ナビレラ――忘れたくないメモ①
公演が終わるといつも備忘録をこのnoteに書いている
忘れたくないからメモするのだけど
ただの記録のつもりでも 自然と
想いが溢れてしまうもの
シムさんの手帳には何が書いてあったのかな
「この時期でもここまで雪が降るのは珍しいんですよ」と通訳のようこさんが仰った、雪の降りしきるソウル。
『ナビレラ』の日本語台本を書くため、ソウル芸術団へ改変箇所の許可を取りに行った。
「シムさんの雪ですね」と、弾むような声でプロデューサーの柴原さんが言ったけど、まだその時の私には、あああ寒い・・・寒すぎるウウ・・・とガタガタ震えるばかり。
韓国版の脚本家/パク・ヘリムさんと、音楽家/キム・ヒョウンさんの、今作への想いを聞いて、この方たちが満足してくれる作品をちゃんと日本に送りだせるだろうかという不安の震えでもあった。
「音楽や台詞を改変しても良いが、チェロクやドクチュルが段階的に抱いていく感情、物語を大事にしてほしい」
へリムさんに言われたことで一番心に残っていること。私よりも全然若くて聡明なヘリムさんの、射貫くような、それでいて澄んだ目をいつも思い返しながら脚本を書いた。
初演版と再演版をミックスした日本版の台本には、私自身の構想や台詞も、もちろんあるけれど、書くほどにヘリムさんの戯曲や歌詞が、いかに原作を大切にし考え抜かれたものであるか、同じ劇作家としてよくわかった。
一方、音楽家のキム・ヒョウン(通称Miaさん)とは・・・、
その日、飲みに行って、いきなり仲良くなった。
Miaちゃんはものすごく頭が良く、才人な上に努力家で、それでいて愉快な人。チキンを頬張りながら言葉の壁を越えてゲラゲラ笑い、夜が更けた頃、気さくなMiaちゃんに、思い切ってお願いをしてみる。
「ドクチュルが、このメロディを聴けばいつでもチェロクを思い出せるような、”チェロクのテーマ”を新たに作って頂けませんか」
天才Miaちゃんはその場で快諾。二週間後に送ると言って、ほんとうに二週間後、出張先のフランスからなんとも切なく美しい曲を届けてくれた。
それがこちら。
この美しい「チェロクのテーマ」を、ドクチュルがチェロクを思うその瞬間に、繰り返し流そうと決めた。
お客さんにも耳を通してこの曲が刻まれ、このメロディを聴くだけでドクチュルと同じ気持ちでチェロクを思い出してもらえるのではと思った。
こんなに素晴らしい曲を作って頂いてくれたMiaちゃん。そしていくつもの改変を、なかには「私もその方がいいと思う!」と力強く肯定してくれたヘリムさん。ふたりに見てもらう初日がどれほど緊張したか・・・。
終演後の対面でお二人が嬉しそうに迎えてくれた瞬間、万感こみ上げてボロッボロ泣いてしまった。そしたらヘリムさんも泣いて、強く手を取り合った。あの時、緊張と不安を互いに抱きながら、会議室のテーブルを挟んで一度会ったきりなのに。尊敬する師にやっと会えたような畏敬の念と、一緒に歩いてきてくれた同士に邂逅したような気持ちだった。
この写真に写っていないのだけど、「あなたがいたからこの作品が出来たのです!!」とこの三人で強く拍手を送ったのが、原作者のHUNさん。HUNさんもまたとても喜んでくださって、その夜、プロデューサーづてにとても嬉しいメッセージをくださった。
短い滞在ながらも、色濃かったソウルの旅。
あの日見た二月の雪は「ナビレラ」の願いを叶えてくれる雪だったのかなと思える今です。
そうしてついに台本、歌詞を書き終えて4月、稽古突入。
メモしておきたいことが色々ありすぎて・・・でもまあ、とにかく。
立ち稽古の初日の三浦さんを忘れることは一生ないと思います。
だってあーた、いきなりこんなの見せられてご覧なさい。
「あ、チェロクだ」
ってなりますよそれは。
初めてミュージカルという物を手がけた2011年の「ピーターパン」で、歌稽古で高畑充希を見たとき「あ、ピーターがいる」と、思ったその時のことも思い出した。
みんな見とれて、一瞬で完成形を見たような錯覚に陥った。
この日の稽古帰り、車を運転して帰路に向かいながら、三浦チェロクを思い浮かべ、アンサンブルの若者たちを思い、
「こんなに才能に溢れる若者たちがいるこの世界で、絶対に戦争なんか起こしちゃいけない」ってなんでかやけに強く思ったのを覚えてる。
これも絶対に忘れたくないから、メモ。
私たちの愛する座長は、まだ25歳。
その若さにして錚々たる演劇賞を受賞し、バレエを踊りこなす、誰が見たって才気溢れるスターなのだけど、、彼はチェロクのように、ゴツゴツとした不器用な優しさがある人。
私は何よりそこに惹かれた。
業界人らしい気遣いとか優しさではなく、誰も気づかないところで人を思いやってて、でもそういうのをむしろ見せないように振る舞っているのが心憎い。多分、気づかれたらそれはそれで照れくさいのだろうなと思うし、多分、そういう優しさを自分自身で疑ってもいる(そこがまたチェロクらしい)。
あるときの休憩時間、さりげないやりとりの中で、仲間のキャストを”守った”と感じた瞬間があったのだけど、誰にも気づかせたくないんだろうなと思って私も何も言わなかった。本人がこれを読むことがあっても「え?いつ?」となるだろうけど、私は静かに尊敬の念を深めたのでした。
『ナビレラ』が素晴らしく根源的で、素晴らしく現代的なストーリーなのは、若い才能が年長者を引っ張ってくれることに対し、年長者が素直に敬意を持って向かっていること。そして、そんな年長者の背中を若者たちもまた敬意を持ってみているという相互関係。
今回の稽古場では、圧倒的な牽引力を持つチェロクがいて、そんな彼に敬意を払う素晴らしい先輩ドクチュルがいたおかげで、リスペクトが絶えない非常に健全な空気が稽古場全体にありました。
チェロ規もたきつばも、役が膨らむアイディアを自分で提案して持ってきてくれるから稽古が楽しかった。
ソンチョルとチェロクの肩をぶつける挨拶が二人の関係を示す証になるよう提案したのはタキツバだし、エピローグの最後の最後でチェロクがドクチュルの指先を直すのを提案したのは三浦パイセンです。
わたしは「素敵やん・・・」って島田紳助になってただけ。
良い座長の周りにはいい人が集まるもの。
「持ってる人」ってそういうことなのかな。
私もその一端を担いたいと思ってきたけど、どうだったろうか。
ただただ、キャストたちに、心強いスタッフに支えられて背中を押してもらってきた様な気もする。
けれど、出逢いに恵まれている自分も、「持ってる」ということにしよう。
嗚呼……
また長文になりすぎた(通常運転)。
もう一人の座長ジェイ・Zについて、シム家の面々について、スタッフについて、まだまだ長々と書きたい忘れたくないのでいったん区切ります。
単なる私の覚え書きメモですが、もし読んでくれる方がいたらもう少しお付き合いください。
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