紫陽花
ずっと、空気の入れ換えをしたかったんやとおもう。
その場凌ぎにしかならないことは分かっていても、逃げれるだけ逃げようとした。選んだり、決めたりすることを、ぜんぶぜんぶ後回しにしたかった。
信じたかったり、投げやりになったり、時々あきらめたりしながら、ひとりで歩くことの気楽さと、こわさを、何度も思い知った。
かたちのあるものは結局なにも手にしてないじぶんを、認めてあげられるのは、じぶんだけで。心地よい空気にながれて、ながされて、すきなことだけやってみても。うまくのってるつもりでいたその波から、急にぽつんと追い出されるような瞬間がある。
とてつもなく、ひとりのような気がして、こわくて、だれかにみててほしいとか、認めてもらいたいっておもってしまう。
そんなのが、気づかないうちに積み重なってく。そうすると、
なにをしても無気力で、だれと話していても、しっくりこない。
世界が、わらってくれなくなる。
なんでかって、それは、じぶんがときめいていないからです。
5月と6月は、そんな日がつづいてました。くり返すんやろな
なにをしたからすごいとか、なにができるからいいとか、そんなんじゃなくて、何者でもなくても、ただここにいるだけで価値があるって、なんで、いつもでも、誰かに言ってもらえないと不安なままなんやろう。
うまく生きられているときには、ちゃんとじぶんをすきでいてあげられるけど。なにもかもうまくいかなくても、じぶんで、じぶんを、よしとしてあげられるようになんて、なれるのかな。
わたしは、どんな時でも、わたしをもっと大事にできなきゃいけない。もっとじゆうに、心がうごくこと、感じて、深呼吸して、ゆっくりでいい。
肩の力を抜いて、いつでも凛と立っていられるように。
雨がつづいたあとの、晴れの日。夏の匂いがして、わくわくしたじぶんに、少しびっくりした。大丈夫、たぶんまた、きれいな、きれいな夏。
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