二代目『薔薇族』編集長の作り方 第1回(Webマガジン『ヒビレポ』2015年4月3日号掲載)
10年間の「中二病」
ども! ヒビレポ再登板を、記念すべき最終シーズンにすることができた果報者、竜超(りゅう すすむ)です。
今回は前回とはガラッと趣向を変えて、ぼくが本邦初の同性愛マガジン『薔薇族』の二代目編集長になるまでの道のりをつづる極私的ネタでいかせてもらいます。
まずはプロローグとして、少年時代の話から……。
生まれは静岡で、良くも悪くもノホホ〜ンとした環境で育ちました。
だが、周囲の穏やかさに反して、ぼくはかなりイライラする日々を送っていた。
原因は、イマふうに云うところの「中二病」。
ぼくはそれを小3から高3までの10年間も患いしまして、かなりイタ〜い青春期を過ごしたのでありました。
当時のぼくは、端的に云えば「むだにマセた嫌なガキ」。
小学校低学年の時分から大学生向けの雑誌を読み、同級生が騒いでるような流行りものは「ケッ! シロートくせェ」の一言で切り捨てる。
テレビでウケてるようなものには背を向けて、愛好するのはもっぱらアングラ&サブカル物件。
大衆性をひたすら嫌悪し、「みんなが知らないものを知ってるオレってスゲエ」的な選民意識を肥大化させておったのです。
そんなぼくがハマったのが「アニメ」。
今でこそ「大人のアニメファン」なんて珍しくもない存在だけど、あの頃は「中学生にもなってテレビ漫画を観てるなんておかしい」とばかにされた時代。
しかし、その「差別されてる感」が当時のぼくを酔わせたンですヨ。
アニメも自分も「真価を理解できない愚かな大衆から不当な扱いを受けている存在」なのだと考え、勝手にシンパシーを覚えてしまったのでありました。
中学に上がった頃に『宇宙戦艦ヤマト』のブームが巻き起こり、それに合わせてハイティーン以上の読者に向けた「アニメ情報誌」というのが次々と創刊されだした。
そうしたムーブメントを「いくつになってもアニメ好きでイイのだという証」と受け取って自信を得たぼくは、アニメの素晴らしさを周囲に啓蒙する「布教活動」にのめり込んでいった。
前述のヤマトや『機動戦士ガンダム』などを例に挙げ、
「どーだ、アニメというのは生半可な小説や映画なんかよりはるかに高尚なのだ!」
と鼻息を荒げながらまくしたてたのであった。
まァ、それなりに世の中というヤツが判ってきた今ならば「べつに高尚でなくたっていーじゃん」と思いますけどネ。
普段はエラソーに「反権力・反主流」みたいなことを云ってるクセして、自分の信奉するモノには権威づけをしたがるあたり、ガキというか愚かというか……う〜ん、やっぱ中二病だワ。
高校に上がると、そんなビョーキにいっそうの拍車がかかり、ついに「学校に行くこと」を拒絶するまでになってしまった。
「あんな非文化的なトコへ通ってたらノーミソ腐ってバカになる! とっとと中退して東京へ行きたい!」
こんなことを親に激しく訴えたが、そんな中二病患者のうわごとが認められるわけもなく、けっきょく「気が向いた時だけ登校するプチ登校拒否」みたいなところで落ち着いた。
たまに学校へ行く時でも教科書なんかは開かず、不快な顔をする教師をよそに、ひたすら趣味の本を読みふけるのみ。
ところが、そんな「オタク系尾崎豊」みたいな反発アクションが「面白い」と周囲に受けて、クラスメートはむしろ寄ってきた。
その中のひとりから「部員が少ないので入ってくれないか」と頼まれて、傾いていた文芸部に入ったのです。
当初は「名前貸しのみのユーレイ部員」になるつもりだったんだけど、ひょんなことから部誌の編集責任者になったりしたことで予想外に頑張ってしまった。
ぼくらが作った部誌は、発行団体名を「○○高校 文芸部」ではなく、その頃流行っていた「文化人」という呼称を揶揄する意図で「○○高校 ぶんかじんの会」にしたのだが、今ふりかえると、なんか文芸部じたいが中二病患者の集団ぽいなァ。
ちなみに7人いた部員のうち、ぼくともうひとり(ぼくを誘ったヤツ)が職業モノカキになっているから、けっこうプロデビュー率は高い部活だったかもしれない。
そんな破天荒な高校生活だったが、なぜか留年もせず3年で卒業できた(メンドクサイ生徒に長居されたらメーワクなんで追い出されたのでは? と個人的には推理)。
そして、いよいよ念願の東京ライフに突入するわけですが……え? 「これまでの話にゲイもホモも出てこないじゃん」とな?
あ〜、それは特に「悩む」ようなこともなく、ソッチ方面は可も不可もなく過ごしていたからであります。
自分の性的指向については幼稚園の時点ですでに自覚してて、だから小学生に上がった頃に図書館へ行って調べたんです。
親父から「判らないことがあったら図書館で調べてこい。税金払ってるンだから活用しない手はない」と云われてたので。
で、児童書コーナーで性教育の本を見たら、「ぼくみたいなタイプは一般に同性愛者と呼ばれ、社会的には少数派であるが、別に異常なわけではない」的なことが書かれていたんで、「ふーん、異常ではないのか。ならいーや」と納得し、それで一件落着。
自己嫌悪に悩まされているゲイの中には「広辞苑で同性愛と引いたら異常性欲とあって、それがトラウマになった」と語る人が多いのだが、ぼくのばあいは広辞苑に触れるよりも前に図書館に行ったので余計なダメージを受けずに済んだのであった。
性的マイノリティであることをなんの葛藤もなく受容できてしまったせいか、ぼくのアイデンティティは8割以上が「オタク」で、ゲイの要素は非常に少なかった。
さっきも云ったように、昭和のオタク(アニメファン)はかなり差別されてたので、ソッチの自我を確立させておかないとメゲてしまう。
そんなわけで、世間一般のゲイピープルとは異なる道筋をたどってきたぼくであるが、それが現在の仕事に役立っているのだから人間、なにが幸いするか判らんモンです。
……さて、次回からはいよいよ本編に突入します。
1980年代の新宿、そして当時の東京のサブカルシーンについてもアレコレ語るので、その辺に関心のある方も乞うご期待でありますゼ。