インプレッションによる収益が可能になったので状況が少し変わってきた。ジャンルを超えてインプレッションの多いアカウントにコメントをして自分もインプレッションを稼ぐという「クソリプ」と呼ばれる行為の発生である。
個人的は公開設定にしている以上、芸能人や政治家を始め世界中の人にコメントができるのが𝕏の面白さで、良識の範囲のコメントであればクソリプ行為を批判する理由はないと思うのだけど、これを好まない人たちも一部いるみたいだ。
その騒動はXの収益化にまつわるクソリプ周りについてなんだけど、バルカちゃんが一番問題視したのは、あるAさんが、別のZさんに向かって「仲間の200人でブロックしてやる」といった点。(多数の人にブロックされると有害なアカウントとみなされて凍結されることがあるらしい)
※あ、これ記憶でしゃべってるから、実際の細部がどうこうは置いておいて、たとえ話として読んでください。
上で話した精神(マインド)や肉体(アバター)は、交換できるし、状況によって使い分けることもできる。だけど、ほとんどのメタバースではアカウント自体は交換することはできなくて、アカウントがないとそもそもメタバースに存在できない。
アカウントを凍結されるのは、これまで育ててきた関係性やアカウントパワーが無に帰するため、メタバースにおいては殺人に等しい。
よって、アカウントは精神と肉体ともう一つの自己を形成する重要な3つ目の要素として「魂(ソウル)」と呼んでもいいんじゃないだろうか?
一定の意思のもとで数百名でブロックすることでアカウントを凍結させようと試みるのは、単純にいってリンチではないだろうか?凍結されなくても、Xの場合アカウントパワーは減点される。
こういったソウルへの危害については普通に使っていると無自覚なんだけど、メタバース上で実際の人生で使う時間が増えれば増えていくほど、考えておく必要がある。
実際には、本当に迷惑なユーザーや、人間ですらないボットもたくさんいるので、アカウントに一定の制限を設ける必要もあるんだろうなと思う。一方で、ユーザーの多数決で物事が決まるのであれば、特定の意思をもった宗教団体・政治団体・その他もろもろの集団が好き勝手できてしまうので、運営やAIがきちんと判断をしていく必要があるのだろう。
しかし、この運営というのも、民間の企業であると超中央集権であり、立法権と裁判権をもているようなものである。少し前にはトランプ前大統領がTwitterのアカウントを凍結されてひと悶着あったように、メタバースにおける生存権はかなりあやふやである。
なので、よっぽどおかしなことをしない限りや、運営がまっとうな判断をする限りにおいては、必要以上に心配をすることはないのだけれど、メタバースに生きていくには、このソウルについても少し意識する必要があるし、今後も考えていかないといけない問題となっていくのだろうと思います。
メタバースに神様はいるか?
この世の中(リアル)がなぜ存在しているかはわからないけれど、とりあえず人間が何もしなくても朝になると陽は登って、夜になれば星が輝く。けれどもメタバースは、誰かが作り運営していく世界なので、その神の権限がどの程度かを把握したうえで、自分が住む得たバースを選ばないといけない。
デファクトスタンダードで住まざるを得ないとしても、その権限については把握しておく方がよい。この世の中で法律を知っていれば、時としてかなり有利に立てるように。
というわけで、今回は「ソウル」という概念を引っ提げて、新しい読者層を獲得しようという試みでした。真剣に考え始めると、複垢どうなるん?とか、アカウントの譲渡はどう捉える?とか広がるし、メタバースにおける人権とは?みたいな哲学・法学的な領域に入っていくだろうし、バルカちゃんはそっちについては全くのド素人なので、質問はお控えください。