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芸大、芸能専門出身のフリーランスエンジニアです。【自己紹介】
はじめまして。
加藤雅菜(かとうまさな)と申します。
雅菜というあまり聞かない名前は、祖父が「雅」という漢字をどうしても付けたいというこだわりと、母の「被らない名前にしたい」というこだわりのぶつかり合いから生まれました。
画数占いをしてみたらめちゃくちゃ運気がいいようで、2人に感謝です。
今回ははじめての記事ということで、わたしの自己紹介を書かせていただければと思います。
けっこうボリューミーな内容となりましたので、気になるところからでも読んでいただければ嬉しいです!
自分の「得意」を見つけ始める幼稚園、小学校時代
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幼稚園のころ、お遊戯会があり「ブレーメンの音楽隊」をしました。
じゃんけんで人気な役が決まっていく中、わたしは負け続け、動物のシルエットに騙される泥棒役…ショック。
出番は少なかったのですが、「わあ、逃げろー!」というセリフが元気でよかったと褒められて気分最高になりました。単純です。
運動会では開会式の挨拶に選出されて代表挨拶を任せていただいたりしたので、人前に出ることが好きになりました。
クラシックバレエとピアノを習っていて、本番は適度な緊張感でうまくやれるタイプでしたので、本番が得意なんじゃないかとも感じ始めます。
(めちゃくちゃお嬢様っぽい習い事な気がしますが、クラシックバレエの途中で柔道始めたり、ピアノは妹がいるのですが、わたしより先に進んでやってられるかってやめたりしてます。)
当時ポケモンにハマっていて、いろんなキャラクターのモノマネをしたりしながら登下校する子どもでもありました。
友だちとおばあちゃんの真似をしながら下校したこともあります笑
なので声と、声を変化させる器用さには自信がありました。
得意なことから声優を志した中学生から高校時代
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中学時代に出会い、いまでもいちばん好きなアニメが「鋼の錬金術師」です。
声優という職業を知るきっかけとなり
かっこいいと思える女性を知るきっかけとなり
アーティストに興味を持つきっかけにもなりました。
中学生・高校生という多感な時期、わたしは自分が女性らしくなっていくことがなんだか嫌でした。
こうなれたらいいなと思う対象には男性が多く、女であるわたしはなれないじゃないかと思ったのです。
憧れるものに共通していたのは「かっこいい」でした。
なので、
鋼の錬金術師の主人公がかっこいい!
女性が声を当ててるんだ!
じゃあ声優になるしかない!
という具合で、中学生のころに親に頼んで声優の学校に通い始めます。
やりたいことはやらせてくれた両親には感謝してもしきれません。
実力によってクラスが上がっていくような仕組みになっていたのですが、デビューまでたどり着けないまま高校の受験シーズンを迎え、一度夢を諦めます。
迷走する大学時代
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なのに中退してすみません…!
大学は、高校時代に雑誌に載っていたアーティストの短歌や俳句が書けたらかっこいいよなということで、文芸学部に入りました。
歌詞を書きたいっていうのもあり、このときになりたかった職業をあげるのであれば詩人です。
文章を書くのはなかなか面白くて、俳句の授業では公募に出し、賞をいただいたりもしました。
学校で取材を受けたり、賞の担当者の方からどういう作品なのか教えてくださいと電話が来たりちょっとした作家気分です。
都道府県単位で出すと通りやすいとのことで、それで出しました。
経験者の言うことは正しい!
大学3年になり、就職活動がスタートしたときにぶち当たったのが、「このまま就職していいのか?」という不安でした。
わたしにはもっと修行が必要だという感覚と、きっとこのまま就職したら土日の休みの楽しみために働くことになってしまうという確信。
何になりたいんだろうというところに立ち返り、再度声優の道を、もっと厳しさをもって目指してみようと決意しました。
そこからは、はじめての親への反抗です。
父に直談判しにいき、大学を中退し、芸能の専門学校の声優コースに入りました。
人間関係のリハビリ期間となった、専門学校時代
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大学時代、わたしは人との交流を増やすつもりがなく、できる限り人と関わらないようにしたいと思っているくらいでした。
しかし、いやでもお芝居をするとなれば人との関わりが必要になります。
誰かとペアを組むときなんて、わたしは選ばれないと泣いたくらいです。
ネガティブ過ぎる!!笑
だからこそ自分を変えたくて、発表することもいちばんにようとこだわったり、練習も人以上にしようともがきました。
頑張っていたら協力してくれる人がいることも知りました。
学校に着いたときと帰るときには職員室に挨拶をするというルールがあったのですが、泣いてしまった日の帰りに、担当の先生が心配して外まで来てくれたことがありました。
こんなに人のために動ける人って素敵だなと思い、余計に泣いてしまいました。
関わったみんなは優しくて、自分だって受け入れられる存在なんだと思えた経験でした。
誰かと何かをつくることも、このときはじめてくらいで楽しいんだなと知ります。
恋愛もしました。
それまでアクションを起こしたことがなかったのですが、アクションしました。
バイト先の先輩を好きになって、アドバイスをもらったり、とにかくたくさんの愛をもらったなと振り返って思います。
うまくはいかなかったのですが苦笑
声優コースではあったのですが、タレント性も求められたので語れる趣味を持とうといろいろ経験もしてみました。
工場鑑賞行ってみたり、カメラの博物館行ってみたり…
個性を持たねばと必死でした。
自分で稼いで通うくらいの覚悟はあったつもりですが、なんだかんだ優しい父に甘えてしまい学費も出してもらいました。
なにかに思いっきり取り組むときに、お金に悩まなくていい状況ってめちゃくちゃ恵まれているんだなと今思い返すと実感します。
「人間力を高めねば」と感じた事務所時代
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専門学校を卒業し、わたしはアーティストをメインに活動する事務所に入りました。
他にもいくつかオファーをいただきましたが、自分の頑張りで、ファンがつけられて力になるんじゃないかと思い、その事務所を選びました。
毎月、15分ほどの持ち時間でライブがあり、集客するという活動をしながらアルバイトをする日々。
X(その当時Twitter)を使って、情報発信をしていました。
何人か来てくださってめちゃくちゃありがたいのですが、ほぼリピートには繋がらずで何を変えたらいいんだろうかとネット頼み。
読書した方がいいんだ!と自己啓発本を読み始めたりしました。
最初は男性の曲ばっかり歌ってたのですが、可愛らしい方がウケるよとのことで方向転換しました。
服装も変えて、芸名もかえて…これはちょっと黒歴史です。
ターゲット層に向けて、どんなものを発信したらいいのかを考えるきっかけになりました。
それまでは好きなものを好きなようにやっていたのでそうか、って気づかせていただきました。
親を安心させるために経験した会社員時代
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「パパを安心させるために就職してほしい」
緊急家族招集があり、母からの願いによってわたしは父の会社で働くことにしました。
閉所恐怖症な父は、人間ドックで検査を拒否しており、やっと見つかったがん。余命宣告。
全く実感が湧きませんでした。
会社員になった当初のわたしは、歌をメインに伸ばしていこうとしていました。
平日だったレッスンを土曜にしてもらい、辞めることは考えていなくて、どう両立させるかを考えながらやっていました。
会社員として始めたシステムエンジニアの仕事も頑張っていました。
わからないことだらけでしたが、新しいことを覚えて出来ることが増えるのは楽しかったです。
ただ、会社員になったことでいままで関わってきた友人と価値観が合わなくなってきたこと、彼氏が欲しいというのもあって飲みの場に行きはじめました。
このとき決めていたのは「誘いは断らないこと」です。
結果として、人生の中で転機となる出会いがありました。
その方は、たくさんの信頼できる仲間と共に仕事をしていて、わたしに新しい考え方を教えてくれました。
初めて会ったときに、過去に声優になりたかったことを話したのですが、なぜ?と聞かれて「変身願望があったから」と答えました。
すると返ってきた答えが、「自分が変身しちゃえばいいじゃん」ということ。
「え?!どういうこと?」と思ったのですが、つぎさんや、まわりの方の話しを聞くうちに努力で自分を変えてきたことを知り、納得しました。
この人たちといたら成長できるかもしれないと思い、何より同年代で負けたくない存在がいたのもあり、わたしはつぎさんみたいな大人になろうと決めたのです。
人との出会いでスタートした、フリーランスと修行期間
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自分が選択した道は、経営者として自分自身の人生の責任をとっていく道です。
自由になるために、一時的には不自由にも思える時期をあえてつくったのですが、結局何を成し遂げるにしても必要だなと思っています。
かつてなりたいと思っていた声優だって、下積みを経て成功するものだと思うので。
その一環で、お金の使い方にも向き合う必要があるなと気づかせていただきました。
自分の成長のために使えるお金を増やすために、フリーランスになり収入を上げました。
2017年くらいのことですし、システムエンジニアになろうと思ってなったわけではなかったので、まずフリーランスを知りませんでした。
つぎさんに、1年半システムエンジニアの経験があるならフリーランスになれるかもねときいて、月収があげられることを知り思い切ってなりました。
両親がシステムエンジニアという道に進ませてくれたことはラッキーだったなと思ったのを覚えています。
どういうカタチで働くかによって、やっていることは変わらなくても収入に違いが出ることを実感を持って知る機会でした。
人との出会いで、人生は大きくひらけることを知り、わたしもきっかけになれる側に回ろうと今は人脈を広げています。
LINEの登録者が5,000人を超え、追加できませんと表示される経験もしました。
これから
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現在取り組んでいることに向き合いながら成長し続けて、いつまでもかっこよさを更新していきたいです。
そのためにも、指標である父の最高年収3,000万を2026年に達成していきます。
まずは決めた師に習い、事業を立ち上げる術を学んで独立したのち表現したい人の支援(プロデュース)や、映像制作で仲間のやっていることを世に広めるお手伝いができたらなと考えています。
出会った仲間が、それぞれ豊かになって人生を最大限楽しみ、時間もお金も気にしないで一緒に旅行に行けるような未来をつくる。
過去には想像していなかった、人との関わりの中でいい影響を与えあいながら成長し続ける人生にします。
自己紹介はこれくらいにさせていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます!